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起源4 甘い呪いに酔わされる◆

 長い栗色の髪、父上は母上に似てると言って子供のときからよく撫でられたっけ。伸びっぱなしでたいして手入れもしていないから女のものとは似ても似つかなかったが、突然母を亡くした父にとっては妻を思い出させる唯一の存在だったにちがいない。  自分の髪が目に入るたびに父上のことを思い出すので仕方なく髪をひとつに束ねる。これで何も考えず、自分のことに没頭できる。  蝋燭の薄明かりが調度品の装飾をぼんやりと照らしている。よく整えられた寝台も窓際に添えられた花瓶も壁にかけられたタペストリーもどれもこれもが仰々しいほどに飾り立てられている。その豪華絢爛な佇まいはかえって悪趣味にリシャールには思えた。  先王を廃してすぐ王宮の調度品を一新してティリアン好みに造りかえさせたときいていたが、派手好みの奴の嗜好はどうも気に入らない。せっかく自分に与えられた客間だというのにきらきらと眩しくてちっとも落ち着かない。  一仕事終えて国王に進捗報告をしに王宮に馳せ参じたところ、夕食を共にとジュリアンに誘われたのだ。断る暇も与えられずあれよという間に晩餐も済み、湯浴みさせられたかと思えば客間に通され、半ば強制的に王宮に泊まる流れになっている。  にやり、とほくそ笑んだ。  いつか好機が巡ってくるだろうとは思っていたがまさかこんなにトントン拍子に事が進むとは思わなかった。予想よりも少々早いが、せっかくのチャンスを無駄にするわけにはいかない。  ふう、とひとつため息をつく。  部屋着として貸し出された薄いガウンの前をはだけさせた。衣擦れの音に緊張が高まる。  それもそうだ、これから一世一代の芝居を打つのだから。  隠し持っていた丁子油の小瓶を指に垂らし、溢さないようにそっと自分の後孔へ持っていく。普段なら絶対に触らない場所だが、ここ最近は後ろを慣らすために頻繁にそこに手を伸ばしている。優しく周りを撫でるように油を塗りこめていけば、ひくひくと蕾が痙攣してくるのがわかる。  つぷ、と指を差し込むと丹念に塗っておいた油のおかげでするりと中に入っていく。最初に指をいれたときは激痛に悶えたものだが、今はただ異物感しかない。快感を得るためというよりも単純に“場所を用意する”という作業に近く、ただ気持ちだけが急いている。  二本、三本と進めていくうちに額に脂汗が滲む。こんな性急に事を進めては自分の身を痛めるだけとはわかっているのだが、今は時間がない。少々乱暴でも怪我さえしなければいいという思いで半ば無理やり閉じた場所を開いていく。  ノック音が部屋に響いた。——ジュリアンだ。 「リシャール、そこにいるのか」 「ああ、入ってくれ」  慌ててガウンの紐を結ぶのと同時にジュリアンが扉を開けて入ってきた。リシャールと同様に湯浴みを済ませた後らしいが寝間着ではなくきちんとシャツを着込んでいる。  それもそのはずだ、時間ができたら部屋を訪ねてこいと呼びつけたのは他でもないリシャールなのだから。 「そんな格好で……悪い、もう寝るところだったのか」  リシャールのごく薄いガウン姿を見てジュリアンは顔を赤くする。 「君と会うときはいつも正装だったし、こんなだらしない姿は見せたことなかったな」 「だらしないわけじゃないが、新鮮? 違和感? なんだか落ち着かない」  リシャールは照れたように突っ立ったままのジュリアンの手を取って寝台に座らせるとその隣に腰かけた。 「すきだ」 「は?」 「ずっと好きだった。初めて見たときから、ずっと」  ジュリアンは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして目をまるくしている。  