82 / 155
05ー21
未だにプロテクターの嵌められていない首を撫でればそれを見たジイさんが少し顔を上げた。
「…まだ色々聞いてもいい?」
「…いくらでも」
それから視線を逸らさせる様に紡いだ言葉に頷きで返してくれた優しさにまた笑みが浮かぶ。
「…そんなに嫌いだったのになんで」
「今になって会いに来たのか、だろう?」
その問い掛けは予想していたのか被せるようにして言葉を発したジイさんは昔の話をしていた時よりもずっとすっきりとした顔をしていた。
「…これはお前に確実に大きなお世話だと言われると思うが、お前とヴァイス殿下の事がどうしても気掛かりでな」
「……は?」
思っていなかった言葉に俺は目を丸くしてジイさんを見る。するとそこには苦笑を浮かべるジイさんがいて俺は首を傾げる事となった。
「…それと、少し会いたくなった。リドリウスに」
その言葉も、きっと本心なのだろう。
ジイさんは俺を見た後にすっと目線を窓の方へと向けて、そこから見える景色に眩しそうに目を細めた。
「……ここはいい国だろう。飢えに苦しみ、渇きに喘ぐこともなく、殴られず蹴られずにヒトとして生きていけるこの国は」
いつか聞いた事のある台詞に俺は目を瞬かせる。
今度こそそれに頷いて見せればジイさんは嬉しそうに笑ってみせた。
「…十年掛かったらしいな。こうなるまで、十年も。…長くも短くもある時間だが、それでもその時間で獅子の国のスラムと同等だった地域をここまで変えてみせた」
誇らしげに、だが少し寂しそうで、辛そうでもあった。
色々な色が混ざるその表情にきっと俺では推し量れない思いが渦巻いているのだろうと思うと同時にこの街がジイさんの気持ちを変えたのかと思うと、それもまた不思議だった。
「…儂はあいつの気配を感じるのも嫌でよく街に降りて奉仕活動をしていた。スラムに住むヒトに施しを与えて慈善活動に勤しんだ。…始めはあいつとの時間を減らすための口実に過ぎなかった。…こう言葉にすると、最低だな」
目線は相変わらず街に向けたまま、窓から吹く風に髪がさらわれる。
「……どうやってのけたかは知らんがこの国を変えるきっかけを作ったのはリドリウスだ。あいつが動き国は変わった。…それが儂のためだと、そう思うとな。あいつはどこまで馬鹿なんだと、そう思わずにはいられなかった」
微かに息を震わせて額を覆う様に片手で押さえながらジイさんは天井を仰ぎ見た。
「そう思うと逃げ続けることが馬鹿らしくなった。……いや、違うな。……向き合うことから逃げるのをやめた」
ポツリと溢れた言葉がふわりふわりと俺の中に落ちていく。
「王城までの道のりを歩きながら考えた。確かに儂はリドリウスが憎かった。…だがな、あれが悪人でない事はわかっていた。ヒトとは面倒なものでな、一度嫌いだと、憎いと思ってしまうとそれを覆すことが出来なくなる。…ある種の意地だったのだろう。…あんな目に合わせた男を許してなるものかと、儂から尊厳を奪い飼い殺しにしたあの男を許す事は間違っているのだと」
まるで自分のことを言われているかの様に心臓が痛む。
ぎゅうっと胸元の服を握れば噛まれた指が痛んでハッと正気に戻り未だに天井を仰ぐその姿を見た。
「…許さないことも出来た。だが、許せたのだ。それと同時に、儂は儂の罪も認める他なかった」
「罪…?」
「…辛いのは己だけだと思い込んだ罪、だな」
すっと、老いて尚鋭い目線を向けられて俺は思わず背筋を伸ばした。
そしてその言葉は俺の胸にナイフの様に突き刺さる。
「…これはお前の人生だ、お前が一番幸せになれる道を行くといい。儂はこの道を選ぶまでに十年掛かった。だがその十年を後悔したことなど一度もない。そして逃げた事を悔いてもおらん」
対面と言っても手を伸ばせば届く距離だ。
ジイさんは少し体を前に出して顔面を蒼白にしているだろう俺の頭を撫でた。
どうしたって不器用なその手つきに少しだけ安堵するが、嫌な汗は止まらずに救いを求める様に見上げればジイさんはゆっくりと首を横に振って見せた。
「自分で決めなさい、ソロ」
突き放す訳ではなく、優しい声で告げられた俺にとって残酷な言葉は嫌なほどすんなりと俺の中に染み込んでいく。
それは自分でもそうしなければならないとわかっているからだ。
「……お前がどんな道を選んでも儂は味方でいよう。今度こそな」
その言葉に俺は頷くことしかできなかった。
ともだちにシェアしよう!