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第8話

「契約は来年まで? それともさ来年?」 「えっと、一応、来年まで……」 「でも希望すれば延ばせるんでしょ。お願い、希望してよ。朱莉ちゃんがいなくなっちゃったら回んなくなっちゃうよ」 「そんなことないですよ」  きっと謙遜にしか聞こえないんだろうな、と思いながら、まぎれもない本心だった。  単純なデータの入力作業をしていると、(誰にでもできる仕事だな)という思いが、ぽつぽつと、フロントガラスに落ちる水滴のように視界を曇らせる。でもいつまでもそんな感傷に浸っていられないから、サッと拭き取ってとりあえず前が見えるようにはする。でも根本的なよごれは拭き取れないまま、次第に遠くが見えにくくなっていく。  所詮オメガは、アルファに飼われる存在でしかない。そこが風俗であれ大企業であれ。 「いやー、なかなかいないんだって、当たり前のことが当たり前にできるひと。朱莉ちゃんは突発休もないし、もちろん無断欠勤もないし、本当助かるよ。逆に特別休暇、あんまり消化していないみたいだけど大丈夫?」 「大丈夫です。そんなに、その……ひどい方じゃないんで」  こんなときに限ってエレベーターは各駅停車だ。外で待っているひとの多さから推測できるはずなのに彼は真ん中でぼーっと突っ立ったままで、押されて初めて、けれどほんのちょっとだけしか中に詰めようとしない。そして普通なら声をひそめるところ、人口密度に比例させて声を張る。 「そう? ならいいけど、くれぐれも無理しないでね。せっかく環境が整っているのに、今まで長続きしないオメガが多かったもんだから」  朱莉よりひとつ上で課長職に就いている彼は、アルファだ。 「うち、福利厚生とか結構頑張ってる方なんだよ。厚労省の認定受けてるから、ってのもあるけど。他と比べてどう?」 「……他、に、行ったことないから分かんないですけど」 「そう。困ってることとかない? 遠慮せず言ってね」 「特に困ってることはないです。でも、いたい、って言って、いさせてくれるんですかね?」  いじわるな質問をぶつけてみたが、彼は「大丈夫大丈夫、朱莉ちゃんなら大丈夫」と、カラリと言った。

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