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02ー8

「君も知っていると思うが、殿下は悪魔だ死神だと言われていてね」 カチャ、と白磁の茶器を優雅にソーサーに置きながらリドさんは語り出す。 リドさんの書斎だという広くて本が所狭しと並べられた部屋の中央部に設置されている対面式のソファに腰掛けて俺はじっとその話を聞いていた。 「…実際のところ、根も葉もない噂だ。確かに殿下がお生まれの年は干ばつも洪水も起きた。だがそれはこの国にとっては別段珍しい事でも何でもない。時折起こる天災だったんだ」 きっとアイツが生まれた時の事を思い出しているのだろう、どこか遠い目をしてゆっくりと語られる言葉が何故だか耳に心地よかった。 「…なのに白虎というだけで殿下は忌子とされてしまった。…陛下も王妃様も、城にいる殆どのものが異質を受け入れられなかった」 すう、と目を細め息が混じり掠れた様な声で続ける彼の表情が微かに険しくなったのを感じ、そしてその声の中に篭る怒りに胸が締め付けられる様だった。 「…幼い頃受けるべき愛を受けれらなかった子供はどうなる…?歪んでしまうに決まっているじゃないか。…だから、私とソルフィであの子を守っていた。君を疎む世界が間違っているのだと、そう、教えたかった」 「……、」 嗚呼、とその時俺は泣きそうになった。 その理由は自分でも瞬時に理解できたけれどそれを口に出すのは寸でのところで堪えることができた。 心のなかに冷たいものが広がっていく様で、でも、内側からそれとは違う感情が生まれていくのも微かに感じていた。 「けれど、そんな簡単なものではなかった。一度植え付けられた感情は消えない。限りなく薄まるだけで、その人の中に留まり続ける。それは受けた側は勿論、それを受けさせた側にも共通して言えることだったのだ。…言葉にし続ければそれはいずれ誰も疑うことのない真実となり、覆すことは出来なくなる。…私はあの時初めてヒトが心底怖いと思ったよ」 部屋を出るまでは晴れていた空が暗く淀んでいく。 濃い灰色の雲が空を覆い、微かに開いた窓から吹き込む風に雨の匂いが混ざり出す。それに気がついたリドさんはゆったりとした動作で椅子から立ち上がり窓を閉めた。 トントン、と次第に雨粒が窓を叩きそれは瞬く間に土砂降りへと変わり、暗雲の中を閃光が迸る。一気に薄暗くなった室内を雷光が浮かび上がらせ、窓の外を泣きそうな顔で見ているリドさんを映し出した。 「…私たちが、…否、私が良かれと思ってしたことが全て裏目に出た。あの子は更なる迫害を受け、ソルフィは私の前から消えた。…あの子が私に言ったんだ。……俺に関わると大事なものが消えていく、と」 「…、」 今にも叫び出しそうな背中をただ見ていることしか出来ず息を呑んだ。 胸の奥が締め付けられる様に痛むのは、彼らに同情したからだろうか。そうじゃないのなら、この痛みはなんなのだろう。 経験したことのない訳のわからない胸の痛みに俺は胸元で服を爪を立てる様にして握り込んだ。 「……私から話せるのはここまでだ。これ以上は殿下の心に触れてしまう」 目を固く閉じて上を向くリドさんが堪える様な声で告げた言葉に俺はただ唇を噛み締める。 「ただ、これだけは言わせて欲しい。……ヴァイス様は優しい方だ。優しすぎるが故に、彼もまた全てを諦めている」 似ているんだ、君たちは。 外では雷が泣き叫ぶ様に響き続けていた。

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