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Mary

じゃり、と乾いた土を踏む音がした。 固く干からびた地面に、草木の育ちにくい乾いた大地。冬になれば容赦無く雪が降り、春になれば根の這わない土に大量の雪解け水が吸い込まれ地盤が緩み地形が変わる。 この土地では春は歓迎された季節ではなかった。 冬から春に変わろうとしている季節、相変わらずの痩せ細った大地にソロは懐かしさを覚えた。 けれど、記憶にあるよりもほんの少しだけ緑が増えている気もして笑みを浮かべる。 雪で滑らないように注意しながらゆっくりとした足取りで進みながらふと後ろを振り返った。 「いや悪いね、お貴族様にこんなとこ歩かせて」 「お前だってもうそのお貴族様だろうが」 「俺はいいんだよ」 長い白銀の髪を靡かせながら歩く番に笑みを深めて更に先へと進んでいく。 向かう場所は、エルドの丘だ。 スラム街を含めた獅子の国が見渡せる場所で足を止めた。 あの日立てた木の十字架はとっくの昔に朽ちてしまったのだろう、そこには一見すると何もなかった。けれどソロは一点を見つめて、すっとその側に膝を着く。 「…マリー」 「はいっ」 鈴を転がしたような、けれど元気な声が乾いた土地に広がりソロは息を吐くようにして笑った。 背中にぴとっとくっついて離れようとしない幼い子供をヴァイスが慣れたように抱き上げる。 「やーっ!パパやだっ!ソロがいいーっ」 「…馬車の中でクッキー食ったのまだ怒ってるのか」 「許さないもんっ!トレイルがマリーのために作ってくれたのにー」 丸く白い耳に、長い尻尾、薄茶色の髪や瞳を持った小さな子供は頬をぷっくりと膨らませてヴァイスを睨むように見ていた。ベチベチと抱える腕に尻尾を叩きつけている辺り相当ご立腹らしい。 「あれはパパが悪いなぁ。…さ、おいでマリー。挨拶しよう」 「うんっ」 ぴょん、とヴァイスの腕から抜け出したすぐ隣へと並ぶ。 ソロに似て少し癖のある、けれど柔らかい髪を撫でれば喉をごろごろと鳴らし、そんな我が子の可愛さに頬を緩ませながら目線を地面へと向ける。 雪と、乾いた土と、僅かな緑があるこのエルドの丘は春に唯一は花が咲く場所でもあった。 今は蕾の草木も、あと数ヶ月もすれば花開くのだろう。 「…本当はもっと早く来るつもりだったんだぞ?それなのにこいつがさ、俺と一緒じゃないと許さねえとか言うからマリーもすっかり立派なお姫様になっちゃったわ」 腹に命が宿った時、信じられない気持ちでいた。一生望めないと思っていたからだ。 けれど驚きは直ぐに喜びに変わり、そして愛に変わった。 産まれた子供があまりにも可愛くて泣いてしまったのは記憶に新しい。 「…俺、王弟殿下の嫁なんだぞ。すごくね?あ、王様の弟ってことな。めちゃくちゃ偉い人」 「えらいひとー!」 「じゃあもっと敬え」 「マリー、パパ置いてジイさんのとこ泊まりに行くか。1ヶ月くらい」 「冗談だ」 マリーを挟むようにしてヴァイスも地面に膝を着いた。するとマリーの尻尾がヴァイスの腕にするりと巻き付き、それに気付くと緩りと目を細めて指の背で瑞々しい頰を撫でる。 「もう怒ってないか?」 「パパがごめんなさいするまでは怒ってるもん」 「……悪かった」 「いいよーっ!」 きゃっきゃと笑って抱き付くマリーをしっかりと抱き締めたヴァイスの顔はとても柔らかくて、ソロも表情が緩む。 「なあヴァイス」 一緒にいる事が当たり前になって数年が経つ。 「…今、幸せか?」 その問い掛けにヴァイスは微笑んだ。柔らかく、愛おしそうに微笑うその顔はともすれば泣きそうな顔にも見えた。 「    」 さあっと吹く風にさらわれたその言葉はしっかりと心の奥底にまで届いたような気がして、ソロも笑う。 幸せになりたいだなんて思ってなかった。 なれるとも思ってなかった。 けれど、胸に広がるこの気持ちは、きっと幸せと言って間違い無いと思うんだ。 「御三方ー!そろそろ時間だよーっ」 聞き慣れた声が後ろから聞こえて来てソロはゆっくりと立ち上がった。 墓石も、十字架もない、けれど間違いなく小さな子が眠るそこを見つめる。 「…また来る。その時は花がいっぱい咲いてたらいいな」 「…行くか」 同じように立ち上がったヴァイスがソロの頭を撫でる。それに頷いて返して、マリーの小さな手を2人で握った。 「マリー、またね」 歩きながら後ろを振り返った我が子が紡いだ言葉に2人して微笑みあった。 両親を見上げたマリーもまた笑う。 それを遠目から見ていたトレイルも目を細めた。見ている者の心が和らぐそれに、春の陽射しのような笑顔だと、そう思った。

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