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悟の予感は的中し、真木のために用意しているスリッパはこの日、誰のつまさきも温めることはなかった。性急な二人の足はそのまま寝室に縺れ込む。部屋の電気を点けるのも煩わしくて、リビングから差し込む明かりで我慢した。明るすぎる、というのも上級者向けな気がするし。
「んっ、……ふ」
「悟……」
ベッドになだれ込みながら、雛が親鳥に餌をねだるように真木の唇を啄んでいた悟から真木が離れた。
一瞬でも離れたくないのに、もっと近付くためには服を脱がなければならない。
悟はプルオーバーのパーカーを着ていたので脱ぐのは一瞬だった。一人で裸になっているのは馬鹿馬鹿しいので、今日もきっちりとコットンシャツに身を包んでいる真木のボタンを悟も一緒に外す。
「も……、真木さん。はやく脱いで」
真木が着ているシャツのボタンを一つ一つ外していくのを楽しめるだけの余裕がなくて、指先が逸った。
「急かさないでよ」
笑い混じりに悟を制する真木の声は落ち着いて、悟ばかりが求めているみたいで、素肌の表面が外気との温度差を大きくした。カッと火照る肌を誤魔化すように、下から順番にボタンを外す。
「……なにサボってるんですか」
しかしいくら悟の指先が上って行こうとも、真木の指先が下りてくる気配がない。
「前にさ、悟がダンスレッスンで更衣室じゃない場所で脱ごうとしたの覚えてる?」
「え? そんなことありましたっけ?」
「あったよ」
差し込む光に真木が背を向けているせいで、ボタンの場所を確認するためにいちいち顔を寄せなければならない。下から三つ目のボタンに取りかかろうと悟は前屈みになった。
「というか真木さっ、んひゃ」
おしゃべりに興じている真木の怠惰な指先を責めようとして開いた唇は、途中で情けない悲鳴に変わった。背骨のラインを確かめるように、腰からうなじに向かって何かが駆けのぼった。
「あの時、俺、めちゃめちゃかっこ悪かったよね」
「な、なにが」
悟の外側と内側を同時に、ゾクゾクと這い上がる感覚に意識とは無関係にぶるりと腰が跳ねた。正直、真木のお世話をしながら世間話ができるほどの器用さは持ち合わせていない。
「悟の裸、他の人に見られたくなくって変なこと言って引き留めて」
そのまままた悟の背中をつつ、と意思を持った動きが翻弄する。その時にはさすがに、背中をくすぐるものの正体が真木の指先であることに気付いていた。
「更衣室でもレッスン室でも大差ないですけどね」
「んー……そうなんだけどぉ、なんて言うか気持ちの問題?」
背中を這う真木の爪が、時々いたずらに食い込むとそれに合わせてびくびくと体が跳ねる。
「着替えのための場所以外で脱ぐのって、なんかえろいじゃん」
「……そう思ってるんだったら、はやく脱いで」
なんか、じゃなく明確にえろい目的しか今この空間にはないのに。なかなか肌を合わせてくれない真木にいい加減焦れてしまう。
「ごめんって」
これもまた真木の三十一歳児的いじわるの一つなんだったら、まんまと悟は術中にはまったことになる。それならそれでもよかった。今はただ、もっと真木に近付きたい。
「悟」
「んっ……、」
あやすように口付けられてそのまま、悟の背中に寝室の空気で冷やされたシーツが触れた。
「……っあ、まだ、脱いで……んぅ」
真木が唇の表面に吸い付いては離れていく度に、ちゅっ、ちゅっとお手本のようなリップ音が響く。真木の体にはまだボタンが留まったままのシャツが纏わりついていて、悟はそれを責めたいのに唇は真木に従順に動いてしまう。吸い付くタイミングで閉じ合わせ、勉強用のCDで何度も聞いたのと同じキス音の洪水に浸る。
「くち、あけて」
「……ふぁい」
