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「はぴコネ」はアニメ作品でもあるが、そもそもの始まりは男性アイドル育成型のスマートフォンゲーム――いわゆるソシャゲだ。
アイドルジャンルということもあり、キャラクターの声を演じている声優たちが出演するライブも定期的に行われている。ライブでは歌だけではなくダンスも披露しなければならず、ライブ前には数ヶ月に渡ってダンスレッスンが行われる。
壁一面が鏡張りになっている、ダンスレッスンという用途のためだけに作られたスタジオのドアを開けると、悟は鏡の中に素早く視線を走らせた。
――いた!
室内を余すところなく映してくれる鏡張りの壁に今日ほど感謝したことはない。きょろきょろとあからさまに視線を巡らせなくてもすぐに目的の人物を見つけることが出来た。
「真木さんっ!」
「おはよ、悟」
昨日、篠原にあまり早く現場に来るなと言われていたが、やはり真木は悟よりも前にスタジオに入っていた。顔出しのないアフレコの時でも、常に清潔感のあるシャツを着ている真木だったがさすがに今日はジャージだ。
「おはようございます」
「ちょうどよかった。柔軟してたんだけど、体硬くてさー。背中押してくんない?」
「はい」
言われるがまま背後に回ると、両手で真木の背に触れる。細身だが悟より十センチも身長が高い真木の背中は、実際に触れてみると見た目よりもがっしりしている。
悟が少しずつ手のひらに体重を乗せていくと、その分だけ真木の体が沈んだ。
「全然体硬くないじゃないですか」
「そんなことないって……んぅ」
このままだと簡単に床にくっついてしまいそうだ、と思った矢先に真木の体がぴたりと動きを止めた。それと同時に、昨夜聞いたばかりの声が真木の口から漏れる。
「あ」
「ご、ごめん。変な声出ちゃった」
「いえ、その声聞いて思い出しました」
「え……、何を」
悟が背中を押していた手を離しても、真木の体は沈んだままだった。構わずに悟は真木の正面に周り込む。けれど一向に真木が起き上がる気配がないので、悟はそのまま口を開いた。
「真木さん、俺に喘ぎ方教えてもらえませんか」
図々しいお願いだという自覚はあったので、頭をぺたりと床にくっつけた。事情を知らない人が見たら、悟が真木に向かって土下座している風にしか見えないだろう。いや、真木も開脚をしたまま床に頭を付けているから、むしろ不思議な光景かも知れない。
「……はあっ⁉」
バネ仕掛けのおもちゃのように勢いよく真木が上体を起こした。
「真木さん今度、表の名義でBLCDに出ますよね?」
「うん……」
やけに歯切れ悪く真木が頷く。
「俺もそのCD出れることになったんです。しかも真木さんの相手役で!」
昨日の今日だから、まだ相手役が悟になったことを知らないのだろう。真木の反応が芳しくない理由に、そう当たりを付けた悟は勇み立って告げる。きっと真木も喜んでくれるに違いない。
「はあ……」
しかし悟の予想に反して真木の口から漏れたのは重いため息だった。BL現場を経験したことのない自分が、相手役を務めることが不満なのかも知れない。と思ったが、悟の知っている真木の人となりでは仮にそうだったとしても、それをこんなにあからさまに表に出すとは思えない。
「あの、俺はたしかにBLに出るのはじめてですけど、真木さんの足引っ張らないように勉強します。昨日も真木さんが裏名で出てたCD聞いて」
「ああ、ごめん。そうじゃなくて」
その「ごめん」は何に対して向けられたんだろう。勉強するとか、そういう次元の話じゃないってこと? 思ったけれど、疑問を口に出すことは出来なかった。
「おはよーって二人して向かい合って何してんの?」
一緒にダンスレッスンを受ける先輩がやって来たからだ。
「ていうか悟、まだ着替えてないの?」
「あ……すみません、すぐに着替えてきます」
「いや、俺に謝んなくてもいいけどさ。今、更衣室混んでるから、まだ女性陣来てないしここで着替えちゃえば?」
「はい。ありがとうございます」
教えてくれた先輩に頭を下げると心持ち、レッスン室の端に寄ってジーンズのボタンに指を掛ける。
「待って」
ぱしっと軽い音を立てて、手首を真木に掴まれた。
「真木さん?」
「あ……、えっと」
悟の動きを止めた張本人の真木が言葉を詰まらせる。いくら可愛がってもらっている(自覚はあった)先輩たちしかいないとは言え、堂々と下着姿になるのはよくなかったか。
「さっきの話なんだけど」
「さっきって、BLの?」
「あーっ! うん! そう、それ」
手首に巻き付いた真木の手に力が籠もる。真木の不審な挙動と、絞められて血管がドクドクと脈打つ感触に眉根が寄った。
「あっ、ごめん」
「いえ、大丈夫です」
悟の表情に真木の手の力は緩んだが離してはもらえない。
もしかしてBLという単語を出すのがだめなのか? 悟は真木が裏名でBLに出演していることを知っているけれど、名前を変えているくらいだから話題に出すのはご法度なのか。
「今日、レッスン終わったら悟の家に行っていい?」
「いいですけど……」
「落ち着いて話したいからさ」
なるほど。やはり人目があるところでは話題にしない方がいいらしい。
「おはようございます!」
「……スタッフさん来たよ」
女性スタッフが来たところで、ようやく真木の手から解放された。
「あ、じゃあ更衣室行ってきますね」
「うん。いってらっしゃい」
にこやかに送り出してくれた真木の顔には、馴染みのある笑顔が浮かんでいた。
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