小っ恥ずかしい台詞に顔が熱くなるが、リシャールはそれに構わず続ける。 「急にこんなことを言われて困るだろうが、君には伝えたかったんだ。ずっと俺は君のことを考えていた。一緒にいるときも、離れてからも、仕事中も眠るときですら君が頭から離れない」  好き、好きだ、好きなんだ。  呪詛のように、狂ったように愛の言葉を吐き続ける。  ジュリアンは男色家だという話は耳にしていた。手っ取り早くジュリアンの懐に入って彼を殺すには彼に夢中だと信じ込ませるのが一番だと考えたのだ。  好きだと嘯く男をこいつはまんまと信用して気を許すに違いない。そして奴が油断した瞬間——その息の根を止めてやる。 「リシャール」  ジュリアンはリシャールを抱き寄せ、顔に手を添えて口づけてくる。  獲物が罠にかかった瞬間、狩人はこんな気持ちを抱くのかとリシャールはぼんやりと考えていた。  公爵家の後継ぎということもあって勝手に人が寄ってくるのだから、生まれてこのかた女に不自由したことなどなかった。日々の鍛練のために筋肉に覆われた体躯や涼しげな顔立ちだって女たちの評判もそう悪くはない。そんなリシャールが直々に真正面から口説いているのだ。ここに来て無理だとは言わせない。  唇を啄まれながらガウンが剥ぎ取られていく。どうせ脱ぐのだからとそれだけしか身につけていなかったので少々心許ない。負けじとジュリアンのシャツのボタンを上からはずしていくと、ジュリアンがリシャールの唇をぺろりと舐めた。 「急かさないで、そんなに俺が欲しかったのか」 「……ああ」  その通り、俺はお前の命が欲しいんだ。  長年父上と自分を苦しめてきた敵のその命をもってしか贖罪にはなり得ない。  最初こそ遠慮がちだったジュリアンもスイッチが入ったのか動きが徐々に大胆になってくる。存在を確かめるように軽く合わせるだけだった口づけが深くなる。ぬるりと入れられた舌が熱い。  こいつ、本当に男でもいけるんだな。  キスを交わすたびにピリピリと電流に似た快感が駆け抜ける。歯列をなぞられ口腔を蹂躙され、頭の芯がぼうっと熱をもってきた。くらりと脳が揺れる感覚に あ、と思った時にはもう遅かった。  いつの間にかふわりと寝台に押し倒され、ジュリアンの唇がどんどん下にさがっていく。その間にも手はリシャールの身体を撫でさするのを忘れない。  無防備な耳朶、のけぞったせいで白く浮き出た喉仏、筋肉で盛り上がった肩先、落ち窪んだ鎖骨、今までなんとも思っていなかった場所がジュリアンの舌で愛撫されるごとに感覚が鋭利になっていく。チリチリとした快感が溜まってくるのが自分でもわかるが、決定的な刺激に欠ける。  もどかしい、と思わず腰が揺れた瞬間、ちろりと胸の先端を舐めあげられて息を呑んだ。今まで肝心な性感帯に触れられぬまま、いいように撫でさすられキスを落とされていたせいで身体全体が敏感になっているのだ。ふうっ、と軽く息を吐きかけられただけで微かな快感に身体が震える。  胸のまわりを舌で円を描くようにゆるりと舐められたかと思えば、ツツ、と突起をなぞられる。散々焦らしたあとに口に含まれ、舌で押しつぶされる。軽く噛まれるとピリっと甘い衝撃が走って思わず吐息が漏れた。  薄く目を開くと満足げに勝ち誇ったような表情のジュリアンが目に入ってきた。それと同時に執拗に弄られて赤く腫れつつある自分の胸に気づいてかっと頭に血が上る。唾液に濡れててらてらと淫靡に輝くそれは自分のものではないみたいだ。  リシャールの身体を撫でさすっていたジュリアンの手はいつの間にかリシャールの尻にまで伸びていた。割れ目を押し開かれて蕾に直接触れられ、そこがひくりと震えるのが自分でもわかった。決して乱暴ではなく、リシャールに合わせるようにゆっくりと指が挿しこまれた。急ごしらえとはいえ先程まで慣らしていたためにそこは難なく異物を受け入れる。 