耳からじわじわと侵食してくる恍惚に、促されるまま薄く唇を開くと熱いぬめりが割り入ってくる。
舌と舌との接触はCDで聞いた音の何倍も、艶めかしくていやらしい。どちらのものかも判別がつかないくらい混ざり合った唾液に包まれて、このまま溶けて一つになってしまいそうだと思った。
「ひっ!」
けれど真木の爪先がカリカリと悟の胸元を引っ掻くと、刺激に驚いた喉が反ってまた別々の個体に戻ってしまう。
「痛かった?」
「あ……、ちが……」
男の乳首は飾りだ。とは言わないが、自分のそこが愛撫を受ける対象になるとは思わず戸惑ってしまう。
「ごめんね、優しくするって言ったのに」
言いながら真木の唇が平板なそこに触れた。上下の口唇で形を確かめるように食まれると、自覚もないのに輪郭が現れるから不思議だった。
「ん、……や」
あんなに待ち望んでいたはずの皮膚と皮膚との接触が、どうしてかもどかしい。真木の唇からはちゅっとあからさまな音がしているのに、ツンとしこった乳首はもっと強い刺激を求めてしまう。
「真木さん、やだ……それ、やです」
「それって?」
「ちくび……」
唇を胸に寄せたまま真木がしゃべるので、ますますたまらなくなる。
「音だけじゃなくて、ちゃんと……えっちに触って、」
ください。と最後まで言い終わる前に、続きは喉の奥に引っ込んでしまった。真木の舌先が捏ねるように悟の乳首を押しつぶす度に、明度の高い快感が弾ける。
「っあ、……んぅ」
綺麗に並んでいる真木のエナメル質が、尖りを掠める度に下半身がはしたなく揺れた。
「悟……、当たってる」
「っ、すみません」
改まって指摘されると自分から欲情をこすりつけていると言われているみたいで、いたたまれなかった。今なら多分、恥ずかしさで死ねる。
「俺、ちょっと……トイレ」
「はあっ⁉ なんで?」
「や、だって……」
「いやいやいやいや、ありえないでしょ! 俺たちセックスしてんだよね?」
「う……」
セックス、と直截な単語を出されて二十九歳のもうとっくにご立派な成人済み男性なのに、相手が真木だというだけで女子高生みたいに胸がときめいてしまう。
「トイレで一人で処理されるなんて、さびしいよ」
「……すみません」
「全部見せて、悟の体」
言葉の通り、真木の指が悟のジーンズのボタンにかかる。真木の愛撫で張り詰めていた中心が、解放の兆しを敏感に拾ってぴったりと肌に貼り付いている下着の染みを広げた。
「あ、待って。真木さんも、脱いで」
スルスルと遠慮も躊躇もなく、真木の指先が卑猥に濡れた下着ごと、悟の体を包んでいた衣服を全て剥がしてしまう。このまま自分だけ詳らかにされてしまうのは、悟だってさびしい。
「悟も手伝ってくれる?」
「もちろんです」
今度こそ二人で一緒に、シャツのボタンを全て外す。バサリと音を立てて真木のシャツが床に落ちると、内緒の共同作業を終えた充足感で胸が満たされる。
「……くっついていいですか」
「ん、おいで」
二人の間を隔てていた邪魔な衣服がなくなって、裸の肌と肌を合わせる。二人が持ち寄った体温が混ざり合うと、ぽかぽかしてあたたかい。でも、どれだけ抱きついても、押し付けても、まだ悟は悟の、真木は真木のままで。
「真木さん……、遠い」
「こんなにくっついてるのに?」
「ん……」
近付けば近付いた分だけ、切なさで心臓がきゅうと縮こまるのは何故だろう。少しだけ体を離して、真木の瞳を覗き込む。その目は答えを知っているような気がした。
「もっと近くにいっていい?」
「はい」
こくりと悟が頷くと、真木の頭が視界から消えた。
「え……、なに」
てっきりまた、舌が溶けてしまうようなキスをくれるものだとばかり思っていたから、予想外の行動に不安が滲む。
「大丈夫、怖いことはしないから」
「えっ? えっ、うそ……っ」
