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三話 今日からおまえは俺の弟だ 8
「……すごいね、奏くんは」
心から感心した声だった。
「いなり寿司ひとつにこれほど工夫するなんて。これなら飽きずにたくさん食べられそうだよ。奏くんと結婚する人は幸せだね」
屈託のない笑みを向けられて、受け止めきれずに視線を逸らす。
結婚どころか彼女がいたことすらないのに。きっと生涯独り身で、ひとり淋しく死んでいくんだろうな、と自虐的に思う。
「お、おかずもいろいろ作ってきたので……」
二の段には鶏の唐揚げ、だし巻き卵、きんぴらごぼう、エビフライなど定番のおかずがつめてある。それだけだと華やかさに欠けるので、花の形に飾り切りした人参の甘煮を散らしてある。三の段は自家製のピクルスとデザートの苺だ。
「うわあ……! これ奏くんがひとりで作ったの?」
「え、ええ……まあ、はい」
「すごいね……。尊敬するよ」
素直な尊敬のまなざしを向けられて、奏は肩を竦めた。うれしいよりも恥ずかしさが先に立つ。少々張りきりすぎただろうか。
横からぬっと手が伸びたかと思うと、大葉と梅のいなり寿司をつかんだ。
「あっ、こ、こら、ミカ……!」
ミハイエルは大きな口を開けて、いなり寿司を放りこむように食べた。
魔界の王子様がなんて行儀の悪い。エリファスあたりに叱ってもらいたい。
「奏、美味いぞ。甘いけど、甘いだけじゃなく酸っぱさがあるのがいい」
目許を細めるように微笑まれて、心臓がうっと跳ねる。どうやら反魅了の術は奏には効果がないようだ。
「ほ、褒めてくれるのはうれしいけど……。いただきますくらいちゃんと言わないと……。す、すみません、行儀が悪くって。家ではもっとちゃんとしてるんですけど」
奏は響己に向かって頭を下げた。
「どうしてそいつに謝るんだ」
ミハイエルはムッとした顔で奏を睨み、次に響己を睨んだ。
「そ、そいつとか言わない!」
その口をガムテープでふさいでやれたらどれほどいいだろう。『おれの甥っ子として振る舞うように』と道中さんざん言い聞かせたのに。しょせん尊大王子はどこまでも尊大王子でしかいられないのか。
奏はミハイエルを連れてきたことを心の底から後悔した。
「か、重ね重ねすみません……」
「いいって、いいって。気にしないでよ。それよりおれもさっそくいただくね。……んっ、美味しい! いなり寿司なんて久々に食べたけど、こんなにも美味しいものだったっけ? それにこのだし巻き卵。優しい味で美味しいよ。まるで奏くんみたいだね」
予想していたとおりの惜しみない賛辞だ。このごろはミハイエルも料理の感想を聞かせてくれるが、他の人から褒められるのもそれはそれでうれしい。うれしいがやっぱり照れる。
「あ、ありがとうございます……」
奏は俯いてもごもごと言った。
「そういえば弟さんのお名前は? 奏くんはミカって呼んでたけど本名なの? あ、俺は花藤響己。奏くんから聞いていると思うけど、物書きをしてるんだよ。奏くんは俺の担当さん。いつもすごくお世話になってる」
ミハイエルは面白くなさそうな目で響己を見ている。なんだって響己に対してそんなにも敵対的なのか。ひょっとして弁当を独り占めできなかったから腹を立てているんだろうか。
「あ、えっと、ミ、ミハイエルです。ミカは愛称で……。おっ、おれの姉の子供で、ち、父親がスペイン人なんです……」
聞かれる前に設定をついつい語ってしまう。
「へえ、スペイン。髪や肌の色はともかく、顔立ちはあんまりスペイン人っぽくない、っていうかラテン系っぽくないね。どっちかって言わなくてもゲルマン系とのハーフっぽいかな」
背筋がギクッと強ばる。肌や瞳の色だけ考えて作った設定で、顔立ちそのものは考慮していなかった。
「えっ、そ、そうですか……ね……」
あはははは、と意味なく笑ってごまかす。
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