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02
「いいかい、運命だからと言って必ず幸せになれるものではないんだ」
「…どうして?だって運命は、神様が決めたものなんでしょう?それなら、きっとすごく幸せになれるはずでしょ?」
「……君は、…否、言っても詮無いことだ」
「運命を見つけたら幸せになれるよ」
柔らかな日差しと、花や緑の香りを運ぶ風がカーテンの薄布を微かに揺らす穏やかな午後だった。
年嵩の、顔にいくつもの薄い皺が刻まれた聡明そうな狐の獣人と、幼い子供がいた。年嵩の男は黒板を前に何やら分厚い本を持って子供に何かを教えていた。
この世界に存在する、男女とはまた違う第二の性別。
彼はそれについて幼い少年に教える係を受け持っていた。
今日の課題は『運命の番』について。
少年はそれ知ってる、と得意げに胸を張ってまるで褒めてとでも言うように狐の獣人にアピールをする。
あまりにも有名な御伽話だ。だが、それが実在することを男はよく知っていた。
御伽話とは全く違うと言うことも、この男はよく理解していた。
「…リド」
「やあ、今日も美しいな私の番殿」
「…やめないか、殿下の前だぞ」
「はは、怒られてしまった。…良いですか、殿下。私と彼が運命の番と言うことはご存知ですね?」
「うんっ」
ひょいと軽く少年を抱き上げた狐の獣人と同じ歳のころの狼の獣人はそのふさふさな尻尾を番と呼んだ彼の腕に擦り付ける。マーキングに似た行動にあからさまに顔を顰めた獣人はバシンとそれを払い除けてしまった。
「ですがこの通り、私の運命はとてもつれない。いえそこを含めた全てが愛おしくてたまらないのもまた事実です」
「冷たくされても好きなの?」
「ええ、とても。それが運命ですから」
やけに広い、豪華な部屋にいる三人の顔はそれぞれ違っていた。
少年を抱き上げてだらしがない程に表情を崩して自分の番について甘く語る者もいれば、それを聞いて僕も運命の番欲しい!と目を輝かせる者もいる。
そして、能面のように無表情で、なんの感情もなくそれを見つめる者も。
運命の番についてはまだまだ謎が多い。
互いに愛し合っている場合でも運命でないこともある。運命が子供と老人の場合だってある。
それがどんな繋がりなのかは、未だに解明できていない。
けれど世界に広がる御伽話ではこう書かれているのだ。
ーーー
運命の番はあなたの半身。
命よりも大事な唯一。
元々一つだったものが二つに分かれたとき、神様はそれを哀れんで来世では離れ離れにならない様にと願いを込めて彼らに運命を植え付ける。
だから彼らが惹き合わさったとき、神は一つの細工を施した。
互いが一眼で己の半身だとわかるように。
引き離されない様に、硬い絆で結ばれるように。
神は、その者たちにしかわからない細工を施した。
ーーー
男はパタン、と静かに本を閉じる。
さあっと吹く風はカーテンを柔らかく揺らすことはなく、荒々しく舞い踊らせた。
夕方のオレンジ色の光が差し込む部屋で、男は窓から見える景色をただぼんやりと眺めていた。薄いオレンジは、記憶の彼方に仕舞い込んだ思い出に僅かな光を灯す。
「…しあわせ、か」
声というには小さくて、息と呼ぶには明らかな意味を持ったそれは風に乗って消えていく。
幼い頃は重たいと感じた本も、今となれば片手で事足りる。
男は一度その本の表紙を眺め、そして棚に戻した。
運命は、幸せになれない。
男は諦めた様に笑って部屋を後にする。頭の中ではその言葉がずっと繰り返されていた。
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