37 / 56
三話 今日からおまえは俺の弟だ 1
「ふたりで話しあったんだけど、奏はお父さんと、杏はお母さんと暮らすのがいいんじゃないかなって、そう思ったの」
子供のころ暮らしていた家のリビングルーム。母は杏と夫にはさまれてソファーへ座っている。
奏は反対側のソファーにひとりぽつんと腰かけて、母親の言葉を聞いていた。
「え……」
両親が離婚することは少し前に聞かされていた。嫌だったけどしかたがない。両親の間が上手くいっていないことは、このときまだ十五歳だった奏の目にも明らかだった。
ギスギスしている両親を見続けるのは、離婚以上にきついものがある。
杏がこのところ不安定になっているのは、奏も気づいていた。幼心に両親の不和を感じ取っているんだろう。いまも母にべったりとしがみついて離れようとしない。
でも、だけど――
父親と暮らすことになるなんて、夢にも思っていなかった。杏とともに母親に引き取られるものだと決めつけていた。
父親は子供に関心の薄い人だった。それが離婚の原因のひとつだったことも、なんとなくわかっている。母親は子供の相手をしようとしない夫にたびたび文句を言っていた。
どうして杏だけなの。どうして俺は連れていってくれないの。俺のことは好きじゃないの――?
喉へ迫り上がった数々の言葉を無理やり呑みこむ。
母とふたりきりなら言っていたかもしれない。でも、目の前には父がいる。
「うん、わかった……」
膝の上で握りしめた両手に視線を落として、そう言った。
次の日、ふたりきりになった隙を見計らって、母親を問いつめた。
「どうしておれは連れていってくれないの……?」
母と一緒に暮らしたい。自分に少しも関心のない父とふたりで暮らすなんて、考えただけで憂鬱になる。
どうしても連れていけないというのなら、納得できるだけの理由が欲しかった。
「お父さんがね、子供を引き取りたいって言ってきたの。自分にもその権利はあるはずだって……。考えてみれば当たり前よね。あの人だって親なんだから。でも、杏はまだ小さいからあの人に世話は無理でしょう? 奏なら自分のことは自分でできるし、お父さんの手助けだってしてあげられるじゃない。……きっとお父さんは淋しいのよ。ひとりぼっちになりたくないの。だから、奏、せめてあなたは傍にいてあげて」
母は奏の両手を握りしめると、切なげに眉を寄せて奏を見つめてきた。
……なんだよ、それ。父さんと離婚するために、人身御供としておれをおいていくってことじゃないか。
離婚を切り出したのが母だということも、父がそれをずっと突っぱねていたことも、薄々気づいていた。
きっと、どうしても離婚したいのなら子供をひとりおいていけ、とでも言ったのだ。母を引き止めるために、それとも悪あがきの嫌がらせで。淋しいからでも、ましてや子供を愛しているからでもない。
母はそれを受け入れた。離婚するために奏を犠牲にした。なにをしてでも連れていきたいとは思ってくれなかった。
父さんがおれや杏に愛情がないことくらい、母さんだって知っているのに。もっと子供たちをかまってあげて、愛してあげて。そう言って喧嘩してたのを知らないとでも思っているのか。
この人は自分自身が自由になるために、息子を捨てていくのだ。
そう思った瞬間、母は他人になった。血は繁がっていても、心の繋がりは切れてしまった。もう二度と繋がることはないだろう。
ともだちにシェアしよう!