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三話 今日からおまえは俺の弟だ 7

 響己が花見の場所に選んだのは、飛鳥山公園だった。飛鳥山公園はJRの王子駅で降りてすぐのところにある。  ミハイエルと電車に乗るのは今日が初めてだ。不安でいっぱいだったが、相変わらず反魅了の魔法をかけているらしく、女たちからちらちらとながめられるくらいで済んだ。そのついでにゾウリムシを見るような視線を向けられたのは、この際よしとしよう。 「これが桜か……」  ミハイエルは桜を見上げながら、公園の階段をのぼっていく。桜はもう散り際で、夜風に吹かれて空中を舞っていく。夜桜を見上げるミハイエルは、そこだけが一幅の絵のようだ。 「なるほど、綺麗なものだな。人間たちが桜のもとへ集まるのもうなずける」  桜の名所として知られているだけあって、かなりの人出だ。桜と桜の間に提灯が吊り下げられ、見物客たちはその下にレジャーシートを広げて盛り上がっている。  スマートフォンで響己とやりとりしながら桜の降る公園を進んでいくと、人混みの向こうに響己の姿を見つけた。レジャーシートの上に立ち上がり、大きく両手を振っている。 「奏くん、こっちこっち!」  奏は夜桜の見物客たちの透き間を通り、響己のもとへ歩いていった。 「おっ、お待たせしてすみません! せ、先生に、ば、場所取りまでさせてしまって……」  奏はふかぶかと頭を下げた。 「いいよ、いいよ、そんなことは。奏くんにはお弁当作りっていう大役があるんだから、場所取りくらいいくらでもするよ。それより先生はやめて欲しいな。今日はプライベートのつきあいなんだから」  響己はにっこり微笑んだ。人気作家の驕りが少しもないところが響己らしい。  いい人なんだよな……これでおれを誘わずにいてくれたら、なにも文句はないんだけど……。 「そちらが甥っ子さん?」  響己の目がミハイエルへ向いた。ミハイエルは重箱の入った紙袋を手に、奏の斜め後ろに立っている。 「あっ、は、はい。ご、ご無理なお願いをして申し訳ありません。ほ、ほら、ミカ、先生――響己さんにご挨拶して」  ミハイエルの背中を軽く押すと、ミハイエルは一歩前へ出た。顎を反らして響己を睥睨すると、 「叔父がいつも世話になっているそうだな。礼を言うぞ」  世にも尊大に言い放った。ぎょっとしてミハイエルを見上げる。ミハイエルの黒々とした瞳は冷ややかで、それでいていらだちを感じさせる複雑なものだった。 「ミッ、ミカ、そうじゃないだろ……! きょ、今日はご参加をお許しいただきありがとうございます、だろ」  響己はきょとんとしてミハイエルを見上げていたが、いきなり声を立てて笑い出した。 「いいよ、いいよ、気にしなくって。いや、まさか奏くんの甥っ子さんがこんなキャラクターだとはね。予想外で面白いよ。ふたりとも座って座って。あ、このクーラーボックスに飲み物をいろいろ用意してあるから」  響己に腹を立てたようすはない。おおらかな人で助かった。奏は内心胸を撫で下ろした。  レジャーシートへ座ると、さっそく重箱を取り出す。 「うわあ、すごいね。リアル三段重なんて初めて見たよ」  言われてみれば奏も見るのは今回が初めてだ。響己と花見にいくことになったので、ネット通販で購入したのだ。 「お、お口にあえばいいんですけど……」  そろそろと蓋を開ける。一段目はごはん物――いなり寿司だ。中身がわかりやすいように油揚げではなくごはん側を上にして並べてある。 「うわあ、いなり寿司!」  いなり寿司なんてごちそうでもなんでもないのに、響己は両手を打ち合わせてはしゃいだ声を上げた。女子高生並に大袈裟なリアクションだ。 「え、えっと、これが、お、大葉と梅の入ったもので、こ、こっちは新生姜の酢漬けを刻んだものが、は、入っています。あ、あとこっちは、ちょ、ちょっと変わり種で……べ、ベーコンやチーズを入れて、あります」  手料理の説明をするのはなんとなく気恥ずかしい。奏は頬が赤くなるのを感じていた。

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