視界の隅でふわふわと揺れている真木の後頭部を追いかけて視線を落とす。
「あっ!」
真木の唇が、ちゅっと音を立てて悟の性器の先端に触れた。
「だめっ、だめです。そこは」
「どうして?」
声ばかり穏やかに問いかけながら、真木の唇は悟の発熱を促すようにキスで攻め立てる。
「だって……、だって」
普段はマイクの前でなめらかにセリフを喋ったり、悟が淹れたはちみつ入りの紅茶を飲むためだけに使われている真木の唇が悟の性器に触れている。その姿が倒錯的すぎて、くらくらした。
「やっ、……あ」
真木の唇を汚したくないのに、体は持ち主を裏切って火照る。キスを落としながら手のひらでやわくこすられると、先端に遺伝子情報を持たない透明な液体が滲み出す。
「だめっ、も、ほんとに」
薄明りの中でもそれとわかる、真木の赤い舌に先走りを舐め取られるともうだめだった。本能が悟の好きな人に触れられたがって、次から次に溢れ出す。
「やぁっ、やだ……、真木さ」
自分の体から漏れた劣情が、真木の手のひらで余すところなく性器全体に塗りたくられてぐちゅぐちゅと露骨な音を立てている。
「聞、ちゃ……だめ」
作り物の効果音とは比べ物にならないほどはしたなく粘ついた水音を聞かれたくなくて手を伸ばした。
「ごめん、悟。そのおねがいは聞いてあげられない」
「あっ、……ああっ!」
悟の手が届く前に真木の口に先端が覆われてしまう。熱い粘膜に促されて、真木を汚したくない気持ちとこのまま思うさまむさぼってもらいたい欲望がせめぎ合う。
「んっ、でちゃ、う…………っ!」
「いいよ」
咥えられたまま剥き出しの粘膜に吹き込むように囁かれた瞬間、葛藤が霧散した。びゅくびゅくと真木の喉奥に精液を打ち付けながら、恍惚で鈍る思考がやってしまったと後悔の尻尾を掴む。
「はあ……、まきさん……」
悟が吐き出した白濁を真木が手のひらに垂らす。綺麗な血液の色を透かしている舌に、べっとりと絡みついた乳白色の対比に後悔は簡単に姿を消してあさましい熱がまた灯る。
「ちょっとだけ、俺もくっつかせて」
言いながら真木の手のひらでぬくもったぬめりを、乾いた奥に塗り込まれる。
「やっ、」
「最後まではしないから」
「そうじゃなくて……」
悟の否定を拒絶と勘違いしたらしい真木に、どうしたら上手く伝えられるのか。まだ熱に浮かされている思考は機能が低下していて、直接、言葉にする以外に思い浮かばなかった。
「ちょっとじゃなくて、ちゃんと、全部、くっつきたい、です」
「……」
悟のたどたどしい誘いに真木が言葉を失っている。あからさまに過ぎただろうか。とよぎった恥じらいに、今さらだなと思い直した。もうこんなに内側も外側もぐずぐずに蕩かされているのに、触ってもらえない方がつらい。
「ごめん、悟」
「え……」
「もう俺、かっこいい真木さんやめる」
一方的に宣言して真木の指先が窄まった口に潜り込んだ。
「あっ!」
爪の先が侵入してくる異物感に、ぎゅっと足の先が丸まった。
「ごめん、つらいよな」
悟を思いやってくれる真木の声に、掻き立てられるのは性欲よりも焦燥だった。このまま真木が「つらそうだから、やっぱりやめよう」と言ってしまうのではないか、とそれだけが怖かった。
「だ、いじょぶ、です」
もっとちゃんと平気な顔をして受け入れたいのに、絞り出した声は対極にしか聞こえない。
「うん、今ちゃんと大丈夫にするから」
どうやら真木も止めるつもりはないらしい、とわかって少し力が抜けた。その隙を敏感に感じ取って真木の指が悟のそこを入り口にするための動きをする。
「あっ、んぅ……」
BLCDだったら効果音一つですんなりと繋がれるのに、気持ちとは裏腹に準備の必要な現実がもどかしい。
「真木さんっ、そこ、ベッドの横」
「ん?」
「クリーム、あるから……」
