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起源3 青色に染まったティータイム

「リシャール!」  リシャールの顔を見るなりジュリアンがばたばたと慌ただしく駆け寄ってきた。まるで仔犬のようで、これが王太子殿下なのかと思うと苦笑いがこぼれる。 「また来てくれたんだな。お前だけだ、こうして打算もなにも関係なく俺に会いに来てくれるのは」  ジュリアンは目を伏せて小さくため息をつく。おおかた先程まで謁見していた貴族たちのねだりごとでも思い出したのだろう。  ジュリアンが次の国王になるというのは周知の事実である。だからティリアン国王に取り入れなかった者たちが金の無心や次の治世の好待遇のために息子の彼に媚を売っているのだ。リシャールもジュリアン暗殺の隙をつくために彼に近づいているのだから、そんな貴族連中のことは何も言えないのだが。 「ジュリアン様が望むのであれば、わたしで良ければいつでも話し相手になりますよ」 「もう、何度も言ってるだろう。敬語も様付けもよしてくれ。そうだろう、リシャール」 「……ああ、そうだったな」  ジュリアンは意外にも人懐っこい気性なようで、リシャールが王宮に顔を出すついでに挨拶を繰り返すうちにすっかり懐かれてしまった。計画には都合が良いのだが警戒心というものがまるでない。 「今度一緒に狐狩りにでも出掛けようか、こんな城に缶詰状態じゃ気が詰まるだろう?」 「父上の許しがでたら、な。俺があまりに落ち着きがないって父上がご立腹でね、最近はずっと部屋で帝王学を学ばされてるんだ。見張りの従者がそこらじゅうにいて城を出るどころか部屋を出ることすらできやしない。リシャールがいなかったら俺、干からびて死んじゃってたかも」  早く死んでくれたほうがこっちの手間も省けるんだがな、という言葉をリシャールはぐっと飲み込んだ。  ジュリアンに落ち着きがないというのは今に始まったことではない。酒と女だけでは飽き足らず、喧嘩に賭博に果てには男色にまで手を出し、日々遊興の限りを尽くして放蕩三昧という為体だ。  こんな男が国王になるなんて想像するだけで吐き気がする。  ああ、早くこいつの息の根を止められたら。  ジュリアンを殺すだけならいくらでも方法がある。しかし父上に危害が及ばないようにするというのは一苦労だ。  仮にジュリアンをリシャールが無事に殺せたとして、リシャールはティリアンによって処刑されるだろう。そして父にもその咎がいかないとは限らない。少なくともデュナン家の取り潰しは免れないだろう。だからこそジュリアンを殺したのがリシャールだとばれないように、なおかつ確実に仕留めなければいけないのだ。間者を雇うのが一番手っ取り早いのだが、リシャールには先王の時代から代々国王のアサシンとして働いてきたデュナン家の誇りがある。一族の名にかけて、自らの復讐には自らの手で決着をつけたい。何よりも自分の目の前で敵が苦しむ姿を見なければ意味がない。 「そういえば、この間しゃれた陶器のティーセットが贈られてきたんだった。せっかくだからそれでお茶でも飲もうじゃないか」  ジュリアンの一声で使用人たちが手早く準備を済ませる。  貴重な茶葉をふんだんに使った贅沢な紅茶とそれに劣らない繊細な細工が施された陶器の茶器はこの国の栄華を物語るかのようだ。見目美しく、カップから匂いたつ馥郁たる香りは心を和ませる。  といってもこの茶器は近隣の国からと偽ってリシャールが贈ったものなのだが。本当の贈り主がばれないように近隣諸国を経由して遠回りをしてようやく王宮にたどり着いた逸品だ。赤色と青色の2つのカップにはそれぞれ同じ模様が描かれている。ただひとつ違うのは青色のカップには毒が丹念に塗り込まれているという点のみ。  ジュリアンは紅茶を飲むときにはミルクも砂糖も何も入れない。だから紅茶が注がれてからカップのなかに銀の匙が入れられることはまずない。つまり毒が入っていようともばれるはずがないのだ。  ジュリアンの紅茶の嗜好も親しくなってから得た情報だ。敵の近くにいればいるほど敵を欺くにも好都合になる。父上がしてきたことは間違いではなかったのだ。 「リシャールは赤と青、どちらのカップがいい? お前が先に選んでいいぞ」 「ああ、見事な細工だな。実はこう見えて優柔不断なんだ、ジュリアンが決めてくれ」 「そうか? じゃあ、この青いほうにしよう」  ジュリアンは嬉々として青いカップを選ぶ。想定通り、彼は青色が大のお気に入りなのは有名な話だ。  女中によって注がれた紅茶のかぐわしい香りにリシャールはほくそ笑む。お前の命もこれまでだ。  毒が入っていないことを示そうとリシャールは一足先に赤色のカップを口に運んだ。 「香りがいい。