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04ー13

「…でも、そうじゃなかった」 重たく、ぽつりと零された言葉は俺の胸にずしりとのしかかった。 思い出すだけでただ辛くて悲しくなる、俺が俺じゃなくなるような記憶が蘇って俯きながら唇を噛む。 あの日、気配だけで意志の全てが奪われた。 言葉だってうまく話せずただ訳の訳の分からないままΩとしての本能が嬉しいと歓喜に震えて身体がそれに飲み込まれた。 俺がどれだけΩとして欠陥品でも、結果はこうだ。 もし俺がまともなΩなら、スラム育ちなんかじゃなくてちゃんとしたまともな家の生まれだったら、もしかしたらトレイルの言うが待っていたのかもしれない。 けど、現実はそうじゃなかった。 「…ソロ君が運命を呪いだって言った意味がようやくわかったんだ。本来なら交わる筈のない道なのに運命だって理由で無理矢理雁字搦めにされて、どれだけ嫌でも離れられない。だから、」 ――君も逃げなかったんでしょ? 静かに、けれど確かな意思を持って告げられた言葉が俺の心に突き刺さる。 思わず顔を上げると、そこには言葉同様にただ静かに俺を見据える目があった。 ただそれも一瞬ですぐに目を閉じるようにして笑みを作ったトレイルはテーブルに腕を置いて指を組んだ。 「…逃げようと思えばいつでも逃げられた、よね?そういう風にしてたんだ。だけど、君は逃げなかった。…それは君たちの間には自分じゃどうしようもできない呪いがあったから」 淡々と語るトレイルからは何の匂いもしなかった。 悲しみも、辛さも、かと言って嘲るわけでもなく、ただ自分が思った事を言葉にするトレイルのこういうところが俺はどうしようもなく苦手だった。 トレイルは、少しだけアルヴァロに似ている。 人の触れられたくない部分を、こいつもまたよく見ていた。 ただアイツと違うのは、コイツには感情がある事だ。 「…、」 城の中なのにやけに兵士がいないとは思っていたんだ。確かに一人で出歩く事は出来なかったけれど、違和感を感じる事なんていつだってあった。 部屋にある大きな窓、そこから見えた街の景色は何も俺のいた部屋が高い場所にあったからじゃない。 わざわざ、そういう場所が見える部屋を選んでいたんだ。 飛び降りられる高さの部屋、警備の薄い城の中、歓迎されていないならしょうがないとも思っていたが、そうじゃなかった。 「…ヴァイスは、君を逃がそうとしたんだ」 「……、」 「…わかってる、不愉快だなんて事は。でもちゃんと聞いて欲しい」 アイツの名前が出て、それを擁護する言葉に身体が冷えていく感覚がして、それを敏感に感じ取ったトレイルが少しだけ語気を強めた。 「…初めて君とヴァイスが出会って君が窓から飛び降りた日、あの後本当にヴァイスは君を探そうともしなかったんだ。それはソロ君に興味が無かったからじゃない。嫌ってたわけじゃないんだ」 いつ逃げるかも心を閉ざすかもわからない俺を繋ぎ止めようと張り付けていた笑みを捨てて必死に言葉を紡ぐトレイルの姿に、やはり俺は心が冷えていくのを感じた。 やっぱりお前もアイツの味方なのかと目を伏せた時、ゴン、と鈍い音が鳴り響き俺はびくぅっと肩を跳ねさせた。 そこには今度こそテーブルに額を打ち付けて頭を下げるトレイルがいて、俺は目を丸くした。 「、ボクは孤児だ。だから君の貴族を嫌いな気持ちも、蔑ろにされて全部が嫌になる気持ちもよくわかる。…だけど、ヴァイスはボクの友達なんだ。…頼む、これはアイツの友人としてのお願いだ。…許してとは言わない。一生憎んでくれていい。だから、もう少しでいい」 絞り出すように、一縷の望みをかけるように訴えるトレイルの姿に俺は嫌になった。 「…話を、聞いて下さい」 微かに震えた声はコイツの本心なのか演技なのかすらわからない。 未だにアイツへの嫌悪は変わらないけれど、トレイルの事は嫌いじゃなかった。 ああ、付け込まれた。 自分の甘さ加減に俺は自分が嫌になった。

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