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好きなものより嫌いなもの方が圧倒的に多い人生を歩んできた。 嫌いなものを見極めて、それにはなるべく近づかない様に目立たない様にして生きる。それが俺なりの処世術で、生きる術だった。 痩せた体も、目つきが悪いと何度も殴られた顔も大嫌いだった。 俺がもっと他のΩみたいに柔らかい体と愛らしい顔を持っていたらと思ったことは、実は一度や二度じゃない。 Ωである自分がたまらなく嫌いなのに、Ωらしくあればと願う矛盾もあり、そんな自分も大嫌いだった。 人や環境を恨むより、自分を嫌った方が人生が平和だと気がついたのは幾つの時だっただろう。 自分を大切にして周りを恨むより、周りを受け入れてそれに順応できない自分を憎んだ方が余程楽だった。 そうすることで俺はスラムを生き抜くことが出来たし、その生き方を否定しようだなんて気は今だって起きない。 ああしなければ生きられなかった。死ぬ勇気も殺される勇気も持たなかった俺には生きられるところまで生きるという選択肢しかなくて、そうする為には腐ったネズミだって食うしかなかった。 だけど、いつからか俺には大切だと思う人が沢山できて。 今までだったら何をされたって口答えしなかった身分のやつに声を上げる様になった。 可愛くてしょうがなくて、守りたいと思える人も出来てしまった。 これがいい変化なのか、そうじゃないのか俺にはわからない。 今の自分が好きかと問われてもきっと首を縦に振ることはこれから先一生できないだろう。 そうする事で悲しむ奴らの顔が浮かんでは消えて、そう思える様になった自分に少し笑えた。 俺は俺が嫌いだ。 この想いはきっと一生変わることなんてない。 だけど、俺の自惚れじゃなじゃったら、きっと。 俺を好きだと言ってくれる人たちはきっとそんなところを含めて好きでいてくれるのだと、俺はそう信じたい。 そう信じて、あとは進むだけ。 不安と期待が入り混じる、それはきっとこの感情のことを言うのだろう。

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