さすが王宮御用達の茶葉だな」 「そうだろう? この前来たときにリシャールがこの銘柄を気に入っていたみたいだったから取り寄せたんだ」  ジュリアンもリシャールに続いてカップを口に運ぼうとしたとき、女中がそれを制した。 「ジュリアン様、まだお毒味が済んでおりません」 「最近警護が厳しすぎじゃないか? 必要ない、それにリシャールはもう口をつけてるじゃないか。失礼だろう」 「しかし決まりですから」  ——これはまずい。  女中はジュリアンの手からカップを奪い軽く口に含むなり、ハンカチに吐き出した。 「毒です、ジュリアン様、毒が盛られて……」  女中はえずきをこらえるように口に手を当てたままどさっと床に倒れ込んだ。手足が痙攣して震えている。  使用人たちの悲鳴が王宮にこだまし、警備にあたっていた兵士たちが集まってくる。  厄介なことになった。  場が騒然とするなかでジュリアンは青ざめた顔でこちらを見ている。もしや自分の仕業だとわかっているのか……? 「リシャール! 大丈夫か、具合悪くないか?」  ジュリアンが目の前のテーブルをなぎ倒しリシャールの肩を揺さぶる。その必死な形相を見る限りどうやら何も勘付いていないらしい。  ほっと胸を撫で下ろしている場合ではない。リシャールはこめかみをおさえて背中を丸めた。 「少し頭痛が……」 「リシャール! 誰か、誰か早く医者を呼んでくれ!」  泣きそうな顔のジュリアンはなんとも滑稽だ。馬鹿な奴、自分が殺されかけたのになんて顔してるんだ。  倒れた女中はどこかへ連れて行かれ、リシャールもジュリアンの部屋へ担ぎ込まれた。医者の診察を受けながら、リシャールは壮絶な眠気に襲われ意識が遠のいていくのを感じた。 「……リシャール、目が覚めたのか」  あたりを見回すが不審な気配はない。ジュリアンの寝室に寝かされたままだ。あの毒がリシャールの仕業だとは未だばれていないようだ。  どうやら眠りこけてしまったらしい。少々肝を冷やしたから疲れが出たのだろうが、あわや計画が明るみにでるか否やという場で眠ってしまうとは自分の神経の図太さに呆れてしまう。そのおかげで気絶したと見せかけられてぼろが出なかったのだから儲けものか。  身を起こすと、ジュリアンが顔を心配そうに覗き込んできた。ずっとリシャールを見ていたのか泣き腫らした目をしている。 「心配したよ、医者からは症状は心因性のものだろうって。ほんの僅かしか口にしなかったしお前は身体が大きいからな、毒が少量だったおかげで特に問題はないらしい」 「……そうか。あの毒味係の女中は?」 「亡くなったよ、背が小さかったから毒がまわるのも早かったんだろう。だから俺、お前が目覚めなかったらどうしようかと……」  ジュリアンはそう言ってリシャールを抱きしめた。  あの女中には悪いことをした、あの状況でまさか毒見がつくとは想定外だったのだ。しかし毒を飲んだ女中が亡くなったのは怪我の功名、これで何か勘付かれていたとしても余計なことを言われないで済む。  そこまで考えてからリシャールは自分の思考に背筋が凍った。  人が一人、それも罪もなく恨みもない人間が自分のせいで死んだ。それなのにそれを安堵している自分にぞっとする。代々続いてきた家業だからとこれまで命じられるままに何人も殺してきた。口封じのために家族全員を殺めたことも、拷問のために口にはできないようなことも幾らでもした。そんな殺人に長年手を染めてきたせいで、人間らしい感情も失いつつあるのだろうか。  非道さでいえばティリアンも凌ぐかもしれない。  いや、そこまで狂えないと復讐など到底なし得ないのだろうな。 「本当に目が覚めてよかった。体調は何ともないんだな?」 「ああ、心配かけて悪かったな」  抱きつくジュリアンの背中に腕をまわして、ふとここで彼を殺してしまえばどうなるのだろうと考えた。短剣しか持ち合わせていないがやろうと思えばこの手で絞殺ぐらいなんてことはない。体格差で言えばリシャールに軍配が上がるだろうし造作もないことだ。  すっとジュリアンの首筋に手をかけてから、部屋の隅に立っている人影に気付いた。使用人だ。ジュリアンの自室だというのにこんなところにまで見張りがついているのか。  リシャールが使用人に気を取られているのがわかったのかジュリアンが苦笑いしながら首をすくめた。 「気になるだろう? 俺が悪さをしないように四六時中見張られているんだ。それに毒殺騒ぎのせいで城中みんなぴりぴりしてる。でも気にすることはない、こいつらは壁や家具も同然。話しかけなければ声を出すこともない」  こんなふうに監視されていては今ジュリアンに手をかけたところで取り押さえられるのがオチだ。今日のところはこれで諦めるほかない。  なに、今日は無理でも好機はいくらでも巡ってこよう。焦らずにじっくり、チャンスが来るまで手をこまねいていればいい。

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