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8 エピローグ
―――――焼けつくような日差しを浴びて
あなたの投げた円盤を追う
あなたを追いかけていたのかもしれない
照り返す太陽に
赤く染まる顔を隠せていないかな
息が上がるのは
決して走っているせいだけではない
このまま溶けてしまいそう
イカロスの翼も、
こんな感じだったのかな・・・・・
デルポイにあるアポロン神殿はとても大きく、広く、併設されているのは神託所だけではない。劇場や競技場なども建っている。
しかし、アポロンとヒュアキントスは、敢えて競技場を使わない。
人々で賑わう競技場から少し離れ、スパルタにあるような丘の上で、腰を下ろしている。久しぶりの円盤投げの後、疲れた身体をふたつ並べ、休ませているのである。
「もっとくっつかないと、衣からはみ出てしまうよ」
アポロンに言われ、ヒュアキントスは不承不承、尻を浮かせてアポロンのほうへと寄る。
ふたりは下半身にだけ、アポロンの大きな衣をかぶせている。
円盤投げを始める前、オリーブオイルの入った壺のそばに、たたんで置いたのに。ヒュアキントスの服はどこにあるのか。それは、連れてきたアポロンの神獣が知っている。
ペガサスの口が、もぐもぐ動いている。
アポロンはしらばっくれるが、神獣は主の命令なしに勝手なことはしない。
間違いない。確信犯は隣にいる。
アポロンは笑いながら、
「今度、アテナに服を新調してもらおうか」
アテナは戦いの神にして、機織りの名手でもある。
ようやく、裸でオリーブオイルを塗ってする、競技としての円盤投げをやる気になったのに。もう少し注意すればよかった。
競技場では、その本格的な円盤投げが、至極当然に行われている。
「今日は、ずいぶんと人が多いんですね」
ひとまず服のことを忘れるため、ヒュアキントスは口を開いた。
ここから麓を見渡せる。もちろん、神である自分たちは人からは見えない。
「スパルタに倣っているんだよ。君の故郷では、ヒュアキンティアがもっと盛大に開催されている」
ヒュアキンティア―――――春から夏にかけて行われる、ヒュアキントスの復活を祝う祭典である。国じゅうにヒヤシンスの花が飾られ、円盤投げの競技が催される。
戦好きのスパルタ人が、ヒュアキンティアの時期には戦をやめ、祭典をしに帰るのである。
ヒュアキントスは幸せであった。
久方の空を見上げれば、スパルタの賑わいがここまで聞こえてくるようである。こんなに遠く離れているのにね。
アポロンは言った。
「本当によかったのかい?故郷のほうの祭典に参加しなくて」
「ええ。だって・・・・・」
競技に出場する選手は皆、全裸なのである。
「アポロン様と一緒にいられるだけで、充分ですよ」
ともに暮らすようになってから一ヶ月。まだまだ、ぎこちなさが残る。
クレイオがスパルタの城へ帰っている。故郷の話は、また今度聞かせてもらおう。
来年か再来年には、自分もスパルタのヒュアキンティアへ出向いてみようかな。
そういえば、自分はクレーター島の守護神にもなったのに、クレーター島に行ったことがない。それも変である。ヘルメスが見に行ったところ、クレーター島の花ももとに戻り、とりわけ今はヒヤシンスが盛んに咲いているらしいが、自分も行ってみるべきだろうか。
アポロンは話す。
「オルペウスの詩 には続きがあるんだ。そこにはヒュアキンティアのことが歌われていた。初めは不思議に思っていたけれど、今になって分かったよ。これは予言の竪琴でもあるんだ」
服の他に、オリーブオイルの壺と一緒に置かれていた、竪琴に目を向ける。
「予言の竪琴?そっか、だから・・・・・」
ヒュアキントスは呟いた。
思いつく詩が、予言になっていた。
アポロンはえっと、ヒュアキントスを見る。
ヒュアキントスはにっこりし、
「いえ。それより、アポロン様はその曲、やっぱり歌ってくださらないんですね」
アポロンは苦笑する。
「君の死を歌った曲なんて、歌いたくないよ」
「今は復活してますけど?いいですよ。それに、もう一つの約束は果たしてくれました」
「もう一つの約束?」
「いつか、言っていましたよね。新しい花に作り直しておくと。ヒヤシンスのことだったんでしょう。ちゃんと作り直してくださいました」
「ああ」
アポロンは頷く。
ヒュアキントスは両手を差し出し、
「今度は、僕が約束を果たす番です」
「タミュリスの曲を僕に聞かせてくれるのかい?別にいいんだけどな」
そう言いながら、アポロンは横にある竪琴を取り、金の指輪をしている手で渡す。
