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09ー8
コイツが怒っている匂いは何度か感じた事がある。けれどそれは随分前の事だし、最近で言えば俺がアルヴァロに指を食い千切られそうになった時だ。
それ以降俺に対する怒りの匂いを感じた事がなかったせいか僅かなその気配ですら俺の体は怯えてしまい顔面から血の気が引いた。
あれ、と自分でも異変に気がついたがそれよりも先にアイツの手が俺の肩に触れて俺の体ごと振り向かせる。そこにいたのは間違いなくヴァイスなのに、俺の体は震えてしまっていた。
「お前、どうしてこんなところにっ!…、ソロ?」
「ご、ごめ」
切羽詰まった様な声で怒鳴られ、俺の耳は面白いくらいに垂れ下がり体も萎縮した。
久しぶりに感じる感覚に自分すら理解が追いつかず奥歯を震えで鳴らせば俺の様子に気がついたヴァイスの手が俺の頬に触れる。
「何かあったのか?怪我は、」
「ちが、ちがう、なんでもないっ」
触れられた途端にまた体を跳ねさせた俺を見て今度はヴァイスの顔から表情が消える。
漂う匂いにハッとしてすがる様にやけに豪華な服を握り自分から体を寄せた。
「ちがう、ちがうから、驚いただけだから」
「ソロ、」
「ヴァイスっ!」
困惑と悲しみと諦めの匂いと音がどんどん強くなる。
俺に触れていたアイツの手から力が抜けていくのを感じて思わず大きな声で名前を悲鳴の様に呼んでいた。
雪が降る街の外れ、祭りはまだまだ続いている中賑やかな声が微かに届く。
賑やかなそことはまるで隔絶されたかの様な世界に俺とヴァイスはいて、微かな雑踏だけが届く場所に俺が呼吸を荒くする音がやけによく響いた。
「…頼むから、お前が諦めんのはやめて。お前が俺を信じてくれないと、俺前に進めない」
服を掴むだけだった手を解いてヴァイスの背中に回す。
コイツが来ているお高い服が皺だらけになっても構うものかと、思い切り抱きつくとヴァイスから何かに耐える様な、軋んだ音が聞こえた。
それがどんな感情から来る音なのか俺にはわからなかったけれど、壊れ物に触れるかの様な手つきでヴァイスの腕が俺の体に回った事で安堵の息を吐いた。
その頃には震えは治まっていてその事にも胸を撫で下ろした。
見たことのない様な繊細な刺繍があしらわれた豪華な衣装の胸元に顔を埋めて思い切りヴァイスの匂いを深呼吸しながら吸い込んでいれば頭上で息を吐く音が聞こえて顔を上げる。
「……本当に怪我はないのか?」
「…ん、ない。大丈夫。…てか、なんでお前こんなとこにいんの?今日すげえ忙しいってトレイルが」
「……お前がいなくなったってアイツらが伝えに来た。それで探しに来ただけだ」
「来ただけって、」
「俺にはお前以上に優先することなんてない」
掠れた声音で紡がれた言葉に目を見開けばヴァイスはどうしてか泣きそうな顔で俺のことをじっと見つめていた。胸が締め付けられる程切なそうに、けれど優しい目で見られて体の奥からじわりと熱が生まれる気がした。
「ソロ、」
何かを伝えようとして開いた唇はその言葉を告げることなく閉じられる。
眉間に深く寄った皺や、何かを耐えている様な匂いに目を細めた。
背伸びをして鼻先を触れ合わせ、互いに抱き締め合うこの姿はやはりどこか歪に感じるがそれでもこの形にどこか満足感を得ている自分もいた。この歪さがきっと自分の弱くて汚い部分を隠してくれる様な気がして、向き合わずとも、口に出さずともこのままでいられる事を俺は知っていた。
未来は無限にある。その言葉が嫌にこびりついていた。
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