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起源2 止まった時間が動き出す瞬間
ティリアンを王座から引き摺り下ろす。
子どもの頃からそう言い聞かされて育った。母を奪ったあの忌まわしい侵略から四半世紀、未だに父の悲願は達成されていない。タイミングを窺っているようだが好機は待てども巡ってこない。
国王の警備が手薄になる瞬間、そんなものは本当に今後やってくるのだろうか。
しかし焦って安易に手を出したところで国王の護衛に阻まれるのがオチだ。そうなれば父は処刑されデュナン家は取り潰され、復讐どころではない。今までの苦労が水の泡になってしまう。
一体、どうしたものか……
「おい姉ちゃん、酒が足りねェぞ!」
すでに酔いがまわっているにもかかわらずまだ呑みたいのか赤ら顔の下品な男の声が響く。あれが今夜の仕事の標的だ。
男は随分と羽振りがよく、酒瓶を開けては近くの客に絡んで煙たがられている。しこたま呑んだのかすっかり出来上がっているのに帰る素振りもない。
あの男は商人で、ついこの間も王宮に出入りして貴族連中にあれやこれやと物を売りつけて歩いていた。国王もその噂をきいてその男から異国で流通しだしたという腕利きの鍛冶屋の刀を取り寄せたのだが、その剣の品質ときたら紛いものなんてものじゃない。なまくらで役に立つどころか宝飾として目を楽しませることすらできない。とんだ詐欺師だ。
この刀が偽物だということは他の貴族に売りつけた品々も紛い物に違いない。これまで誰にも気づかれなかったので商人の男も味を占めたのだろう。このままではこの国の王族は騙されやすい良いカモだと噂がたって詐欺が横行しかねない。そうなれば国王の威信にも関わる。
しかしこの騒動を公にすることは王族の低レベルな審美眼という恥を露見させるに等しい。そこで騒ぎ立てて大事にするよりも、秘密裏に詐欺を働いた商人を始末し財産を没収するほうが遥かに利があるということでリシャールに白羽の矢が立ったのだ。
国王相手に悪どい商売を働いたにしてはけちくさい男だ。こんな安酒場で商売女を相手に晩酌したところで詐欺で得た金が減るわけもない。かなりの守銭奴か。
「テメェ、どこ見て歩いてるんだ!」
急に男が声を荒げたものだから店中の人間の視線がターゲットに集中した。まずい、注目を浴びすぎればこの後の仕事に支障が出る。奴の帰る道すがら闇夜に隠れて始末するつもりだったが、ここで騒ぎを起こされるのは面倒だ。
「いや、予想以上に酔っちまってよ。どこか痛めたのか? 悪かったな、おっさん」
どうやら近くを通った客がよろめいて男にぶつかったせいで揉めているらしい。酔っ払いのいちゃもんだ。そう珍しいことではない。
それにしてもぶつかった方はやけに大人しい。酔っ払いに絡まれても飄々とかわしている。目深に被ったマントのせいで表情は判別できないが笑みすら浮かべているようにも見える。小柄なようだし逆上した男に殴られてはかなわないと思っているのだろうか。
「お兄さんがこう言ってくれてるんだから許しておやりよ」
「そうそう、こいつの酒癖の悪さは有名なんだ、兄ちゃんは悪くねえよ」
見かねた周囲の客も口々に男をなだめにかかる。しかし、商人の男はそれが気に入らなかったらしい。
バンッ、音を立てて机を叩く。
「どいつもこいつも俺を舐めやがって! 俺はなァ、あのティリアン国王さえも欺ける男だぜ?」
「国王を?」
『国王』
安酒場ではそう耳にしない単語にどよめきの声が上がった。
クソっ、こんなところで国王の名前を出すのか。
国王の威信を守るためにこうして奴を見張っているというのに、酔った勢いとはいえ余計なことを吹聴されては厄介だ。
少々目立つが致し方あるまい。ひとまずあいつをどこかへ連れ出すか。
リシャールが男の口をふさごうと立ち上がるのと、マントの男が男の胸ぐらを掴むのはほぼ同時だった。
「国王を欺くっていうのは、一体全体どういう意味なんだ?」
小柄だと思っていたが威勢がいい。男は商人を睨みつけると、拳にぎゅっと力を入れて振りかぶった。
はらりとマントのフードが落ちる。
露わになった赤毛の髪、それに負けないほど頬が怒りで紅潮している。
——あの顔、どこかで見たような……?
