25 / 27

第25話 春雷①

 一か月弱の入院生活を終え、桐葉は無事退院した。俺の右肩もすっかり元通り。だが桐葉の方はまだ完治できず、しばらくは松葉杖を使うことになるらしかった。杖を突きながら通勤電車に乗っている。あんまり心配なので何度も会社までついていこうとしたが、にべもなく拒まれた。最終的に怒られた。    さて、三月末の、桜の蕾も綻ぶ良き日。当初の予定通りに引っ越しを行った。ボロアパートを引き払った俺は、今後桐葉のマンションへ居候させてもらうこととなる。居候というと印象が悪いな。同棲するのである。    軽トラックを借りて自力で荷物を運んだ。距離は近いし、物も少ないし、要らない物は捨ててきてしまうし、赤石も手伝ってくれたし、どうにかなった。無機質で殺風景だった部屋に次々物が運び込まれ、みるみるうちに景色が変わっていく様は見物であった。  シングルベッドではさすがに狭いのでダブルベッドに替え、冷蔵庫も大きめのものを買い、ダイニングテーブルを用意し、カーテンを取り付けた。テレビやトースターといった家電も揃えると、程よく生活感が漂うようになった。    空までも桜色に霞んでいた季節から新緑の眩しい季節へ、何もしなくても確実に時は移ろう。同居を始めて一か月、何の問題も起きずに、とはいかなかったが、俺たちはうまくやっていた。  靴下が脱ぎっぱなしだとか服が散らかしてあるとか、洗面台の鏡を濡らすなとかタオルの畳み方が雑すぎるとか、読んだ漫画は片付けろとか見終わったDVDも片付けろとか、俺が一方的に桐葉に叱られ、喧嘩をし、その度に仲直りを繰り返した。    そうやって新生活が板についてきたある日のこと。桐葉が実家へ帰省すると言い出した。 「こんな時期にか?」 「今がいいんだ。お前も来るだろ」  当たり前のように言われ、少し迷ったが了承した。    電車で帰ってもよかったが、持ち物が多いのでレンタカーを借りることにした。当日になってどちらが運転するかで揉めたけど、桐葉に押し切られてしまった。とっくに治っているくせに「足が不安だから」などと言って媚びるような目で見てくるから、断りきれなかった。    数年ぶりの運転におっかなびっくりハンドルを握り、とりあえずナビ通りに車を走らせる。下道から東京外環に入るのだが、高速道路なんて恐ろしすぎる。助手席に座る桐葉に背後を目視で確認してもらい、いちいち指示してもらいながら、やっとの思いで流れに乗った。   「お前でも一応免許は持ってたんだな」 「茨城に生まれりゃあ誰だって取るだろ。高三の春休みに教習所通ってさぁ。もう勉強なんて懲り懲りだってのに」 「でもペーパーだろ? 若葉マーク付けなくてよかったのか」 「若葉マークなんてダサいじゃん! 煽られちまうよ」    桐葉は愉快そうに声を上げて笑い、CDをかけた。よく部屋で聞いているもののうちの一つである。昔人気のあったバンドらしい。エネルギッシュなボーカルにふさわしく、アップテンポでビートを刻む。   「スピード出したくなるじゃん。やめろよな」 「飛ばせよ。高速なんだから」 「やだよ、怖ぇもん」 「ビビりだな。運転も下ッ手くそだし。きびきび走れよ」 「ケチつけんなら運転代われよ!」    互いに文句を垂れながら、しかしその軽口が心地良かった。    外環から常磐道へ入り、サービスエリアで休憩する。買うつもりもないのに土産物屋をうろうろして、そういえばメロンが特産だったなぁとか、桐葉のおばあちゃんが干し芋食べさせてくれたなぁとか、感慨深く思い出していた。非日常感にテンションが上がってしまい、特別美味くもないラーメンを食べ、ソフトクリームまで買ってしまった。    常磐道を下りたら、お馴染みの国道294号線を北上するだけである。だんだんと懐かしい風景に変わっていく。見渡す限り延々と続く田んぼには水が張られている。田植えが近いのだ。風が吹くと波が立ち、陽光が砕けて散った。  桐葉が窓を全開にする。物憂げに頬杖をついて、窓の外を眺めている。髪の毛がさらさらと風になびいて、気持ちよさそうに目を細めた。   