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三話 今日からおまえは俺の弟だ 9

「ミハイエルくんは高校生だったよね。高校じゃかなりモテてるんじゃない? まるでモデルかなにかみたいだよね」  と、元モデルは言った。  ミハイエルは鶏の唐揚げを食べるのをやめて、冷ややかな一瞥を響己へくれた。 「くだらない質問だな。女に好かれるかどうかなど、俺は少しも興味がない」 「ちょっ、ミ、ミカ! ひっ、響己さん、すっ、すみません! ミカっ、ちょっとこっち!」  奏は慌てて立ち上がると、ミハイエルの腕をつかんで立ち上がった。靴をひっかけて、ひと気の少ないところまで引っぱっていく。 「なんだもう帰るのか。まだ弁当を食べていないぞ。帰るにしても弁当は持ち帰れ」 「そうじゃなくて……。な、なんなんだよ、響己さんに対する態度は。上から目線にもほどがあるだろ。ちゃ、ちゃんとした態度ができないなら、先に帰ってもらうからな」  精一杯の威厳をこめて言うと、ミハイエルはぶすっとした顔になった。腹を立てているというよりも、ふて腐れている顔だ。 「どうしてあいつの肩を持つんだ」 「か、肩を持つとかじゃなくて……。ミカの態度があんまり悪いからだろ。ひ、響己さんのなにが気に入らないんだよ」 「あいつはおまえの弁当を食べた」  ミハイエルはむっつりと言った。 「た、食べたって……あ、当たり前だろ。食べてもらうために作ったんだから。ば、晩ご飯にするつもりだったぶんもつめてきたから、足りなくなることはないよ。も、もし足りなくっても屋台があるんだから――」 「俺は奏の料理を誰にも食べさせたくない」  奏は瞬きしてミハイエルの顔を見上げた。奏より頭ひとつぶん高いところにある双眸は、まっすぐに奏を見つめ返してくる。 「た、食べさせたくないって――」 「デレデレしている奏を見るのも面白くない」 「で、デレデレって、誰もデレデレなんてしてな――」 「してただろう。あいつに弁当を褒められて、うれしそうにデレデレと」  ミハイエルは拗ねた子供のように唇を曲げた。 「うっ、うれしそうにはしてたかもしれないけど、デレデレはしてないから!」 「奏はあいつが好きなのか?」 「えっ? そ、そりゃあ担当している作家さんだし、いつもいい作品を書く人だから好きは好きだけど……」  ミハイエルの表情がますます拗ねたものになる。なんだか響己に焼きもちを妬いているみたいに見える。そう考えて、奏は頬がかっと熱くなるのを感じた。  いやいやいや、そんなはずがないだろ。ミカがおれのことで焼きもちを妬くとか。そりゃあ少しは懐いてくれていると思うし、毎日のように笑いかけてくれるし、人の匂いをかいでくるのも相変わらずだけど……。って、いや、そんなことありえないから! 「あ、あの、言っとくけど、あくまで仕事でおつきあいがある人、っていう意味での好きだからね。へ、変な意味じゃなく」 「俺とどっちが好きなんだ」  真顔で問われて心臓がどくっと跳ねる。  そんなはずがないとわかっているのに、焼きもちを妬かれているような気がしてならない。わかってる。もしもこれが焼きもちだとしても、それは弁当がらみの焼きもちだ。決してそういう意味の焼きもちではない。 「ど、どっちって」  そんなのは考えるまでもなくミハイエルに決まっている。たかが一ヶ月とはいえ、奏にとっては家族以外で初めて生活を共にした相手だ。最初はひどい扱いだったが、このごろはかなり打ち解けてくれている。いまとなっては友達と呼べなくもない関係だ。大喧嘩をしたことも、熱を出して看病してもらったことだってある。  思えばここまで深い関わりを持ったのは、他人ではミハイエルが初めてだ。  だからといって素直に『ミカだよ』などと言えるはずがない。口にしようものなら顔から火が出て焼け死んでしまう。 「もっ、もうもどろう! ひっ、響己さんをあんまり待たせるわけにはいかないから! さっきみたいな態度とったらだめだからね。も、もしとったら一週間ごはん作らないから」  奏は質問には答えずに、王子の腕をひっつかむと響己のもとへもどっていった。  それからは無難な時間が流れた。  響己はミハイエルの態度や、ふたりがしばらくもどってこなかったのを気にすることなく、いつものように饒舌にしゃべった。もっとも内心では少なからず面白くないに違いない。あとでフォローしておかないと。  尊大王子は、というと、失礼な言葉を発しないかわりに、会話に加わろうともしなかった。黙々と弁当を食べている。奏が笑い声を上げると、怒りを湛えた目でふたりを睨むのは忘れなかったが。  響己と別れて電車に乗りこむと、奏は空いていたシートにぐったりともたれかかった。  疲れる花見だった。響己とふたりでも精神的にかなりやられたに違いないが、ミハイエルには違った意味で精神を削られた。奏はミハイエルを連れていったことを心の底から後悔した。  マンションへもどると手早くシャワーを済ませて、布団へ倒れこむように横たわる。 「おい、奏。髪がまだ濡れているぞ」  王子の声が聞こえたが、瞼を開ける気力もない。 「……しょうがない奴だな」  呆れたような声が聞こえて、頭が柔らかい布で包まれた。  ……気持ちがいい。優しい手で髪を拭かれて、奏はうっとりした気持ちで身を委ねた。  こんなふうに髪を拭いてもらったの、杏が生まれる前までだったな……。  ぼんやりと考えているうちに、奏は穏やかな波に攫われるように眠りの世界へ落ちていった。

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