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第10話 旧交【岳秋】

 新聞社勤務時代の同期・紺野(こんの)から、岳秋(たけあき)に電話があった。 「よお、黒崎(くろさき)。紺野だ。ご無沙汰してすまん。お前の交通遺児の写真、見たよ。相変わらず良い仕事してるな。元気か?」 「おぉ! ……久しぶりだなあ、紺野。お前こそ元気か?」 「俺は相変わらずだ。まぁ何とかやってる。……遅くなったけど、奥さんのこと、ご愁傷様だったな。一度そっちに行って良いか?」 「勿論だよ。何にもないとこだけど歓迎するよ。いつでも来い」  電話してきた週末、紺野はU市にやって来た。 「いやー、こっちは空気がうまいなぁー」  少しぽっちゃりした体型の上に、童顔の丸顔を乗せた紺野は、小学校の先生と言っても通用しそうな温厚な雰囲気だ。 「初めまして、紺野です。君が、あの写真のモデルの義弟(おとうと)君だね?」  ニコニコと人懐っこい紺野に、人見知りの激しい春樹(はるき)も思わず、はにかみながら笑顔を見せた。 「初めまして。白石(しらいし) 春樹です」 「……おい、黒崎! なんで後ろ姿しか撮らないんだよ! 春樹君の顔が写ってたら、きっとすごい反響が来てたぞ。『あの美少年は誰?』って」  紺野の抗議に、岳秋は溜め息をついた。 「だから敢えて後姿にしたんだよ。春樹は一般の高校生だぞ? マスコミの餌食になったら、どんだけ人生変わるか。俺は骨身に染みてるからな」  二人に中に入るよう勧め、お茶を出した後、春樹は自分の部屋に戻った。  互いの近況を語り合い、共通の知人の消息で盛り上がった後、紺野は本題を切り出した。 「当時の上司たちも、地方に飛ばされたり出向したりで、もう本社の中枢にはいない。俺たちの同期が、キャップになる。現場の実権は俺たちだ。あの頃のことを気にしてる奴はいない。……黒崎、戻って来いよ。東京へ」  彼の表情は真剣で、単なる社交辞令ではないことは明らかだった。 「……そんな風に言ってくれて、ありがとう」  岳秋は、紺野に軽く微笑みかけた。わざわざ数時間かけて会いに来てくれ、彼の利害と関係なく、純粋に友情で古巣に戻れと説得してくれる紺野に感謝した。  しかし、岳秋が覚悟を持ってU市に移住し、六年が経っている。転勤族ですら愛着が湧いて離れがたくなるのに、十分な長さだ。簡単に「はい、そうですか」と答えられる話ではない。  遠い目で思いを巡らせている岳秋を眺め、その心中を察した紺野は、別の方向から背中を押す。 「春樹君、あと一年ちょっとで大学進学だろ? 良いタイミングじゃないか。彼、頭良さそうだよな」 「ああ。ハルは県下で一、二を争う進学校で成績上位だ。東京でも、それなりの大学に合格する学力は十分あるよ」  自慢の義弟(おとうと)のこととあって、口が滑らかになった岳秋に、紺野は畳み掛ける。 「そんな優秀な子を地方に置いておくのは、もったいないよ! 東京に出た方が、就職のチャンスも広がるし、見聞も広がるだろ?」  大事な義弟を人質に取られ、岳秋はウグッと言葉に詰まった。 「それに春樹君て、すごい美形だよなぁ~。亡くなった奥さんも美人だったのか?」  感心したように言う紺野に、岳秋は苦い薬を飲まされたような表情で釘を刺した。 「……本人には『お姉さんに似てるの?』って言うなよ。あいつ、それ気にしてるから。禁句な」  まるで自分の話題になったのを見透かしたかのように、春樹が部屋から出てきた。 「そろそろ、食事の支度しようかと思うんだけど……」  席を外す口実ができたと、岳秋は立ち上がった。 「そうだな! 紺野、今日は泊っていけよ! 久しぶりだし、ゆっくり飲もうぜ。俺、酒買って来るわ。せっかくだから地酒飲んでけよ。な?」  いそいそと出掛ける岳秋の後ろ姿を見送り、春樹は紺野を振り返った。 「……義兄(あに)、逃げるように出ていきましたね」  春樹の呆れ顔に、紺野は噴き出した。 「さすが義弟(おとうと)さんだ。一瞬で見抜いたね」 「あの人、分かりやすいですから。隠し事なんか絶対できないタイプだし」  紺野につられ、春樹もクスクスと笑った。 「東京に帰って来いって説得してたんだ。お義兄(にい)さんは優秀なジャーナリストだ。失礼な言い方なのは重々承知だが、地方にいるには、彼はもったいない人材なんだよ」  紺野は、春樹が多少自分に心を開いたと見て、腹を割ることにした。 「なんで義兄は賞をもらうほど優秀な記者だったのに、新聞社を辞めたんですか?」  紺野に応え、春樹も一歩踏み込んだ質問を投げかける。瞬間、紺野の顔から笑みが消え、戦う男の表情になった。 「賞をもらった写真が、辞める原因でもあったんだ。上司の出世競争のネタに使われてね。  デスク二人が、それぞれ自分の部下の写真をコンクールで推した。二人とも、自分の人脈を駆使して根回しした。コンクールで賞を獲ったのは、黒崎だった。その直後に昇格したのは、黒崎の上司だった。  ……今思えば良くある話だ。それに、権威ある賞だから、コネだけで決まるわけがない。あいつの実力なんだ。競った相手は、あいつの兄弟子でね。彼は新聞社を辞め、ジャーナリストとしても筆を折ってしまった。それもあって、社内では、やっかみ半分『コネ受賞した挙句、先輩を追い出した』みたいな陰口もあった。  黒崎は居たたまれなかったんだと思う。『読者や社会に何かを問うこと以外に、自分の写真が使われるのはイヤだ』って、俺に言い残して辞めたから。青臭い奴だよね。でも、だから黒崎の写真はストレートに人の心を打つんだと思う」  紺野は岳秋の才能に敬服している。性格も外見も正反対だが、それ故に二人は親しかった。しかし、岳秋が辛い時に何もしてやれなかったと長年悔やんでいた。周りの環境が変化しつつあることを肌で感じ始めたタイミングに、久しぶりに彼の作品を見て、矢も楯もたまらずU市まで駆けつけたのだった。 「……僕の姉も、義兄(あに)を好きになったのは、彼の写真に優しい人柄が見えたからだって言ってました。僕も、そう思います。義兄の居場所は、本人が納得いく仕事ができるなら、どこでも良いと思ってます」  静かに春樹は微笑んだ。 「春樹君、成績優秀なんだって? あいつ自慢してたよ。東京の大学においでよ。黒崎の仕事の話は別にしてさ」  彼も戦う男から愛嬌ある笑顔に戻った時、ちょうど岳秋が地酒を抱えて帰ってきた。二人は酒が進むにつれて笑ったり泣いたり、旧友同士の貴重な語らいの時間を過ごした。最後は居間で雑魚寝した。翌朝、二日酔いに苦しみながら紺野は帰っていった。 「黒崎。たまには東京に来てるんだろ? 今度は春樹君も連れて来いよ。美味いもん食わせるから。お前、ホント良かったなぁ。できた義弟さんで。良い理解者だし、甲斐甲斐しいし。……今じゃ、春樹君が、お前の嫁さんみたいだな」  彼が何気なく発した最後の一言に、岳秋の頬は微妙にひきつり、春樹は素知らぬ顔で目を逸らした。

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