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第3話

 その日、高室は富士山の大天狗、雨乞いで名高い、冨士山小御嶽石尊大権現に呼ばれ、御座山を留守にしていた。  青葉は修行を終えた後、いつものように自由に過ごしていた。  木のてっぺんをぷいぷい跳ねながら進むうち、御座山の外れで天狗を見つけた。  赤茶の髪に金色の瞳の天狗は、青葉が初めて見る天狗であった。  高室様がいない時を狙って、術比べに来た奴かな? だったら、高室様のかわりに俺が相手をしてやろう。  まだ羽団扇もないというのに、無謀にも青葉がその天狗――大無間山の大天狗、巴陵――のもとへ向かった。  その巴陵は、なぜか喉元を押さえて膝をついた。  ……術比べじゃなくて、気分が悪くて助けを求めに来たのか?  だったら、急いで助けなきゃ!  元僧侶だった高室が統べる御座山では、天狗たちは聖の方によっている。  中でも、高室に息子のように溺愛された青葉は、その傾向が強い。  全速力で巴陵のもとへ向かう青葉の目を、鋭い光が射抜いた。  なんの光だ?  青葉が空中に静止し、光の源を探して旋回する。  跪き、苦しそうに咳き込む巴陵の背後に、抜身の太刀を手にした天狗がいた。これまた、青葉の知らない天狗だ。  太刀……。なぜ、あの天狗はあんなものを持ってるんだ?  太刀を手にした天狗が巴陵に近づき、手にした得物を振りかぶった。  すんでのところで、巴陵が手にした団扇で刃を受け止める。  あの天狗、襲われてるんだ。よく見れば、怪我もしてるんじゃないか?  幸い、羽根に怪我はないが、錦の衣装が切り裂かれ、血に赤く染まっていた。  あの天狗を、助けなきゃ!  青葉が勢いよく翼を羽ばたかせ、太刀を手にした天狗に体当たりした。  突然の青葉の攻撃に、太刀を持つ天狗が吹っ飛んだ。 「大丈夫ですか?」 「おう、すまない」  咳き込みながらも、巴陵が青葉に笑顔を向けた。  こんな状況にもかかわらず、巴陵の笑顔は眩しく、青葉はまるで太陽を目にしたように目を細めた。 「今のうちに逃げましょう。飛べますか?」 「薬を盛られて、通力が思うように使えなくてな。だが、やってみよう」 よろめく巴陵に手を貸すと、青葉の手に赤いものがついた。巴陵の右腕の傷から流れた血が、手首まで濡らしていたのだ。  しっかと青葉が巴陵の手を握って飛びはじめたが、どうにも巴陵の羽ばたきが鈍い。  一度は宙に浮いたものの、数十間も飛ばぬうちにふたりは地面に降りてしまう。 「ごめんなさい! 俺、まだ半人前で飛ぶ力も弱いんです」 「謝るのはこっちだ。しかたない、走って逃げるとするか」  このあたりなら、青葉は掌を指すように知っている。身を隠すのにちょうどいい洞窟や木の洞、御座山の天狗しか知らない抜け道など、いくつも思い浮かんだ。 「そうしましょう。……えっと……」  助けた天狗の名を呼ぼうとして、青葉が言葉に詰まった。 「俺は、御座山の小天狗、青葉です。あなたは?」 「このあたりに俺を知らぬ天狗がいるとはね。俺は大無間山の大天狗、巴陵だ」  名を聞き、驚く青葉に巴陵がにやりと笑いかけた。 「俺を誰か知らないのに助けてくれたのか……。青葉、おまえの心意気、気に入った。褒美にこれを貸してやろう」  巴陵が左手に持つ羽団扇を青葉に渡す。  通常、天狗の羽団扇は、自身や仲間の羽根を団扇にしたものだ。しかし、巴陵の団扇は違った。  孔雀の羽根を赤く染めたかのような、不思議で美しい模様の羽根を束ねたものだ。 「まさか、これ……大無間山の秘宝、鳳扇(ほうせん)!?」 「俺の顔は知らなくとも、鳳扇は知っていたか。さすがに力を出すことはできんだろうが、太刀を防ぐ助けにしてくれ。なにせ、今の俺は、利き手がコレだからな」  巴陵が血でしとどに濡れた右袖にまなざしを向ける。さきほどの応酬で、傷が酷くなったのか、巴陵の右手からぽたぽたと血が滴り落ちている。  青葉といえば、他山の秘宝を手にした高揚と、その秘宝を預ける巴陵の度量の大きさに感動していた。  その間に、血塗れの太刀を手にした天狗がやってきた。青葉は思い切って、手にした鳳扇を両手で扇ぐ。  その瞬間、小さいながらも炎が生じ、天狗めがけて空を走った。 「!」  天狗は突然生じた炎にのけぞり、脚を止めた。その隙に青葉と巴陵は手に手を取って、木々の間を駆け抜ける。 「もう少し行くと、小さな洞窟があります。そこで、巴陵様の傷を治しましょう」  ふたりの背後で、火の手があがっていた。さきほどの炎が、地に積もった枯れ葉や枯れ枝に燃え移ったのだ。  まずい。後で高室様に叱られちゃう。いや、でも……あれが狼煙になって、烏天狗たちが様子を見に来るかもしれない。  だとしたら、助けを、呼べる。  希望を胸に青葉が走る。いや、その思いが油断を生んだのかもしれない。 「青葉、後ろ!」  巴陵の声に青葉がふり返る。すると、すぐそこまでくだんの天狗がふたりに迫っていた。  