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三話 今日からおまえは俺の弟だ 10
眠りは安らかだった。その代償を支払うかのように、目覚めると同時に奏の心臓は飛び上がった。どっどっどっと荒々しく脈を打つ。
「なっ、なに、なんで――」
なぜか隣にミハイエルの姿がある。シングルサイズの布団に男ふたりがゆったり寝られるはずもなく、奏はミハイエルの腕に抱き寄せられて眠っていた。
間近で目にする寝顔はどこかあどけなく、きのうの拗ねた子供のような表情を思い出させた。
いや、いまはのんびり寝顔に見蕩れている場合ではない、とすぐに気がついた。
慌てて飛び起きて身体を離す。
「……な、なんでおれの布団に」
寝ぼけて間違えたんだろうか。それくらいしか理由が思いつかないからそうなんだろう。
なんという人騒がせな。王子と同居を始めてから心臓の休まるときがめっきり減ってしまった。
そういえば、エリファスは『王子と暮らすと心労が増える』みたいに言っていたっけ。ほんとうにそのとおりだ。
奏は傍らの寝顔を見下ろした。こうやってじっと見つめるのは、初めてかもしれない。ミハイエルはためらいなく奏を見つめてくるが、受け止めきれずにいつも視線を逸らしてしまう。まともに受け止めるにはミハイエルの視線は強すぎるのだ。
「寝てると可愛いのに……」
きのうの態度を思い出すと溜め息が出る。奏の料理を気に入ってくれているのはうれしいが、弁当ごときで他人に嫉妬なんてしないで欲しい。あとで響己にフォローのメールを送らなくては。昨夜のうちに済ませるべきだったんだろうが、精神的疲労に負けて眠ってしまった。
ミハイエルの頬を人さし指でそっとつつく。ふに、という尊大王子らしからぬ感触に、奏は口許をゆるませた。
「……ん」
ミハイエルの眉がきゅっと寄り、慌てて手をひっこめる。
「お、おはよう」
「……おはよう。もう朝なのか」
隣にいる奏に少しも驚かずに、あくびをしながら上半身を起こす。
「あ、あの……」
「なんだ」
「ど、どうしておれの布団に……?」
「あのベッドはもうだめだ」
ミハイエルの口調は重々しかった。案の定、魔界の王子には安物のベッドなど堪えられなかったようだ。きっといままでは外国のラグジュアリーホテルさながらに、天蓋のついた無駄に大きく無駄にふかふかなベッドで寝ていたに違いない。
「まあ、二万円もしなかった安物なんで……」
「おまえの香りがすっかり薄れてしまって物足りない」
「へ……?」
奏はまじまじと王子を見つめた。言われた意味を理解した瞬間、燃えるように頬が熱くなった。
まさか奏の匂いが染みついているから、新しいベッドはいらないと言ったんだろうか。
「あ、あのおれ、そんなに体臭のないほうだって思うんだけど……」
ひょっとして二十代半ばにして加齢臭が出始めているんだろうか。いや、ミハイエルの母親に似た匂いらしいからそれはない――と思いたい。だいたい加齢臭なんて、あえてかぎたい匂いじゃないはずだ。
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