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三話 今日からおまえは俺の弟だ 5
次の休日、奏は台所に立っていた。ダイニングテーブルにおかれた三段重、それに水筒、椅子の背もたれにかかった大きなリュックサック。
いまからピクニックにいくような光景だったが、奏がこれからいくのはピクニックではなくお花見だった。
そろそろ桜の見ごろも終わりというころ、響己から連絡があった。次の休みに約束していた花見にいこうと言われて、素直に了承した。響己とプライベートで会うのは気が重かったが、手料理を食べてもらえるのはうれしい。きっと惜しみなく感想を聞かせてくれるはずだ。
もっともこのごろの奏は以前ほど料理の感想に飢えていなかった。
「あ、お、おかえりなさい」
奏が鶏のもも肉を揚げていると、玄関ドアの開く音が聞こえた。
入ってきたのはミハイエルだ。部屋へ向かわずに奏の隣へ歩いてくる。
「ただいま。なにを作っているんだ」
「と、鶏の唐揚げだよ。が、学校はどうだった?」
いつの間にか敬語は自然と消えていた。ふたりの距離がそれだけ縮まった証拠だろう。縮まったのは心の距離だけじゃない。
ミハイエルは奏のすぐ近くに立っている。うっかり動いたら肩がぶつかりそうで、息がつまる。このごろのミハイエルはやたらと奏に近づいてくる。心臓がバクバクと騒がしい。あまり近づかれると変に意識してしまうから止めて欲しいのに。
熱を出したあの夜、ミハイエルにキスをされた、気がした。あれが現実だったのか、熱で浮かされていたがための幻覚だったのか、いまだにはっきりしない。
きっと夢だ。だって、王子が奏にキスする理由なんてひとつもない。だから夢だ。夢に決まっている。自分で自分にそう言い聞かせ続けているのだが、
(でも、ひょっとしてひょっとしたら)
という思いを捨てきれずにいる。
本人に訊けばはっきりするが、そんな勇気はどこを探してもない。キスされたのが現実だとして、それをどう受け止めていいのかわからずにいる。
「別にどうということもない。いつもどおりだ」
ミハイエルが高校に通うようになったら、毎日毎日女子たちに群がられて大変な騒ぎになるのでは、と案じていたのだが、本人に訊いたところそれほどでもないらしい。
積極的に話しかけてくる女子は数人で、告白もまだ二回しかされていないとのことだ。
なんでもミハイエルは反魅了の術というのを使っているらしい。魅力を激減させる魔法らしいが、それでも告白してくる女子がいるのだから恐ろしい。
「あれはなんだ」
ミハイエルはダイニングテーブルを振り返った。
「あれは……お弁当箱だけど……」
「ずいぶん大きいな。というか、弁当を作るということはいまからどこかにいくつもりか」
「う、うん、これからちょっとお花見に……」
ミハイエルの眉がぴくっと動いた。
「花見にいくのか。あんな大きな弁当箱を持って」
「え、あ、うん。ちょっと人に誘われて……。あれ、言ってなかったっけ」
「聞いていない。誰に誘われたんだ」
「えっ? え、えっと、おれが担当してる作家さんだけど……」
「なんていう名前だ」
「は、花藤響己さんだよ……」
「どんな奴なんだ」
なんだってそんなことを訊いてくるんだろう。ミハイエルを見上げると、やや怒っているような顔があった。
なんだかご機嫌ななめみたいだ。高校でなにかあったのかもしれない。
「ど、どんなって……すごく人気のある作家さんだよ。もう何作もメディア化されていて……うちの本棚にも並んでるから、ひょ、ひょっとしたらもう読んでいるかも――」
「性格は?」
「えっ? せ、性格? 朗らかでフレンドリーな人だけど、それがどうか――」
「見た目は?」
「みっ、見た目? あ、あの、どうしてそんなことを」
「なんでもいい。さっさと答えろ」
こういうところはやはり尊大王子である。
「見た目は……ま、まあ、格好いいんじゃないかな、と……。学生のころはモデルをやっていたらしいし。さ、作品だけじゃなく、ビジュアルも含めて女性ファンには人気があるみたいだよ」
ミハイエルの表情がますます厳しいものになる。
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