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第2部・第8話 訓志の憂鬱

 感謝祭(サンクスギビング)からクリスマスは、アメリカが一番華やぐ季節だ。デパートやホテル、ショッピングモールはもちろん、役所やちょっとしたレストランでも、立派なクリスマスツリー、色とりどりのオーナメントが所狭しと飾られる。一般家庭ですら、自宅に電飾を飾り付けてイルミネーションを付ける民家がある。  訓志(さとし)も、勇樹(ゆうき)に連れられて、大きな駐車場に延々と並べられた生のモミの木の中から、百五十センチ程度の高さのツリーを一本買った。 「これ、生の木だから、一回使ったら終わりなんでしょ? 何だかもったいないね」 「みんな、クリスマスが終わったら(たきぎ)にして、暖炉で使うらしいよ」  なるほどと得心して訓志は頷いた。  新居のリビングは、大きなツリーを飾っても全く問題ない広さがある。ロマンチックなキャンドルも買って、クリスマスの夜は家で勇樹と二人きりでのディナーを楽しむつもりだった。  感謝祭は、勇樹の親しい同僚から、温かくも賑やかなホームパーティーに二人で招かれた。手作りのローストターキーを初めていただき、訓志はその美味しさに目を丸くしたのだ。シリコンバレーは外国人が多い土地だし、勇樹の同僚は、きちんとした人ばかりだから、訓志にも親切にしてくれる。平易な言葉でゆっくり話しかけてくれ、話題を振ってくれ、英語がたどたどしくても、誰も変な顔をせず、礼儀正しく最後まで熱心に聞いてくれる。  しかし、訓志は寂しかった。  どんなに彼ら彼女らが親切にしてくれても、訓志個人に興味があるわけではないことに、敏感に気づいていたからだ。 「いつ日本から来たのか」 「こちらの生活にはもう慣れたか」 「日本と違って驚いたことは何か」 「こちらの何が気に入っているか」 「どこか近隣へ遊びには行ったか。ヨセミテ国立公園やナパバレーへはもう行ったか。どこが楽しかったか」  そんな、当たり障りのない会話の繰り返しだ。  とは言え、それしか話題がないのは他ならぬ自分のせいだという自覚はあった。まだ永住権を持っていないから働けないし、英語が拙いから、趣味のサークルなどに自分一人で参加できるはずもない。ゲイカップルだから子どももいない。  自分は所詮、勇樹にくっ付いている存在でしかない。「〇〇さんの奥さん」「△△ちゃんのママ」としか呼ばれない、専業主婦の辛さが身に()みた。  しかも、駐在員の奥様ならば「駐妻友」、子どもがいれば「ママ友」を作れるかもしれないが、若すぎるゲイである訓志に、日本人駐在員コミュニティに居場所があるとは思えない。  週末は勇樹が傍にいてくれるが、彼が働きに行っている平日は暇だ。  朝は七時頃に起きて、自分の為だけの朝食を作る。勇樹は、朝から会社のジムで運動して、会社のカフェテリアで提供されている朝食を食べるから、平日は彼の分は作らない。自分の朝食を済ませたら、家の掃除をする。数日に一回は、掃除しながら洗濯機を回す。アメリカの洗濯機は大きいから、毎日の洗濯は必要ない。しかも乾燥機もあるから、干す手間暇も掛からない。夏の間は、庭の草木に水やりする必要があるが、今は雨が多い時期だから、庭の手入れも、伸びた枝や枯れた花を切り取ったりする程度だ。芝も冬は伸びない。  食料品の買い出しは午後の日課だ。午前中に買い物に行く時間の余裕はあるが、それでは、あまりに午後が長い。だから、午前中はぼうっとして過ごし、簡単な昼食をとる。  最初は、家を飾るファブリックや小物等を探し求めて色々なショップを回ったりもしたが、一通り整うと、それほど家のためにやるべきこともない。  こんな時こそ、身体を鍛えたり、音楽活動に勤しめば良いのだろうが、NPOのパーティーで勇樹に頭ごなしに叱られて以来、気持ちが塞ぎ、創造的なことをする気が起きなかった。食事や家事の合間は、ぼうっとソファに寝転んでスマホを見る。テレビすら付けようとは思わない。どうせ何を言ってるか全く分からないのだから。 (せめて、英語もう少し喋れるようにならないと……。何をやるにしても、まずはそこからだよな……。)  訓志は、ローカルの何でも掲示板として人気のWebサイト「クレイグズ・リスト」で、語学交換相手募集コーナーを眺めた。英語を教えてもらう代わりに日本語を教える、語学交換する友達ができたらと、少し前から思い始めていた。しかし、きっと勇樹は、知らない人と訓志が二人で会うことを嫌がるだろう。それが容易に予想できるだけに、相談できずにいた。  まるで、手に入らないおもちゃの並ぶショーウィンドウを物欲しげに見つめる子どもみたいだ。  自虐的に考え、大きな溜め息をついた瞬間、訓志の携帯電話に通話の着信があった。びっくりして手から滑り落ち、ソファの下に転がったスマホを、慌てて拾い上げる。勇樹以外の人から平日の昼に電話がくるなんて、初めてだ。画面には、知らない番号が表示されている。 「もしもし」 「サトシ?」  遠慮がちな柔らかい男性の声だ。柄の悪い感じではない。 「はい、そうですが」  警戒しながら訓志が答えると、相手は、ホッとしたような声を出した。 「先日、パロアルトのパーティーで、写真集とか本を買ってくれたよね?」 「……ああ! あの時の方ですか? そうでした。ごめんなさい、パーティの終わりに取りに行くって言ったのに、忘れてしまって」 「良かった、番号が合ってて。せっかく買ってもらったのに、本を渡せなかったから、心苦しかったんだ。もし良ければ届けに行くけど」  訓志は一瞬考えた。悪い人には見えなかったが、勇樹の留守中によく知らない人を家に入れたくない。 「ええと、僕、ちょうど出掛けるところなんです。用事が済みそうな時間帯に、お互い都合の良い場所で落ち合うのはどうでしょうか?」

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