はっとして一瞬思い浮かんだ人物の余韻を頭から振り払った。いや、そんなわけはない。その人がこんなところにいるはずがないのだ。
何であれ、ここで騒ぎを起こすのはまずい。リシャールは男にもう一度マントをかぶせた。
「こいつも随分酔ってるようだ。頭を冷やしてくる、代金はこれで足りるだろう」
迷惑料代わりに少しばかり多めの金額を女将に手渡すと、リシャールはマントの男を隠すように足早に店を後にした。
自分の想像が現実かどうか確かめるべく、人目を避けてマントの男を路地裏へ押し込んだ。
「痛っ、なにすんだよ!」
男が背を壁にぶつけて痛がるが、構うことなく頭を覆うマントを剥ぎ取った。
「……ジュリアン、様」
マントからあらわれた顔は不服そうに眉間に皺が寄り、元々きつい目つきをより一層凶悪にしている。王太子とは思えない不良じみた顔立ちだ。
国王ティリアンの一人息子、ジュリアン。自分にとって憎き仇である父親譲りの赤毛は見まごうはずもなかった。
「お前、なぜ俺の名前を?」
「……わたしの顔がお分かりにならないんですか」
幼い頃から母の仇の息子としてジュリアンをひたすら憎んできた。齢もそう変わらないのに一方は簒奪者の息子として次期国王の座が確約されており、もう一方は日向を歩けないような仕事を生業に生きている。
なんたる差、日向を歩けないのは簒奪者の家族のほうではないのか。自分が望みもしない人間の血で剣を汚している間に、なぜジュリアンは太陽の光を存分に浴びて笑っていられるのか。そう密かに恨み言を吐いたのも一度や二度ではない。
それなのに、当の本人は自分を恨む人間の顔もわからないと言う。父が忠臣として辛酸を舐め献身的に国王に仕えてきたというのに、なんという屈辱だろう。腹わたが煮えくり返る思いだった。
「リシャール・デュナン、デュナン公爵の一人息子です」
「へえ、公爵の息子ってお前、貴族だったのか。まあ確かに身なりは上等そうだもんな。それで何だってあんなボロっちい酒場にいたんだ?」
「それはこっちの台詞です。侍従も連れずにあんな場所で騒ぎを起こして、王家の名前に傷がつきます」
ただでさえ略奪して手に入れた王座で外聞が悪いのに、という言葉をリシャールは飲み込んだ。
「なぜって、そりゃ王宮にずっと縛りつけられるのも退屈だろう? だからたまに人目を忍んでこうやって城下に遊びに出てるんだ」
悪びれもせず屈託のないジュリアンの口ぶりに気が抜ける思いだ。さっきまで狂犬のようにいきり立っていた人間だとは到底思えない。喧嘩っ早く粗暴な性格だとはきいていたが、あれほどまでに短気だとは予想以上だった。
あれではとても王の器とはいえない。
「でもお前がいてくれて助かった。あれ以上大事になっていたらいずれ父上の耳に入って大目玉をくらうところだった。ひとまず礼を言うよ、リシャール」
「礼には及びません。今日はさぞ疲れたでしょう。王宮までお送りしますので今夜はごゆっくりお休みください」
「お前は? 今夜はもう遅いし泊まっていくといい」
「いえ、まだやることが残っていますから」
もう少し手こずるかと思いきやジュリアンは意外にも大人しくリシャールに従った。ただし、城を抜け出して喧嘩を起こしたことを他言しないようにと何度も念押しするのは忘れなかったが。
さて、ジュリアンのせいで予定が狂ってしまった。早いところあの商人を始末しないと。
それにしてもジュリアンの子供っぽさときたら呆れてしまう。あんな人間が王座についたらこの国が滅びる未来もそう遠くはないだろう。あんなちゃらんぽらんでも国王は彼をこれでもかもいうほど溺愛しているのだから不思議だ。彼が病で倒れでもしたら心労で国王も倒れかねないというほどの可愛がりっぷりだ。
……ジュリアンが死ねば、ティリアンも死ぬ?
自分の想像に乾いた笑い声が出た。ティリアンを殺そうにも警護が厳しくて易々と近づけない。それならば、ジュリアンはどうだろう。
ジュリアンを殺すのはティリアンを殺害するよりよっぽど容易いように思える。そしてティリアンにとっても、自分の身を害されることより愛する息子の命を奪われるほうがずっと精神的に苦痛を感じるに違いない。愛する妻を殺された父上の気持ちも痛いほど伝わるというものだ。
そして何より、息子の死に憔悴しきった国王の命ならば隙を狙うのもそう難しいことではなくなる。
『心の底から信じていた人間に裏切られるほど堪えることはない』
幾度となくきかされた父上の言葉を反芻する。
父上ほどとはいかないが、数々の暗殺のおかげでリシャールも国王からの信頼に厚い。これまで信じてきた忠臣に裏切られ、自分の息子を殺されるのは一体どんな気分がするのだろう。
父上の恨み、母上の無念、先王陛下の屈辱、俺がすべて晴らしてやろうじゃないか。
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