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04ー8
部屋の窓が開けっ放しだったのだろうか、夜の匂いと共に少し冷たい風が頬を撫でて沈んでいた意識がふわりふりと浮上していくのがわかった。
いつの間に眠っていたのだろうか。俺の体はベッドに横になっていて、目を開いた先にあったのは見知った天井だった。
ベッドと、木でできた小さな丸テーブルに一脚の椅子、服が数着入るクローゼットに本棚だけがある俺の部屋に何故だか優しい匂いが満ちていて未だに寝起きで薄く霞がかかったような頭ではそれがなんなのか理解できず、窓から差し込んだ柔らかな月明かりをぼんやりと見つめた。
白いカーテンが夜風で揺れる様を見てただぼんやりと、アイツの髪みたいだと、そう思った。
「……起きたか」
「、」
凪いだ水面に雫が落ちたようにその声が小さな部屋に広がった。
窓とは反対側に顔を向けるとそこにはドアに寄りかかってこちらを見ている白い男がいた。
「…なんで、居んだよ。まだ用でもあんの?アルはすげえ忙しそうだったのに、アンタは暇なわけ…?」
不思議と嫌悪感が湧かなかったのは何故だかこの男が今にも死にそうな顔をしていたからだろうか。
からからに乾いた喉からは掠れた声しか出ず、頬にピリッとした痛みが走った事で自分の意識が途絶えた間際のことを思い出して自嘲気味に笑う。
あんなのただの八つ当たりだ。
肘を使って体を起こすと右肩に鈍い痛みが走り、思ったよりも強くぶつけていた事に気がつきこの服の下は青痣になっているのだろうなと思えば溜息が出るのは仕様のない事だった。
「……なあ、俺の話聞いてる?それとも俺みたいな劣等種の声は聞こえない性能な」
「聞こえてる。…どうすればお前と話せるか考えてたんだ」
「……だから、俺に子供は産めねえんだって。それ以外になんの話があるんだよ」
「山のようにある。ただ、」
不自然なところで言葉を切った男はゆっくりとドアから背中を離すと俺に向かって一歩踏み出した。
それに無意識に体を強張らせて息を詰めた俺を見て、やはりアイツは辛そうに眉を寄せてギリ、と牙を食い縛る。ふわりと漂う香りや耳に届く音は悲しいと、辛いと俺に訴える。それがアイツの感情だなんて俺には到底信じられない。
だけどこの悲しみの匂いは俺が意識を失う直前に嗅いだものと同じだった。
「――お前を俺の側から離そうと、遠ざけようとした。それがお前を守る為だと、俺は信じて疑わなかった」
歩む足を止めて腕を伸ばしても届かない距離でアイツが語る言葉は、まるで異国の言葉のようだった。
「…だがそれは守るどころか、取り返しがつかないほどお前を傷つけるだけだった」
夜の空気の静けさが言葉の一言一句を浮き立たせて、乾いた土に染み込む水のように俺の中に入り込んでくる。
ギシリと心が軋む。そんなの嘘だと、こんな言葉有り得ないと俺の心が拒絶するのとは反対にアイツからする匂いも音も、その全てが剥き出しで。
そこに嘘なんて感じられなかったんだ。
「…ソロ、」
――傷付けてすまなかった。
吐息のような掠れた声で紡がれた言葉が耳に届いて、俺は子供のように泣き出した。
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