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起源7 世界の終焉は起源の産声
ちらりと顔を上げる。国王と王妃が玉座につき、祈祷師の前で祈りを捧げている。
国王の脇にはクレマン大臣が控えていた。彼の腕っ節の強さでは王宮一といわれているので用心棒として臨席しているのだろう。どんな理由にせよ彼がこの場にいるのは少々厄介だ。
玉座を前に祈りを捧げている祈祷師の後ろでジュリアンが暇を持て余して手持ち無沙汰に立っている。締め切られた祈祷室は蒸し暑く、そのせいで機嫌が悪いらしい。リシャールはジュリアンのそのさらに後方で父とその他数人の貴族たちと共に王族の祈祷の様子を見守っていた。
ジュリアンの言葉通り衛兵たちはもちろん使用人も誰一人いない。本当に王族とごく僅かの家臣のみの典礼のようだった。
頭を垂れて国家の繁栄を祈願するティリアンは実に滑稽だ。貴様が治めるこの国はもともとお前が軍を率いて占領したものではないか。先の王族が守ってきた緑豊かな美しいこの国を散々食い物にしておいてなにが繁栄だ。この国を潰したのはお前のほうじゃないか。新たにティリアンが築いた国家はもはや我が故郷とは到底思えない。
この国を力ずくで奪い、先王の血を引く人間だけでなく罪のない人間も歯向かう者は次々に処刑していった。残されたのは力のない民衆と、先王への忠誠を捨てティリアンにひざまずいた貴族のみ。
先王を裏切れなかった父を無理やり生かし、おかしくさせたのは他でもないティリアンだ。温厚で心優しかった父に復讐を誓わせ、そのせいで父上は心を病んでしまった。苦しみから解放されようとしても死ぬことすら許されない。デュナン家が受けた犠牲はなんて大きかったことか、その屈辱はいかに我が家を苦しめたことか。
それに引き換え、簒奪者である現国王の栄華の華々しさもきたら筆舌に尽くしがたい。王宮を改修し派手な装飾で飾り立て、自らの地位が大きな犠牲の上で成り立っているにもかかわらず厚顔無恥に振る舞っている。
しかし今日こそ辛酸を舐め続けた日々に楔を打ち込んでやる。お前が得てきたものはすべて偽りだったと嘆くがいい。
腰で揺れる鞘に手をかける。無機質で冷たい感触すら心地よい。
この剣で幾人を葬ってきたことか。初めてこの剣を血で染めたときの感触は忘れられない。最初こそ自分が手を掛けた人間を指折り数えていたものだったが、いつしかその習慣はなくなっていた。そんなことをしてもきりがないと悟ったのだ。
自分のために誰かを殺めたことはない。すべてティリアンの命令によるものだ。自らは手を汚さず、リシャールにその罪を背負わせてきた。デュナン家は代々国王の命を受けて暗殺を担う家系ではあったが、その仕事には誇りがあった。無用な苦痛を与えないという慈悲の掟があった。
しかしティリアンはその掟を踏みつけにした。拷問、監禁、思い出すのも憚られるような、太陽の下を胸を張って生きられないほどの所業を強いられてきた。そんな後ろめたい思いをするのは簒奪者ではなく、なぜ自分なのだ。なぜ簒奪者の息子には子供時代が与えられ、なぜ自分の手には血塗られた剣しか与えられなかったのか。
この恨みは決して色あせることはない。
「——覚悟!」
標的に向かって一心不乱に駆け出す。王妃の悲鳴、貴族たちの間抜けなざわめき、クレマン大臣が国王を守ろうとティリアンの盾になるのが視界の端に見えた。
しかし、俺が狙うのは国王ではない。
リシャールの標的が自分だと察したジュリアンは一瞬動揺の色を見せたが、すぐに剣を抜こうとする。まっすぐリシャールを見据える瞳に映ったのは狂気、憎悪、そして殺意。誤魔化すことも隠すこともない負の感情だ。
ただ単純に、綺麗だと思った。
乾いた唇をちろりと舐め、汗に濡れた前髪を掻き上げて、自分を真正面から睨みつける。そんな男から目が離せない。
しゅるり、と剣を抜く。
俺の相棒、こいつが世界を終わらせる。
「ジュリアン!」
デュナン家の誇りのため、父上のため、母上のため、そして自分自身のために、リシャールは剣を握る。
一瞬、時間が止まったかと思った。
そして吸い込まれるようにジュリアンの腹部に刃が入り込んでいく。
ぬるり、と嫌な感触がした。構わず剣を引き抜くと、鮮血があたりに飛び散った。赤い花びらをむしってばら撒いたかと錯覚したが、騒然とした周囲の反応で現実に引き戻される。
傷口をおさえ、小さく呻いたジュリアンは数歩リシャールの方に近づこうとしてそのまま倒れこんだ。
「……リシャール」
ぽつり、と呟かれた名前。しかし誰にも届かない。
ジュリアンは祈祷師に必死の手当てを受けていた。それでも腹部から流れ出る血の量がそれはもう意味をなさない行為だと物語っていた。
何よりも、彼の腹部に剣を押し込んだ自分の感触が全てを知っている。
突然の惨劇に場が静まりかえる。
王妃の慟哭に衛兵たちが集まってくるのが足音でわかった。クレマン大臣がじりり、とリシャールのほうへ一歩踏み出す。
ああ、これまでか。
クレマン大臣と一騎討ちしたとしても勝率は五分五分。彼を倒したあと国王を討ち果たせる確率はほぼゼロ。
リシャールは自分の父親のほうに目を見やった。衝撃の表情、あっけにとられ足がすくんでいるのかぴくりとも動かない。
「——父上」
これが合図だった。
デュナン公爵が何者かに導かれたように自らの剣を抜き、生気のない眼差しでこちらをみつめる。
父上は、死神を頼った不甲斐ない息子を許してくれるだろうか。
そう思った瞬間、胸部に鋭い痛みが走った。熱い、痛い、熱い。
倒れこみながら胸を押さえると、ぬるりと温かな感触があった。ジュリアンと同じ痛みを、自分も味わっているんだろうか。
国王の慟哭。誰もがリシャールの名前ではなく、ジュリアンの名前を呼んでいる。
ああ、あいつが死んだのか。
自分の名前を呼ぶ人間なんて誰もいないと思っていたら、ふわりと誰かに支えられる感覚があった。
——父上か。
誰もがジュリアンの死を悼むなかで、父だけが自分を哀れんでくれる。
死神に操らせ、父上の意志に関係なく自分に刃を向かわせた。リシャールがジュリアンを殺した今、その咎は自分と父であるデュナン公爵が受けることになる。
しかしデュナン公爵が自分の息子を自らの手で成敗すれば、父は息子を殺してまで国王を守った忠臣とみなされ、さらに厚い信頼を得ることができる。その忠臣が息子を殺されて弱った国王を討つとしたら、ティリアンにとってどれほどの衝撃を与えられるだろうか。その失望の大きさは計り知れない。
『心の底から信じていた人間に裏切られるほど堪えることはない。私はあいつに手を尽くしてでき得る限りの苛烈な死を与えるつもりだ』
いつぞやの父上の言葉を胸の内で反芻する。
これは父上の望む苛烈な死の筋書きに入るでしょうか。
次第に目の前が暗くなっていく。
そして完全に光が閉ざされる間際に、死神の姿を目にした気がした。
『お前はその代償に永遠の煉獄に閉じ込められるのだ』
もう何も、誰の声でさえも届かない。
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