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第53話 網野は網野で、俺は俺で<Side 鞍崎
1週間前。
網野が飲みに行っていた時、俺は、ユリさんの働くバーへと来ていた。
兄の友人であったユリさんは、女装はしているが、異性愛者の男性だ。
少しだけ低い声だが、綺麗なメイクで、一見して男だと気づく者は稀。
同性愛者である自分を隠し、普通に見えるよう、男が好きだなんて悟られぬようにと障壁を築いたコミュニケーション下手な俺。
気の抜ける場所がなく張り詰めた毎日を送っていた俺に、肩肘を張らなくていい場所、このバーへの来店をユリさんに勧められた。
恋人を探すためではなく、職場である化粧品会社の試供品を届ける名目で、俺はここを訪れるようになった。
「育ちゃん、一緒じゃないの?」
俺にウーロンハイを差し出しながら、ユリさんが首を傾げた。
網野と付き合うようになったのも、ユリさんの早とちりからだった。
俺たちを結びつけたのは、ユリさんだといっても過言ではない。
「あぁ。あいつはあいつで飲みに行ってる……」
俺は、鞄から試供品のアイライナーを取り出した。
ここに来る2日前の月曜、昼休み。
昼食から帰ってきた俺は、給湯室で網野に掴まった。
「近いうちに、ユリさんのとこ、行きます?」
午前中に渡されたアイライナーの試供品。
どうしてもユリさんに届けなくてはいけないわけではない。
それでも、俺を救ってくれた…、網野との仲を取り持ってくれたユリさんに感じている恩義を少しでも返せるのならと、試供品の提供を続けていた。
「あぁ。水曜日にでも届けに行くつもりだけど」
カップにコーヒーを注ぎながら、声を返す。
久しぶりに一緒に外で飲むのも悪くない。
網野も誘おうと、口を開きかけた。
「じゃ、その日オレ、呑みに行ってきます」
誘いの言葉を紡ぐ前に、断られた。
開きかけた唇のままに網野を見詰めてしまう。
「あ、この前、鞍崎さんの家来る前に会ったヤツと。飲もうって話して、そのままになってるんで……」
無意識のうちに、誰といくのかと問うような雰囲気を醸していたようだった。
「あぁ、そっか。わかった」
俺は、網野の顔から視線を外し、小さく頷いて見せるしかなかった。
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