鳳扇を扇ぐ暇もなく、刃が巴陵に迫る。 「――危ない!」  青葉がとっさに巴陵の体を押した。前のめりになった青葉の背を、刃が切り裂く。  刃に切られた箇所がひやりと氷に触れたように冷たくなった。  次の瞬間、血が吹き出し、猛烈な痛みが青葉を襲った。 「あぁああああ!」 「青葉!」  巴陵が叫ぶ。しかし、その声は青葉の耳に届かない。羽根の付け根――急所――を裂かれた痛みが青葉を染め抜いた。  痛い。痛くて、熱い。痛い……っ!  青葉の手から力が抜けて、鳳扇が地に落ちる。 「……すまねぇな、まだ半人前のおまえを、こんなことに巻き込んじまった」  優しい、優しい声がした。  温かいものが青葉の右羽根に触れ、わずかであるが治癒の気が青葉に通ってきた。  すぐに痛みが和らいで、青葉は気を失ってしまう。  そして、次に目覚めた時には、青葉は宿堂の自分の寝床にいたのだった。 「よかった、青葉。目を覚ましたんだね」  枕元には由迦がいて、目覚めた青葉に嬉しそうに微笑みかける。 「体の具合はどうだい?」  由迦の言葉に身動きした途端、右羽根の根元に痛みが生じ、同時に失血――大量の気を失ったこと――による眩暈に襲われた。 「まだ、よくないです。……ところで、巴陵様はどうされましたか? ご無事でいらっしゃいますか?」  巴陵の名を口にすると、由迦の顔色が変わった。 「青葉、君、巴陵様と会ったのかい?」 「巴陵様が襲われていたところに、偶然、出くわしました」 「ちょっと待っててくれ。高室様に話をしないといけなくなった」  青ざめたまま由迦が席を外した。  由迦は戻らず、かわりに烏天狗らが「高室様がお呼びです」と、告げにきた。  青葉は烏天狗に両脇を抱えられ、高室の庫裏に連れて行かれた。  庫裏を入ってすぐの和室には、上座に高室が、その左右に阿嘉と由迦が座っていた。  高室も由迦も阿嘉も、普段と様子が違っていた。  気が立っているのを、無理に抑えつけているようであった。ひたひたと肌に重圧が迫ってきて、空気が重い。  そこで、青葉は高室から怪我をした経緯を尋ねられた。何者かに襲われていた巴陵を助け、賊の刃から庇ったと答えると、高室の形相が変わった。 「この大馬鹿者めが! その巴陵は、私の留守を狙って水珠を盗んだのだぞ!」 「でも、巴陵様はそのようなこと、一言もおっしゃっていませんでした」 「盗人が、わざわざ盗みを働いたというわけなかろう!」  一喝する高室の怒気のすさまじさに、空気が震え、障子紙が破れた。 「いいか。巴陵は水珠を盗んだ後、大無間山に逃げようとしたところを、ここにいる阿嘉と由迦に見つかったのだ。山の火事は、巴陵が鳳扇を使った証! おまえが敵と思ったのは、巴陵を追っていた由迦だ」 「……え?」  青葉が目を大きく見開いた。  あの、太刀を持った天狗が由迦様だった?  そんなこと、ありえない。 「それは、何かの間違いです。巴陵様が水珠を盗んだことはともかく、あの方と俺を襲った天狗は、由迦様とは別の天狗です」 「くどい!」  高室が苛立ちも露わな声でいい、青葉から顔を背けた。 「青葉、おまえには失望させられた。……盗人を庇って負ったその傷、罰として治すことを禁ずる。いや、水珠がわが手に戻るまで治ってはならぬのだ!」  雷のような一喝が、青葉の全身を貫き、右羽根のつけ根に痛みが走った。 「高室様、それは、あまりにも酷すぎます」 「この私が、ならぬ、といったのだ。由迦、おまえとて私の言葉に逆らうのなら、この山から出て行ってもらう」 「……高室様」  由迦が眉根を寄せ、悲しげにうつむいた。 「阿嘉、このことを他の者にも告げよ。烏天狗たちや、蝦蟇の源蔵にもだ」 「かしこまりました」  嬉し気な顔をして阿嘉が頭をさげた。  元々、阿嘉は青葉に対して隔意があった。このたびの高室の決断で、今まで抑えてきたものを解放できた。そんな表情をしていた。  それから、青葉は宿堂の自室に捨て置かれた。  由迦が気遣い、食事の世話はしてくれたが、決して傷の治癒はしてくれなかった。  青葉も、治してほしいと頼まなかった。  いえば、高室の命令と青葉への情の板挟みに、由迦が苦しむのがわかっていたから。  その由迦も、高室の目を盗んで食事を運ぶため、最低限の会話しかせず、来てもすぐに去ってゆく。  以前の半分以下になった通力で、青葉は少しずつ傷を癒していった。  なんとか傷はふさがったものの、なぜか切れた腱――気脈――はつながらない。  気脈がつながれば、その周囲に霊体が形成される。すなわち、青葉の羽根は治る。けれども、肝心の気脈がつながらないから、怪我は治りようがない。  それゆえに、青葉の右羽根はいまだ羽ばたくこともできず、垂れさがったままで、通力の元となる霊気を集めることもできないままだった。 「……青葉、庫裏に着いた。履物を脱いで」  追憶にふけっていた青葉は、由迦の声で現実に意識を戻した。

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