「いけません。ちゃんとアポロン様のために、歌を作ったんですよ」
ヒュアキントスはその竪琴を、金の指輪をしている手で受け取る。
そして、竪琴を奏で、歌い始める。
一番高い雲の透き間
溢れる光いつか追い越して
あなたに辿り着けたらいいな
「僕もそう思う」って言ってくれたらな
あなたのキスが花に変わって
僕の身体じゅう咲き誇ってく
黄金 の髪に黄金の花
白い肌に白い花
青い瞳 赤い唇
涙も血の痕も消してくれた
光が照らすプロローグ
花が彩るエピローグ
このまま風がさらってもいい
僕の香りがあなたに届いてく
一番大きな空の真ん中
太陽よりも煌めく幸せ
見上げれば ほら あなたの笑顔
遠くにいても一緒にいるんだ
小さな溝も大きな壁も
すべて歩調を合わせてくれる
戻り道を歩いても
別れ道を歩いても
決して逃げないで一緒に乗り越えて
また出会えて一緒にいられるの
風が導くプロムナード
香りが語るエピソード
この恋の矢は無かったんじゃない
あなた自身が放った光たち
・・・・・光と花のプロポーズ
これから先もずっと愛してる
僕とあなたの言葉が重なった
重なり合うアポロンとヒュアキントスの歌声は、風に乗ってオリンポスへ届いた。
「なぜ、アポロンがヒュアキントスの歌を知ってるんだい?」
ゼウスの部屋のバルコニーで、ヘルメスが尋ねた。
「いつかの夜、お兄様が金の矢を持って、ヒュアキントスの部屋の前をうろうろしていたことがあったわ。そのときに、ヒュアキントスが歌っているのを盗み聞きしてたのよ」
アルテミスは肩を竦める。
が、そのアポロンが気になって、アルテミスは彼の周りをうろうろしていたのである。どっちもどっちである。
「それにしても、お兄様はヒュアキントスを神にするのに、最初は彼を自分に惚れさせて、口移しでネクタルの気を送るつもりだったけれど、結局彼に金の矢を刺すのをやめたのよね。もし金の矢がなくとも彼が自分を愛していなければ、どうするつもりだったのかしら」
デルポイもスパルタもクレーター島も、滅んでいたかもしれない。
「もういいじゃん。全部まあるく収まったことだし」
ヘルメスが伸びをしながら言った。
そのとき、後ろでディオニューソスの喚き声がした。
「おい、ガニュメデス。わしにもつげ」
部屋の中で、こちらに酌をしようとしていたガニュメデスに、ゼウスは言う。
「行ってやれ。奴がうるさいと、おちおち飲めん」
「はい」
ガニュメデスは酒瓶をゼウスの前のテーブルに置くと、ディオニューソスの待つ寝椅子へと向かう。ゼウスのとは違い、ディオニューソスはいつも持ち歩いている酒瓶の酒を飲むのである。
ゼウスはガニュメデスの置いて行った酒瓶を取り、
「冥界は落ち着いたか」
向かいの席に座るハーデスのグラスに酒を注ぐ。
「ああ。ペルセポネは、アドニスの名を口にしなくなった」
返愛の神アンテロースの力である。
「オルペウスはどうなった」
ゼウスは酒瓶をハーデスに手渡す。
ハーデスはゼウスのグラスに酒を注ぎながら、
「冥界で妻と再会した。ひょっとすると、再会するためにマイナスたちを怒らせ、自分を殺すよう仕向けたのではないか」
酒瓶をテーブルに置く。
「ディオニューソスは、それを分かっていたのかもしれんな。わざとオルペウスの策略に乗ってやり、己の信者であるマイナスたちまでもを操りおったか」
ゼウスとハーデスは、ディオニューソスに目を向ける。
ディオニューソスは機嫌よく酒をあおっている。
ゼウスはハーデスに向き直り、
「何はともあれ、オルペウスは詩 の中でヒュアキントスを愛し、ヒュアキントスを愛するアポロンを愛することによって、冥界で愛する者と再会した。アンテロースはこちらの世界にいながらも、その力は巡り巡って冥界にもやってきたわけだ」
ハーデスも笑み、
「ヒュアキントスとアンテロースの復活は、必然だったのだな」
ゼウスとハーデスは、アンプロシアを囲み、ネクタルを掲げ、ヒュアキントスとアンテロースの、新たなるふたりの神の誕生と復活を祝い、乾杯する。
―――――「へえ。太陽神のアポロン様と、同じ名前なんですね」
(本当に、太陽みたい・・・・・)
僕は、目の前にいる彼を見上げる。
あのときから確信していた。
これが、物語の始まりなのである。
(やっと会えた)
(僕のアポロン様)―――――
悲しいことは、決して悪いことではないんだよ。
ヒヤシンスの花言葉は、“悲しみを越えた愛”だからね。
おしまい
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