「ここ、柔らかいけどどうしたの」 「……お前のために準備したんだ」 「へえ、抱かれる気満々じゃん」  もっと乱暴にされるかと思っていた。だから自分の身を案じて準備まで済ませていた。前戯もなく突っ込まれて良いようにされて、ただ剥き出しの欲望を受け止めるだけの行為だとばかり思っていた。  それなのに、こんなに優しいなんてきいてない。  二本に増やされた指が内側の襞を緩やかになぞっていく。二本同時に、時にはばらばらに動かされるそれは自分でするときとは違って予想もつかない。その想定外の動きに恐怖を感じた瞬間、下肢にどっと熱が集まるのがわかった。  なんだ、これ。  また同じ場所をとん、とつつかれる。びくりと身体が跳ね上がった。先刻までのぬるい刺激とは訳が違う。びりびりとした強い快感に心臓が早鐘を打つ。 「本当は、俺が全部してあげたかったんだけどな」  耳元でそう囁かれてすぐ指がまた増やされる。自分でしたときは不快感と圧迫感で頭がいっぱいだった。でも今は違う。苦しい、と感じるたびに先ほどの場所を的確に触れられ熱い吐息が漏れる。  苦しい、気持ちいい、熱い、でももっとしてほしい。  相反する感情に脳が追いつかない。ただ情けない声が漏れないようぎゅっと唇を結んでこらえるだけで精一杯だった。  たしかに快感は感じるのに直接的な刺激が足りない。リシャールはキスを受けながらすでに猛った自分自身に手を伸ばした。恥じらいなどとうに捨てていた。自分の欲望のままに触れるとすっかり先走りで濡れているのがわかる。夢中で扱きあげていると、それに気づいたジュリアンにそっと手を外された。 「駄目だ、全部ひとりでやるなんて。俺がいるだろう」 「……だが、もう……」  熱でうだった頭ではもう何も考えられない。とにかくもう出したい、楽になりたいという思考でいっぱいいっぱいだった。  それを見かねてかジュリアンはリシャールの額にキスを落とすと、そのままリシャール自身をそっと握った。そのままあやすように撫でさする。  やっと与えられた自分自身への直接の刺激に頭が真っ白になる。それでも動きが優しすぎた。  足りない、まだ足りない。 「……もっと、」  無意識に口をついて出た強請りごと、それをジュリアンは受け入れるように自分自身をリシャールの後孔に押し当てた。  指とは質量も熱も何もかもが違う。徐々に、かつ確かに挿入ってくる熱にリシャールはあらぬ声を止められなかった。  リシャールが落ち着くまで待ってからゆるりと始められた抽挿。初めて受け入れる男根に身体が強張ると、すかさずなだめるように口づけられる。まるで生娘みたいな抱き方だった。 「……んぁっ……」  指で丹念に教えこまれたところを何度も繰り返し貫かれる。指とは比べ物にならない大きな質量をもったそれによる衝撃はより大きな快感を連れてくる。頭のなかで火花が散るような刺激に耐えきれずに漏れる声は手で抑えることしかできない。  目を開けば眉間に皺を寄せるジュリアンの雄の顔が飛び込んでくる。したたる汗はリシャールのものと混じってもうどちらのものだかわからない。  ジュリアンが腰を動かすたびにリシャール自身がジュリアンの腹に触れる。もどかしい刺激だが今のリシャールにとってはそれでも十分すぎるほどだった。後ろから与えられる快感と相まってさらなる高みへと連れてこられる。 「……好きだ、ジュリアン。すきなんだ」  中でジュリアンが更に大きくなったのがわかる。  無我夢中で手を伸ばし、ジュリアンの頬を両手で包み込んで口づけた。好きだと口では嘯きながら、心の中では呪詛の言葉を吐き続けている。  憎い、ジュリアン、お前が憎い。  憎しみを愛の言葉と偽らなければ口に出せなかった。積年の恨みをこうでもしないと晴らせなかった。恥辱に耐え、復讐を夢見ることでしか生きられなかった。  ぬくぬくと温室で育ってきたお前には俺の苦しみ、父の嘆きなんてわかるはずもない。