今が冬で助かった。乾燥対策に置いていたハンドクリームの青い缶に真木の手が伸びる。そのまま無遠慮に入り口に塗りたくられると、ひんやりとした冷たさが心地いい。
「は、あっ……」
悟の熱で徐々に溶かされたクリームがぬちぬちと、ふしだらな音を立てる。それに合わせて少しずつ、内側を真木に拓かれていくのが恥ずかしいはずなのに、嬉しくてたまらない。自分でも触れたことのない内側を、真木に触られている。そう意識すると、それだけで達してしまいそうだった。
「真木さ、んっ……」
「うん」
名前を呼ぶと真木の顔が近付いて、悟の額にキスが降って来る。そのまま顔中にキスの雨を降らせる唇が、たった一か所、一番触れてほしいところだけを避けている。
「やっ、キスして」
「してるよ」
「口も」
真木に暴かれているのは、不慣れな入り口だけのはずなのに、指が進むに連れ悟自身も知らなかったわがままな自分まで露わになってしまう。
「でも……、さっき悟の舐めちゃったから」
べ、と真木が舌を出すと堪えられず自分から吸い付いた。自分の精液の味を知ることへの嫌悪は、真木の体温の前では圧倒的に無力だった。
「んっ、ふ……ぁ」
ぐちゅぐちゅと悟の内側から響く音はもう、上から溢れているのか下で鳴っているのか、わからなかった。ただ、真木の指が一本増える度に、腹の底が期待で押し上げられていくことだけがはっきりしていた。
「あんっ! あっ……、あぁ」
真木の指が悟の中でばらばらに動く。もうそんなに慣らされてしまったという恐怖すら、焦燥に焼かれてしまう。はやく、はやく。はやく来てほしい。
「悟……、挿るよ」
コクコクと頷いた。つもりだったけれど、自分の頭が縦に振れたのか横に振ってしまったのかもわからなかった。
「あっ、つい……」
「ん、もう余裕ない」
吐息混じりで切実な真木の声を、裏付けるように熱い先端が宛がわれて、濡れるはずのない内側がじんわりと潤んだ気さえする。
「あっ、あー……挿って、る……」
余裕がないと言っていたのに、かっこつけるのはやめると言っていたのに、真木はどこまでも優しかった。欲望はくびれの段差までわかるくらいはっきりと張り詰めているのに、奥を分け入って来る腰は悟の内側に寄り添うようにゆっくりと埋めてくれる。
「悟、きつくない?」
「大丈夫です」
今度こそ、思いと言葉がぴったり重なった。
「は……、よかった」
「真木さん」
「ん?」
「くっついてる」
「うん」
やっとだ、と思った。ようやく近付けた。隙間もないほどぴったりと、真木が一番近くにいてくれる。
「悟、好きだよ」
「あ……、」
緩やかに悟の中で真木が動き出す。浅く、深く、真木に攪拌される。不安も焦燥も。
「真木さ、ん、俺もっ……、俺も、すき」
「……憧れの先輩として?」
律動の間に、ちらりと真木が窺ってくる。ぬかるんだ奥に打ち付けられる欲望の狭間に告げた。
「ぜんぶ、全部すき」
「っ!」
真木の性器が熱い。と思ったのは一瞬で、すぐに自分も同じ温度で真木を抱きしめ返す。溶け合って、混ざり合って、一つになる。
「すきっ、すき……んっ、真木さん、すき」
これ以上はない、と思った先からどんどん好きが溢れて来て喘ぐのもままならない。
「俺だって……、俺の方が、悟が思ってるより、もっと、ずっと」
好き。鼓膜の内側で聞こえていたと思っていたはずの声が、外側から吹き込まれて一際つよい快楽に満たされる。
「あっ、ああっ、……んぅっ!」
一番奥で真木の剥き出しの好意が弾ける瞬間、近いのに性感の靄で覆われた真木の呟きが遠くから聞こえたような気がした。
「悟の人生、俺にちょうだい」
言われなくたって、もうとっくに。
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