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日本編1 夢幻の世界

「陸人さん! 」  人気もまばらな駅前に佇む陸人さんはいい意味で俺には浮き立って見える。背が高いから単純に他の人よりも頭ひとつ分みつけやすいということもあるんだろうけど、一番目を惹くのはその髪だ。  背中にかかるくらいまでたっぷり伸びた髪をひとつに束ねるその姿はこんな住宅街の寂れた駅前でもランウェイの上のように錯覚させる。その栗毛色の地毛は日本人離れしているように思えるけれど彼曰く遺伝らしい。なんにせよただでさえ目鼻立ちの整った顔立ちなのにそんな浮世離れした髪型で無防備に歩かれたら周りの人が放っておかない。  この人は俺の彼氏なんですよという牽制の意味を込めて陸人さんの腕にしがみついた。 「ここ外だからあんまりじゃれつくな」 「いいじゃん。もうすぐ家着くし」 「お前ん家じゃなくて俺の家だけどな」  陸人さんはいつもそう言って釘をさすのを忘れない。俺がまだ大学生のうちは一緒に暮らせないと言われ続けているけれど、就職したのに職場のそばに引っ越すことなく未だに大学のそばのワンルームに住み続けているところから俺への気遣いが窺える。顔は怖いし小言ばかりだけど、こういうところが好きなんだ。 「今日なんの授業だったんだ? 」 「国際経済論。でも出席足りなくて単位落とすかも」 「あの教授は試験メインだからテストさえちゃんと点とれたら問題ないさ」 「本当? やっぱり持つべきものは同じ大学の先輩だわ」 「こら汐恩。じゃれるなよ、歩きづらい」  口では嫌がってるけれど本当は嬉しがってるのを俺は知ってるからこんな文句くらいじゃ止めたりなんかしない。俺が新入生のときからの付き合いだからもうすぐ出逢って二年。陸人さんの行動パターンなんてお見通しだ。  二人でエレベーターで三階の部屋に入る。駅から徒歩十分、大学まで電車で三駅。実家暮らしが窮屈な俺にとって陸人さんの家はこれ以上ない好条件だ。陸人さんが就職して大学で会えなくなってからはこの部屋で半同棲状態になっている。  去年までは会おうと思えばいくらでも大学で会えたのに、今じゃこうやって家に押しかけない限り一緒にいられる時間を作れない。それをもどかしく感じると同時により一層濃密な時間を過ごせている気もする。  一緒に冷蔵庫の中身とにらめっこしながらご飯作って、たわいもないお喋りをしながらそれを食べ、じゃんけんでどっちが皿洗いをするかで揉めたりする。そして食後はソファーで一緒に映画を観るのだ。まるで既婚のカップルみたいじゃないか。  そう考えて悦に入っていると、ソファーで隣に座っていた陸人さんがわしゃわしゃと髪を撫でてきた。 「ちょっと、俺犬じゃないんだけど」 「そりゃそうだ。犬のほうがまだ賢い」 「陸人さん! 」  くつくつと笑う彼を見ているとからかわれるのもそんなに悪い気はしない。陸人さんの気が済むまで髪を触らせてやる。 「やっぱり汐恩は赤が似合うな」 「陸人さんが赤く染めろって言ったんだろう」 「だって最初に会った頃の汐恩、金髪で全然似合ってなかったじゃないか」  二年前の春、大学デビューだと息巻いて初めて髪を染めた。どうせ染めるなら派手にしようと金髪にしたところまでは良かったのだが、その髪のせいで上級生と間違えられサークルの勧誘チラシをまったく貰えなかった。  そんなとき、初めて声をかけてくれたのが陸人さんだったのだ。今思えばもっと話しかけやすそうな新入生がいたはずなのに、真っ先に俺に声をかけてきたのは不思議だった。まあ、審美眼が優れていたんだろう。なんてったって俺の陸人さんだし。 「初めて会ったときの陸人さんだって俺見て目ェまんまるにしてすごい顔してたじゃん。幽霊でも見えてるのかって俺本気で心配しちゃったくらい」 「そりゃ急にド金髪の坊主が現れたらびっくりするだろう」 「俺だって四年生に急に連絡先きかれてびっくりしたよ。うわー、大学生って手が早いんだなって」  嘘、本当は出会い頭に陸人さんから携帯番号をきかれて有頂天だった。こんなに綺麗で男らしい先輩が俺なんかに興味をもってくれると思ったら嬉しくて飛び上がりそうだった。  完全に俺の一目惚れで、なぜか渋る陸人さんを強引に口説き落として今の関係に至るまでには少々時間がかかったのだけれど。まあそれも今じゃ初々しい良い思い出だ。  俺の髪をひたすら撫でまわして満足したのか、今度は俺の身体を撫でさすってくる。俺の形を確かめるように肌をなぞられ、じわじわと身体が疼いてくる。陸人さんのほうに視線をやると、彼もまた情欲に濡れた瞳でこちらをうかがっていた。 「ね、キスしてよ」  そんな瞳でみつめられたら欲情しないほうがどうかしてる。辛抱たまらず素直に自分の望みを口にした。 「駄目。キスは嫌だって言ってるだろう」 「どうしても? 」 「どうしても、だ」  そう言って陸人さんは悲しそうに目を伏せた。  彼と付き合って長いけれどもなぜだか一度も唇を合わせたことがない。こうしてたまにキスを強請ってもはぐらかされたりやんわり拒否されるばかり。なにか事情があるのかもしれないけれどしたいものはしたい。  でも機嫌を悪くしただろうか。せっかくいい雰囲気だったのにそれを壊すのは忍びない。おそるおそる顔を覗き込むと、俺を見て陸人さんはにやりと微笑んだ。 「今日はどっちでシたい?」  今後の展開を想像したのか陸人さんが興奮で掠れたような声で質問を投げかけてくる。  俺たちの関係はどっちがどっちというポジションを具体的には決めていない。お互いの気分によって攻守交代するし、意見が合わなければ互いを尊重して譲り合う日もある。だから情事の前にはこうやってお伺いをたてるのが暗黙のルールになっていた。 「今日は陸人さんに抱かれたい、かな」  そう答えて腕を伸ばすと陸人さんがぎゅっと抱きしめてくれる。耳元で了解、と囁かれるとその色っぽい声音に心臓が早鐘を打った。  手を引かれてベッドまで誘われる。俺よりもずっと立派な体躯を持ちながら決して強引に事は進めない優しい仕草に、彼にならどんなことをされても大丈夫だろうなとぼんやり考えた。

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