「あんまり見るな。前見て運転しろ」 「あ、悪ぃ」 「穴が開きそうだ」 「そんなには見てねぇよ」    出発から二時間半。何事もなく、無事に目的地まで到着した。思っていたよりは近かったが、ペーパードライバーには辛い長距離運転であった。   「あー、もー、疲れた。寝ていい?」  ぐったりして座席を倒そうとしたら、頬にキスを落とされる。   「まだまだやることはたくさんあるだろ」 「ン、なに。誘ってんの。カーセックスでもする? でもこれレンタカーだからな――」 「アホか。大掃除だ」    手厳しく現実を突き付けられ、ショックであんぐりしてしまう。   「……ちょっと休んでからにしませんか」 「だめだ」    抵抗も虚しく、桐葉がちゃっかり準備していたジャージに着替えさせられ、掃除用具を握らされた。  このままじゃ泊まれないという桐葉の言葉通り、家の中も外も荒れ放題だった。塵と埃と蜘蛛の巣だらけ、庭は雑草だらけである。四年前におばあちゃんが亡くなって以来空き家なのだ、という話は再会してすぐ頃に聞いた。数か月に一度、こうやって帰省してはできる限り手入れをしているらしい。   「一応本家に管理を頼んでるんだが、向こうも年寄りだからな、そう頻繁には来てくれないし、面倒なことはやってくれねぇんだ」 「でも、近所なんでしょ? 冷たくねぇ?」 「まぁうちは分家だし……おかげで土地は少なくて済んだが」    土地ごと売ってしまえばいいのにと思ったが、おばあちゃんと住んだ家を失くしたくないのだろうということは想像に難くない。それにこの家は、俺にとっても思い入れの深い場所である。   「いっそのこと、ここに二人で住んじゃおうか」 「は? 馬鹿か。仕事がねぇぞ」 「つまらんこと言うなよ。夢見るだけならタダなんだから。庭付き一戸建てなんて自分で建てようとすれば大変だし、俺もこの家好きだし」   「おれもこの家は好きだが、もうここには住まない。おれの故郷は東京だ」 「地元を捨てるのか、薄情者め」 「お前だって地元を捨てただろ。正月にだって帰省しなかったくせに」 「地味に痛いとこ突くなよな……」  午後中作業し、母屋はあらかた片付いた。    翌日は朝から庭の草むしりをし、午後はお墓参りへ行った。集落の外れ、川のそばに墓場がある。桐葉家の墓は桐葉の曽祖父の代に築いたもので、周りと比べると新しい方だという。隣にも立派な墓が建っていて、そちらも桐葉家の墓ではあるが、本家のものであるから歴史が違うのだという。    故人の戒名や没年月日が彫られた墓誌の一番左端におばあちゃんの名前があった。そしてその隣、桐葉の母親の名前がある。母親かどうかは知らないのだが、何となくそんな気がした。亡くなったのはちょうど十年前の三月。桐葉が転校してくる少し前。   「それ、おれの母親だぜ」    気になっていたのがバレたのか、桐葉が口を開いた。   「結構前に死んだ。お前にはずっと言ってなかったけど」    墓石を拭きながら淡々と話す。   「別に、無理して言うことでもねぇだろ」 「気づいたら、親がおれを産んだ年齢を追い越しちまってるんだもんな」 「結婚、早かったんだな」 「ん、まぁな……」    桐葉はふと言い淀む。   「自分の親みたいにはなりたくねぇよなぁ」    悟りを開いたかのようにしみじみと呟くから、俺は何も言えなくなる。そりゃあ俺だって親みたいになりたいとは思っていないけど、桐葉のそれはどういう意味なのだろう。両親が離婚したことか、母親が息子を残して亡くなったことか、それとももっと深い意味があるのだろうか。   「決してお袋のようにはならねぇ。聞いてるか? 杉本」 「聞いてるけど……」    戸惑い気味に返事を濁すと桐葉は笑った。   「だから安心しろよ」 「何、安心って……長生きするぞ、とか、そういう?」 「そうだ。おら、おれのご先祖に挨拶しな」 「え、ちょ、無茶振りやめろよ」    浮気したら殺される覚悟で交際している杉本です、とへらへらしながら自己紹介したら叩かれた。

ともだちにシェアしよう!