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第56話 仮説が実証へと掏り替わる

 小佐田が間違ったのだろうと、箱を抱え事務所を出た。  視界に飛び込んできたのは、網野の後ろ姿とその前に立つ小佐田。  網野は、何度となく小佐田に手を伸ばし、それを引いた。  ぎこちないその動きに、俺の胸がずきりとした痛みを放った。  触れるコトを躊躇(ためら)うその動きが、俺へ手を出しそびれていた期間を思い起こさせた。  触れてしまえば勢いがついてしまいそうだと思い止まっているかのようで、胸が軋んだ。  事務所の横に並ぶいくつかのミーティングルーム。  そのひとつに瞳を据えた網野は、目の前の小佐田の手首を掴み、その中へと誘う。  瞬間的にかち合ったのは、小佐田と俺の視線。  迷惑そうにも見える小佐田の顔は、すぐに部屋の中へと引きずり込まれていった。  開発部と営業部に、全く接点がない訳じゃない。  仕事の話をするためかもしれない。  でも、そんな様子じゃなかった。  まるで痴話喧嘩の様相だった。  心臓が嫌な音を立て、拍動していた。  網野と小佐田が何を話しているかを詮索するなど、邪道もいいところだ。  でも俺は、ミーティングルームの前を通り過ぎる際、歩測を緩め聞き耳を立ててしまう。  ミーティングルームの中の声は、当たり前だが聞こえなかった。  何事もなかったかのように、なにも見ていないというように自分を誤魔化し、開発部へと足を進めた。  開発部から自席に戻り、仕事を始める。  10分ほど遅れ、網野が事務所へと戻ってきた。  戻ってきた網野は、目に見えて肩を落とし悄気ていた。  網野と小佐田の間に何があるのかなんて、わからない。  ただ、仕事の話をしていたのかもしれない。  でも、もしかしたら。  俺の知らないところで、いい感じに話が進んでいたのかもしれない。  網野が小佐田を好きだという仮説が、どこかで実証に()り替わっていた。  俺の中で、網野には俺という恋人がいるという事実が薄らいでいく。

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