それでも恨まずにはいられなかった。我が家族を壊してまで得た幸福はさぞ甘美なものであっただろう。  その醜く濁った屈辱の日々に終止符を打つのだ。  小さな呻き声の直後、身体の最奥に熱が吐き出されたのがわかった。  お前もこれで終わりだ、ジュリアン。  唇を貪りながらリシャールは枕の下に手を伸ばした。うだるような熱さには心地よいまでの冷たさに触れる。  吐精した直後、男は全力疾走したあとのような疲労感を覚える。今が一番隙のある瞬間だ、殺めるなら今しかない。この短剣でお前の心臓を一突きにしてやる。  短剣を握る手にぎゅっと力を込めたその瞬間、ジュリアンがぱっと唇を離した。 「身体は大丈夫か? 痛くなかったか?」  息も整っていないうちにジュリアンは矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。 「とりあえず水でも持って来させよう。おい、いるんだろう」  ——なんの話だ?  混乱を隠せないままでいると、数秒も経たないうちに小間使いが水差しを持って現れた。それをジュリアンが受け取ったのを確認すると、彼は会釈してタペストリーの影に消えていった。 「あの、男は……?」 「使用人だがどうかしたのか。……ああ、びっくりしただろう。タペストリーの裏には隠し通路があってな、各部屋に一人ずつ護衛の人間が交代でついてるんだ。用を言いつければすぐにやってくるし便利なもんさ」  ジュリアンは刺繍が施された鮮やかなタペストリーをぺらりとめくって見せた。たしかに隠し通路になっていて、さらに部屋が続いているようだ。  こんな通路が存在していたとは、貴族である自分の耳にも入ってこなかった。道理で父上が四半世紀も暗殺に手こずっているわけだ。こんな場所に兵たちが隠れているとすればそう簡単に命など狙えない。すぐさま返り討ちにされてしまう。  短剣を抜く前で良かった、と思う一方で内心では身体を張った計画が頓挫したことに歯噛みしていた。  捨て身の計画が失敗した。  ジュリアンを殺してすぐ逃げ遂せるつもりだったのだが、殺害すらままならない状況になってしまった。  残されたのは憎い敵に抱かれた身体のみ。  くつくつと笑いがこみあげる。  心を壊した父上が哀れで、こんな境遇に堕とす原因である敵が憎くて、屈辱に耐えきれず安易に事を進めた自分が馬鹿だったのだ。父にできなかったことを若輩の自分が成し遂げられるはずがなかったのだ。  叶わぬ夢を思い描いて、敵に恥ずかしげもなく醜態をさらした。なんて無知で、なんて間抜けなんだろう。  デュナン家の誇りを穢したのは、他でもない俺のほうではないのか。 「どうしたんだよ。なにか面白いことでも思い出したのか」  ああ、ひどく滑稽な自分がおかしくてたまらないんだ。  笑うのをやめないリシャールに焦れたジュリアンが萎えてしまった熱を取り戻そうと身体に触れてくる。気持ちはすっかり冷めてしまっているが、達さないままになっていた身体は裏腹に少しの刺激ですぐ熱くなっていく。徐々に頭をもたげてくるリシャール自身に満足したのか、ジュリアンは気を良くして再びリシャールをあばいていく。  彼はいま自分が抱いているのが気持ちを伴わない人形だとは思いもしないのだろう。失意でぼんやりとした思考のなか、リシャールは敵に触れられる自分の身体を別人のもののように眺めていた。  ぐい、と貫かれるかすかな痛みを麻痺した頭で認識する。どこに触れられても噛まれてももはや何も感じない。快楽の海に溺れてしまえたら幾分楽だったかもしれないのに。  目を閉じるとそこには闇が広がっている。このまま時が過ぎ去るのをただ待つことしかできないのだ。

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