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第2部・第16話 仕事のオファー

 翌朝、爽やかな目覚めに、訓志(さとし)は大きくベッドから伸び上がり、裸のまま気持ち良さげに溜め息をついた。 「はぁ……。すっきりした良い朝だな」  振り返ると、勇樹(ゆうき)は背中を向けて静かに横たわっている。 (まだ寝てる……? でも、勇樹が寝てる時は、大体しっかり寝息立ててるんだけど) 「勇樹、おはよう」 「……」  返事をしないが、何となく彼はもう起きていると思った。訓志は何食わぬ顔で、更に話し掛ける。 「朝ご飯、何が良い? オムレツ焼こうか?」 「……」 「 チーズも入れる?」 「……今日は朝ご飯いらない」  拗ねたような小声で、勇樹はようやく返事をした。その声はカサカサに掠れている。  訓志はベッドから抜け出ながら、声を掛けた。 「分かった。じゃあコーヒーだけ淹れとく。あと、お風呂にお湯溜めとくね」  振り返ると、分かるか分からないか微妙なくらい、小さく勇樹は頷いた。 (昨夜、勇樹、すごい乱れてたもんな……。僕は、求められるの嬉しいし、愛おしいんだけど。声が枯れるほど喘いじゃって、気まずいとか思ってるんだろうな。ふふふ、可愛い)  訓志は一人クスクスと忍び笑いしながらバスルームに向かった。 *  コミュニティ・カレッジは、一般的な短大と、専門学校、そしてカルチャースクールとを併せ持ったようなアメリカ独特の仕組みだ。広く(あまね)く、学ぶ意欲のある全ての人に学びの場を与える精神に基づいて誕生したらしい。医療系の検査技師や経理など実務的な授業もあれば、普通の大学同様、歴史や哲学等の授業もある。単位として認定してもらえるものは、それを引き継いで四年制大学へ編入することもできる。  訓志が最初に参加したかったのは、英語を母国語としない外国人向けの英語クラスだった。職業訓練的な専門性の高いコースの受講については、英語クラスに参加しながら追々考えることにした。どんな仕事に就きたいのか、自分自身もまだ考えが固まらなかったからだ。  高校中退の訓志にとっては、久しぶりの学校生活だ。期待に胸が膨らむ。嬉しくて、隅々まで学校のウェブサイトを見る。なんと、歌やダンスのクラスもあるではないか。 (……これ良い! 自分でも練習しようと思ってたけど、人に教わって、他の生徒に混じってやってみるのも、面白いかも!)  日本にいた時、ようやく動画配信でファンがつき始めたにもかかわらず、引っ越しや、落ち込んだりで、最近ろくにパフォーマンスできていなかった。ようやく、訓志の中で歯車が噛み合い、再び、好きな音楽やダンスをやりたいという意欲が湧いてきた。  歌のクラスでは、顔の筋肉や舌が痛くなった。日本語に比べると、英語の発音は、遥かに顔や舌の動きが大きい。しかも、歌では、普通に話す時以上に滑舌を求められる。普段使い慣れていない筋肉をたくさん動かすので、レッスンが終わった後は唇の端からよだれが垂れそうで、笑うのも辛いほどになる。それくらい、英語の発音の練習としても効果的だった。  ダンスクラスでは、しなやかで切れの良い身のこなしと、抜群のリズム感で、訓志は、他の生徒たちの度肝を抜いた。 「カッコ良い! サトシ、KーPOPのボーイズグループみたい!」 「あなた、どこかでダンス習ってたでしょう? それも、かなり本格的に」  興奮したのは生徒だけではなかった。目をキラキラさせた先生のジャネットに尋ねられ、気恥ずかしかったが、正直に打ち明けた。 「実は、十代の頃、日本の芸能事務所で練習生だったことがあるんです。デビューできなかったんですけど。そこで数年間、かなり練習しました」  事務所を辞めてから、人前で真面目に踊ったことは殆どない。みんなに褒めそやされて、嬉しさと気恥ずかしさで訓志の頰は赤くなる。 「サトシ、あなた、このクラスのティーチング・アシスタントやらない?」 「へっ? ……先生の助手ってことですか?」  ()頓狂(とんきょう)な声で訊き返すと、ジャネットは大きく頷く。 「お給料もちゃんと出るわよ?」 「……僕、まだ労働許可がないんです」  落胆した彼女の姿に、訓志は慌てて言葉を重ねた。 「お給料は受け取れませんが、僕で良ければクラスのお手伝いはします。ダンスで仕事のオファーがいただけるなんて、貴重な機会ですから。人に教えた経験はないので、僕にとっても学ぶことが多いと思いますし」  自分の好きなダンスを、人に教える。それが仕事に繋がるかもしれない。絶好のチャンスだ。訓志は貪欲に食らいついた。 「すごい! 日本の芸能事務所の練習生だなんて、プロみたいなものじゃない! 元プロがティーチング・アシスタントだなんて、こんな贅沢なダンスクラスないよね?!」  意欲に満ちた訓志の表情に、ジャネットだけでなく、訓志のダンスに魅了された生徒たちも歓声をあげて喜んだ。 「お給料を受け取ってもらえないのは残念だけど、その分、レジュメ(履歴書)に書ける経歴と、経験にして欲しい。もし良かったら、ダンスクラス全体のスタッフ・ミーティングや、このクラスの準備に参加してもらえない? あなたの時間を拘束してしまうけど」  訓志は力強く頷いた。 「もちろん参加します。ぜひ勉強させてください」  ジャネットはニッコリ歯を見せて笑顔を浮かべた。  それから訓志は、幾つかあるダンスクラス合同の全体週次ミーティングに参加している。先生たちの熱意に感銘を受けたし、クラス運営において、先生方みんなが、同じ信念・ポリシーを共有していることが素晴らしいと思った。 『ダンスの楽しさを知ってもらう。ダンスの上達を通じて、達成感を味わい、自信を持ってもらう』 「私たちのクラスに、ダンスのプロを目指している生徒はいないわ。でも、趣味の一環だとしても、今より上手く踊れるようになりたいって、意欲を持って来てくれている。あとは、普段は社会人をしていて、ダンスは息抜きというか、気分転換を求めている生徒も多いの。  サトシも、もし自分が趣味で習い事に行って、いきなり先生から厳しく細かく言われたら、嫌になっちゃうでしょ?」  ジャネットが、補足するように説明してくれた。訓志は、感心して深く頷いた。  英語クラスや歌のクラスには生徒として参加していたが、授業を受けながら、先生やティーチング・アシスタントの指導方法にも注意が向く。  日本では「間違ったら恥ずかしい」と思い、手を挙げるのに慎重になるし、先生も、間違った点を指摘することが多い。しかしアメリカでは、結果の良し悪しより、「チャレンジすること」を褒めていることに、かなり早い段階で気が付いた。授業では、発言した回数を数えられるほどだ。英語の優劣や内容の良し悪しではなく、積極的に声をあげることで、他の生徒も発言しやすくなる。  こういう文化は、まだ教師としての経験もない訓志にとっても、大いに力づけられるものだった。

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