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第2話

「おい、もう終わったぞ」 団長に杖でつつかれ、はっと我に帰った。 「大丈夫か?ぼーっとしてるじゃないか」 「いや、大丈夫です……それより、あの子は……?」 「あの子?」 「あのブロンドの、青い瞳をした……」 美しい少女、と言おうとしたが、その言葉を飲み込んだ。 少女愛主義者だと思われたくなかった。 全ての少女に興味がある訳ではなく、彼女に惹かれているのだ。 「あぁ、ジョアンのことか。あの子は今人気な役者でね。孤児だったあの子を引き取って、一から育てたんだ。君も気に入ったのかね?」 「……とても素晴らしい才能に溢れていると思います」 「そうか!君にそう言ってもらえて、私も鼻が高いよ。これから、パトロンたちと一緒にパブに行くんだが、久々に一緒に飲まないか?」 「いや、私は遠慮します。帰って、次の話を書かなくてはいけないので」 私は逃げるように屋敷に帰り、紙とペンを手に机に向かう。 彼女は私の頭の中で、美しく舞い踊る。 透明感のあるあの声で言わせたい台詞が次々と浮かぶ。 私は何作も何作も作品を書きあげた。 戯曲を読んだ団長は、「ぜひウチで上演させてくれ」と頼み込んできた。 勿論、いつも良くしてくれる人だから、戯曲を渡したが、一つ条件をつけた。 それは、私が書く全ての戯曲の主役はジョアンにすること。 「そんなにジョアンが気に入ったのかね?」 「あぁ、とても素晴らしい逸材だ。あの子のためなら、私の持てる全ての言葉をあの子に捧げたいんだ」 それから私は毎晩、歌姫ジョアンの舞台を見に行った。見れば見るほど美しい。 スポットライトの中の妖精は、人々を魅了する。 上演中は夢の中にいるような感覚で、それが終わってもその余韻からなかなか抜けることが出来ず、掃除婦に何度か箒でつつかれたことがあるほどだ。 劇場の切符売場の前を通ると、団長が大きなお腹を揺らしながら小走りでこちらに来た。 「お前、そんなにジョアンが気に入ったのなら、一度会うといい」 「え!?ジョアンに……?」 「それとも、もう家に帰って執筆活動か?」 「いや……会わせて欲しい」 団長に誘われて、ジョアンの楽屋に行くことに。 楽屋に行く途中、パトロンから花束をもらった役者たちが行き交うのを見た。 しまった……何も持っていない。 花束くらい用意しておけばよかった。 そんな後悔を胸に秘めたまま、一番奥の楽屋の前に着いた。 「ジョアン、私だ!」と団長がそう言いながらノックをする。 すると、「はーい」と愛らしい声が聞こえ、ドアが開いた。 青い瞳に私の陰気な顔が映る。 「もしかして……エドワード先生ですか?」 あぁ、声も鈴の音をころがしたようだ。 「ジョアン、エドワードは君の大ファンらしいぞ。毎晩君の舞台を見に来ているんだ」 「わぁ!うれしいっ!」 子どものようにはしゃぐジョアンは舞台の時とは違って天真爛漫だ。 私は緊張して、何も言えずにただ木のように立ち尽くしていた。 「これから、三人でパブにでも行こうじゃないか」 「え、団長……でも」 ジョアンは団長の誘いに不安げに瞳を揺らした。 「なーに、お前はジュース飲んで、チェリーパイを食べていればいいさ」 「チェリーパイ、食べてもいいの?」 「今夜は特別だ。明日からはまた食事制限だぞ?」 「はいっ!準備してきますね!」 ジョアンは不安げな表情から一転して、幸せそうな笑顔を浮かべながら、楽屋に引っ込んでしまった。 私と団長が劇場の外で待っていると、黒いコートに白いズボンを履いた少年が走ってやってきた。 「お待たせしました!」 声はあの鈴のような声だが、長かったブロンドの髪は短く整えられている。 「ジョアン……?」 「なんだ、君もジョアンを女だと思ってたのか?」 あの舞台を見れば、可憐な少女だと思う。 そう抗議したいくらいだったが、本人の前では失礼だろうかと言葉を飲み込んだ。 「君もまだまだだなぁ。ジョアンはれっきとした男だ」 ジョアンは少し気まずそうにはにかんだ。 パブに行くと、タバコの煙や酒の匂いが漂っていた。 オレンジ色の柔らかい電燈の光はどこか淀んでいるのは、そのせいかもしれない。 団長がいつも予約している席は一番奥のボックス席。 半個室のようなものなので、幾分煙などがマシだ。 ジョアンは酒は飲めないらしく、オレンジジュースと約束通りチェリーパイを団長に奢ってもらっていた。 「さぁ、遠慮せず飲んでくれよ」 団長の話に適当に付き合っていると、パトロンたちが団長の元へやってきた。 「ああ、皆さん、いらしてたんですね。……行きます行きます。あー、エドワード、ジョアン。私はパトロンたちと飲んでくるよ。飲み終わったら、適当に解散してくれよ。ここは私が奢っておくから」 早口でそう言うと、席を立ってしまった。 私はウイスキーをゴクリと飲み、ちらりとジョアンを見る。 小さな口にフォークで切り取ったチェリーパイを噛み締めながら大事に食べている。 普段から食事に気をつけているからなのか、甘いものを控えているようだ。 私があまりにもじっと見ているからか、パチリとジョアンと目が合った。 「先生?どうかされました?」 「あぁ、いや、すまない……その、美味しそうに食べるなと思って」 「あ!僕ばっかりごめんなさい……食べられますか?」 白い皿に乗ったチェリーパイを差し出されるが、「いや、結構。君が全部食べなさい」と皿を戻した。 「チェリーパイ、好きなのかい?」 「はい。小さい頃、母がよく作ってくれて」 「君は孤児だと聞いたが」 「母は、僕が五つの時に亡くなって、僕は教会の孤児院に預けられたんです。それから、八つの時に団長に引き取られて、役者として生活してきました。僕、甘いもの好きで、食べすぎちゃうから、団長に普段は甘いものは禁止されてるんです」 「じゃあ、今日はご褒美なんだね」 私がそう言うと、ジョアンは首を横に振った。 「団長は厳しい人なので、ご褒美なんて頂けません。多分、エドワード先生と一緒に飲む為だと思います。僕はついでです」 「私と?」 「団長言ってました。一人で飲む酒ほど、不味いものはないって。だから、いつも誰かと飲み歩いてます。先生と飲みたかったくせに、パトロンには頭が上がらないから、さっさとあっちに行っちゃったけど」 ジョアンはオレンジジュースを飲むと、「あ、この事は団長には内緒にしてくださいね」と自分の唇に人差し指を当てた。 「もちろん」と私は答えた。 「先生、僕、こんなこと言ってるけど、先生とご一緒できるの楽しみだったんです。先生の本、いつも楽しみだったから。悲劇も喜劇も書きこなしてしまうなんて、本当にすごいっ!」 「私もジョアンに私の書いた台詞を言ってもらうのが、とても好きだ。……男の子だったことには驚いたけど」 「そうなんです……皆、勘違いしちゃって……がっかりしました?」 ジョアンは不安げに下から私を見つめる。 「いや……」 ……むしろ、好都合だ。

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