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三話 今日からおまえは俺の弟だ 6
「ミ、ミカ、高校でなにかあった?」
「なにかとはなんだ。特別な出来事はなにも起こっていない。それよりもいまは花藤響己だ。まさかそいつとふたりでいくのか」
「そ、そうだけど……」
響己をやけに気にしているが、いったい響己がどうしたというのか。ミハイエルとは一面識もないはずだ。
「俺もついていく」
「えっ? い、いや、誘われてるのはおれひとりだし……いきなり誰かを連れていくわけには……。ミカのぶんはちゃんと取り分けてあるから大丈夫だよ」
「春になると母がよく言っていた。魔界にきたことは後悔していないけど、花見ができないのは少し淋しいと。もしも日本をおとずれることがあれば、花見をしたいとずっと思っていた」
奏はハッとしてミハイエルを見上げた。
「そ、そうだったんだ……」
じゃあ、また別の機会に、というわけにもいかない。桜はもう散り始めている。奏の次の休みには葉桜になりかけているだろう。来年まで待たせるのも酷な話だ。
「じゃ、じゃあ、花藤先生にちょっと訊いてみる。とりあえずお弁当を作っちゃうから待ってて」
奏は台所へ向き直ると、鶏の唐揚げを油から手早く引き上げた。
ミハイエルの味見と称したつまみ食いと格闘しながら、約一時間。三段重は完成した。螺鈿を模したプラスティックの重箱を満足げな目でながめてから、スマートフォンを取り出す。
奏は溜め息をひとつつくと、響己の番号を呼び出した。
「……あ、も、もしもし内海です。あ、あの……きょ、今日の花見なんですけど」
『え、まさかいけなくなったなんて言わないよね。今日の日をずっと楽しみにしてたんだよ。ドタキャンなんてひどいよ』
スマートフォンから響己の焦った声が聞こえてくる。
「いっ、いえ、そうじゃなく。あ、あの、僕の甥っ子も連れていっていい、でしょうか……?」
『えっ、甥っ子さん?』
「は、はい、花見にいくといったら自分もいきたいと言い出して……。い、いきなりですみません」
『ああ、そうなんだ。いいよ、いいよ。甥っ子さんの我が侭を、奏くんが謝ったりしないでよ。一緒にいきたいって言われたら断れないよね。うん、大丈夫。つれておいでよ』
「あ、ありがとうございます……!」
もしもだめだと言われたら、どうやってミハイエルを納得させようかと思っていた。ホッと息をつく。
『そのかわり今日の穴埋めに、近いうちにまたつきあってよ。今度こそふたりきりで、ね』
「えっ!?」
響己とプライベートで会うのは、今日で最後にしようと思っていたのに。ここまでしつこく誘ってくるということは、やっぱり響己には友人がいないのかもしれない。
おれと友達になりたいとか……? に、荷が重い……。
嫌だと言うわけにもいかず、奏は「わ、わかりました。では、また後ほど」と言って電話を切った。
はーっと重々しい溜め息が出る。
「おい、奏」
怒りをはらんだ声に顔を上げると、ミハイエルがこちらを睨んでいた。
「誰が誰の甥っ子だと?」
「え、あ、しょ、しょうがないだろ。魔界の王子様とルームシェアしてるなんて知られたら、マスコミがここにやってくるかもしれないし。エ、エリファスさんも、なるべく秘密にしておいたほうがいいって言ってたし……」
ミハイエルは文句のありありと浮かんだ目で奏を睨んでいるが、口許はもぐもぐと動いている。気がつけばお重のいなり寿司に空間ができていた。
「ミ、ミカも話をあわせてよ。つまみ食いばっかりしてないで。あっ、名前も考えないと……。いや、あんまり日本人っぽく見えないから、名前はそのままでハーフっていう設定がいいかな……。おれに姉さんがいることにして、お父さんはどこの国の出身にしよう……」
嘘をひとつ吐くだけなのに、これほどいろいろと設定が必要だとは。頭が痛くなってくる。
果たしてミハイエルと響己の対面がどうなるのか。考えると胃まで痛くなりそうだったので、奏はあえて考えないようにした。
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