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03ー9
「あらぁ、イチちゃんいらっしゃい!」
イチに連れられたお菓子屋では兎の獣人がイチを見るなり花が舞いそうなほど上機嫌で出迎えてくれた。そして俺を見るなり凄まじく警戒をするが今度はニイがジイさんの知り合いだというとまた難しい顔をした後にこの大人も引き下がる。
この過去を気にするなというのが難しい出来事の連続に思わず乾いた笑いが漏れてしまった。
けれどあの聡いジイさんのことだから今日の朝機嫌が悪かったとはいえこの事くらい予想していたように思える。
ふむ、と顎に指をかけて少し思考を深めようとした時に口に甘いものを突っ込まれた。
「ふがっ!!」
「アタシの店に来たってのにそんな辛気臭い顔すんじゃないよ。ほら、あんたほっそいんだからケーキのホールでも食って太んなさい!」
「ングっ、いや、でも、んな金ねえし」
「なぁに言ってんのぉ!お金なんて気にしなくていいのさ。ほら、これはあれだよ、試作品!誰かが処分してくんないと困るの。ねー、イチちゃん」
「うんっ!」
いや、経営者としてそれでいいのかという問いが出そうだったが純粋な善意の香りにそんな野暮な事も言えないなと息を吐くと笑みを浮かべる。
「ありがと。じゃあ遠慮なく処分させて貰いまーす」
フードのせいで口元しか見えないが俺が笑ったのが空気でわかったのか恰幅の良いお菓子屋の店主は満足気にふんと鼻を鳴らして嬉々としてケーキやお菓子を箱詰めしていく。
だからそんなにもらって良いのかと心配になるが店員も微笑ましそうに見ているからきっとこれは何時もの事なんだと思うようにした。
「ケーキとクッキーとシュークリームと、あとチョコレートのお菓子もあるっ!今日はパーティーだねニイ!」
「パーティー!」
目を星のようにキラキラと輝かせてはしゃぐ子供たちを見て頬が緩む。
けれど、やはりどうしたって不思議だった。
「どうしてこんなに気前がいいのかって思ってるだろう?」
「…あー、まあ」
ケーキの梱包が終わったのか店主が横に来ると俺の様子を見て理解したかのように問い掛けてきた。あまりに的確に言い当てられたものだから誤魔化すことも出来ずに床に目線を落とす。
「十年くらい前までこんなことできなかったさ。凄まじい程に貧乏だったし、飢えていたからね。それが変わった、それだけのことさ」
「…それだけって、」
「アタシも他のこの街に住む連中も飢えの苦しさは知ってる。だから同じ思いを子供たちには味合わせたくはないのさ。いい国だろう?」
眩しいものを見るかのように子供たちに視線を送り囁くような声音で告げられることは俺には到底事実として受け入れがたいものだった。たった十年、それでこんなに豊かになるものかと唇を噛んでしまう。
「…あんた、獅子の国のやつだろう?アタシの旦那もあそこのスラム出身だからね、」
匂いで分かると告げられてハッとして顔を上げると酷く優しい目が向けられていた。
「随分と傷付いてきたんだねぇ」
「………何、言って」
「あの方も口下手だからねえ、ちゃんと言えないんだろうさ」
クスクスと、どこかしょうがないなという風に、でもそこまでも優しく笑うその人から目が離せなくて息もできなくて固まっているとふわりと柔らかさに包まれた。
「ジイさんとやらはあんたが大事でしょうがないんだよ。でもあんたも知っている通り口下手だろう?だからきっとアタシにそれを伝えるように仕向けたのさ。アタシはおしゃべりだからねえ。…あーあー、こんなに細っこいなんて予想外だよ!あんたたち!ケーキもうワンホール追加しな!」
柔らかい暖かさも優しさも無条件で与えられたことなんてなかった俺はただ固まるしかできなくて、そんな俺に眉を下げて悲しそうに笑う店主が俺を抱きしめる腕を解いて今度は頭を撫でる。
「…さ、今日はもうお帰り。家で待ってる人がいるんじゃないのかい?」
「、…ぅおっ!」
「兄ちゃん、帰ろーっ」
「ジイちゃんが首を長ーくして待ってるよってお姉さんが!」
トトン、と腰に軽い衝撃がきてそちらに目線を向けると両手にいっぱいのお菓子を抱えた子供達がいて我に帰ると小さく頷いた。
「ん、帰ろうか」
「はーい!ミシュリーさん、またねー!」
「ねー!」
「今度はジイさんも連れてくるんだよー!」
ミシュリーと呼ばれた店主は悲しい笑みを一瞬で消し去って子供たちに満面の笑顔で手を振り、俺に目線を向けると口を何度か開けて言葉を伝える。
がんばれ、そう伝えられたが俺は一体何をがんばればいいのだろう。だがすぐに浮かぶ顔があり、思わず息を吐いた。
「ジイちゃん喜ぶかなぁ?」
「絶対喜ぶ。だって甘いの大好きじゃん」
「…そうなの?」
俺の問いかけに子供たちはキョトンとした後に二人揃って笑顔で頷いた。
ああ、俺はあんなに長く一緒にいたのにあの人の好物も知らなかったのかと自嘲気味に笑う。
どうしたものかな、両手に抱えた荷物を見て俺はため息を吐くのだった。
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