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三話 今日からおまえは俺の弟だ 3

 かさり。紙をめくる小さな音で目が覚めた。 「奏、起きたのか。熱は下がったか」  声はあっという間に近づき、ふいに目の前が暗くなったと思ったら、睫毛の触れる距離にミハイエルの顔が現れた。 「――――――!」  声にならない悲鳴が上がる。ミハイエルはひんやりした手で奏の前髪を掻き上げると、額に額をくっつけた。 「どうやら下がったようだな」 「おっ、お、お、お、お」 「お茶が飲みたいのか?」 「ちがっ! な、なに、なんの真似を――」  狼狽して赤くなる奏を、ミハイエルは不思議そうな目でながめた。 「なにかおかしかったか。日本ではこうやって熱を測るんだろう。俺の母はいつも額と額で熱を測ってくれたが」 「そっ、それは親子だからであって! た、他人同士が、そっ、それも男と男は、そ、そんなふうに熱を測らないんですっ!」  起き上がった弾みに額のタオルが転がり落ちる。タオルはまだひんやりと冷たい。どうやらついさっき変えたばかりのようだ。  奏は枕元を探り、眼鏡をかけた。傍らに桜色の手帳がおいてあるのに気づく。奏はこの手帳に見覚えがあった。ミハイエルが読んでいる姿を何度か目にしている。きっといまも奏が眠っている間に読んでいたんだろう。  いったいなにが書いてあるんだろう。たいした厚みのない手帳だ。一時間もあれば読み通せそうなのに。 「一緒に暮らす以上、俺と奏は家族みたいなものだ。ある意味、親子と言っても間違いじゃないだろう」 「おれはこんなに大きな子供がいるような歳じゃないし、だいたいこんなに似てない親子があるか!」  ぜーぜーと息を切らして怒鳴り、ハッとする。ミハイエルが微笑みながら見つめているのに気づいたからだ。  無表情でも目を惹きつけられるほどの美形だが、笑顔は威力が違う。心臓が、心臓がやばい。慌てて目を逸らす。 「ひと晩寝たら元気になったみたいだな」  そう言いながら枕元に腰を下ろす。 「お、お、おかげさまで……」  ひょっとして奏が寝入ってしまったあとも看病してくれていたんだろうか。  なんだ、なんだ、この変化は。悪いものでも拾って食べたんじゃないだろうか。いや、ほんとうはわかっている。ミハイエルの前でみっともなく泣いたりしたせいで、尊大王子らしくもなく気を遣っているのだ。  きのうのことを思い出すとたまらなく恥ずかしい。子供相手にマジギレした挙げ句に、マジ泣きするなんて。ブラックホールがあったら飛びこみたい気分だ。  きのうと言えばそうだ――キス、された気がする。あれは幻覚だったのか、それとも―― 「あっ、ベ、ベッドを借りてしまって、す、すみません……!」  奏は慌てて退こうとしたが、ミハイエルの手がやんわりと押さえてきた。 「そのまま寝ていろ。もともとはおまえのベッドだろう」 「そ、そうですけど」  きのうまで我が物顔で占領していたのに。いったいなんなんだ、手の平を返すようなきのうまでとの態度の違いは。 「あ、あの……王子――」 「ミカと呼べと言っただろう。俺はちゃんと奏と呼んでいるぞ」  ええ、はい、気づいています。その口から名前が出るだけでドキドキしてます。 「え、えっと、ミ、ミカ――」  だめだ。名前を口にするだけでもドキドキする。響己を名前で呼んだときのような冷や汗を掻く緊張ではなく、心臓がきゅーっと絞られるような緊張だ。

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