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エジプト編1 回転木馬に運命を乗せる

『お前はその代償に永遠の煉獄に閉じ込められるのだ』  この言葉がずっと耳に残っている。いや、実際に言われたのは厳密には俺ではないのだが。  そう言われたのは “リシャール” だ。今の自分、リヤードにではない。今の自分は行商人の家系に生まれ、亡くなった父の仕事を引き継いで手に入れた書物をムセイオン(王立研究所)に卸す仕事をしている。  まっとうな仕事だ。太陽の下だって堂々と歩ける。両親に愛されて育ち、よい友達に恵まれ、信頼できる仲間と共に働く喜びを日々感じている。  ただ周りとひとつ違うのは前世の記憶を未だにもっているということぐらいか。“リシャール” だったときの記憶はまるで自ら経験してきたことのように鮮やかに俺のなかに息づいている。国王付きのアサシンとして数々の命を奪い、死神の助力を得て宿敵を討ち果たした。  命を落として輪廻してからもその業の記憶をもったまま生きることが、死神のいう永遠の煉獄なのだろうか。 「リヤード、今夜一杯やらないか」  仕事仲間のアリーがくいっと杯を飲み干す仕草をする。大口の注文を取り付けたのでその祝勝会がやりたいのだろう。 「俺も今日はなんだか呑みたい気分なんだ」  快諾してやるとアリーは喜び勇んで他の同僚たちに声をかけてまわった。  アリーが声をかけた人間がその友達を誘い、また人が増えていく。そんな調子でいつのまにかちょっとした大宴会になってしまった。  騒がしいのは嫌いじゃない。一人でじっとしていると別なことを考えてしまう。その点、酒を呑めば楽しいことしか考えずに済むので気が楽だ。  一気に酒を煽るとどよめきの声が上がった。 「おいおい、リヤード。そんなに急に呑んで大丈夫か。今日はやけに機嫌がいいな」 「久しぶりだからかな。最近やけに景気が良くて忙しかったせいでちっとも暇な時間がとれやしやい」 「先代のファラオが亡くなって、クレオパトラ様と弟君が即位したばかりだろう。みんな浮かれてるんだ」 「お祝いムードで注文がはずむのは良いことだけど、遊ぶ暇もないんじゃ疲れも癒えないじゃないか」 「噂じゃクレオパトラ様は相当な美女って話じゃないか。そんな美人に出逢えたらお前の疲れも吹っ飛ぶんじゃないのか」  やいのやいのと軽口を飛ばしあううちにすっかり宵の口。お開きになった宴会場を後にすると、くいっとアリーに腕を引っ張られた。 「おい、危ないじゃないか」 「ちょっとここ、入ってみないか」 「娼館じゃないか、しかもこんな高級店、入れるわけないだろう」 「こういう高級志向なところが豪華な絵画なんかを注文してくれるもんなんだよ。ほら下見だよ、下見」  そう言われると新たな取引先につながるかもしれないという商売っ気がむくむくとわいてくる。ああ、悲しいかな商人の血筋だ。 「下見するだけだからな」  何度も念を押しておそるおそる館のなかへ入っていく。この雰囲気はどうも慣れない。女たちから漂うむせかえるような香油の香りに鼻がおかしくなりそうだ。  ちょっと主人に話をつけてくるとアリーもすぐにどこかへ行ってしまって、ぽつんと一人取り残される。慣れないところに一人きりというのは居心地の悪さも相まって心許ない。  早く帰ってきてくれと念じていると、どんと背中になにかがぶつかる衝撃を感じた。 「痛っ」 「すっ、すみません」  反射的に出してしまった声におびえたのか、ぶつかってきた本人があわてて頭を下げてくる。  足元には女物の衣装が散らばっている。どうやら洗濯物を運んでいる最中に俺にぶつかり、その拍子に落としてしまったらしい。 「いや、こちらこそ悪かったね」  床に落ちた服を拾い上げて手渡し、あらためて相手を確認する。男にしては小柄な赤毛の少年。  赤毛の男にはいい思い出がないなと考えてから、赤毛に因縁があるのは俺ではなく “リシャール” だったと思い直す。 「……ありがとう、ございます」  ぺこりと頭を下げた男が顔をあげたのを見た瞬間、ひゅっと喉の奥が鳴るのがわかった。 「——ジュリアン」  思わず忌まわしい名前が口をついて出る。  この顔、この声、この髪もすべてジュリアンに瓜二つ。似ていないのは身につけた衣装ぐらいなものだ。薄汚れたみすぼらしい格好は着たきり雀なのだろうということが容易に想像がつく。 「お前が、なぜここにいるんだ」  確かに “リシャール” はジュリアンを葬ったはずだ。あいつは死んだ。俺が殺した。  それなのになぜこいつがここにいる。背中を嫌な汗がつたう。 「いや、俺の名前はジャミル。ジュリアンじゃない」  ジャミル、ジュリアンじゃない。  しかし姿はジュリアンそのものだ。ひたすら恨み続けた憎い人間の顔をそう簡単に忘れられるわけがない。奴の目をみれば憎しみの炎が再び燃え上がる。その強さは焼け尽くされそうなほどだった。  他人の空似か。いや俺が “リシャール” の記憶をもったままなようにジュリアンもその記憶を携えて輪廻の輪に加わったのではないのか? しかしジュリアン、——ジャミルは俺の顔を見てもなんの感情も持っていないようだった。少なくとも彼は “ジュリアン” の記憶はもっていない。  “リシャール” の記憶をもったまま、この世の誰よりも憎んだ男と再び同じ時代を生きなければならない。これが死神に払う代償だとでもいうのか。リヤードというごく普通の男として生まれ、人としての幸せも喜びも “リシャール” 以上に感じてきた。  誰かを憎んだり恨むことはもう二度とない。そう思ってきたのに、俺はまた憎しみに心が支配される地獄の苦しみを味あわねばならないのか。  ——まさしく永遠の煉獄だ。

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