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第10話

 この会社の悪い点をひとつ挙げるとするなら……入居している企業数にエレベーターの台数が見合っていないため、出勤時や退勤時に、エレベーターが激混みになるところ……か。  今度誰かに訊かれたら、そう答えよう。  全然不満を漏らさなければ、それはそれで『心をひらいていない奴』になってしまう。  社員は定時上がりなんてできたためしがないらしいが、派遣の朱莉が上がる五時にはいつもエレベーターは満杯だから、やろうと思えばこの会社でもできるんじゃないか。  エレベーターホール突き当たりの窓の下には、蟻の巣穴をつついたみたいに、エントランスから吐き出されたひとたちが見える。それともあのひとたちも皆、朱莉と同じような立場なんだろうか。  三度見送ってようやくエレベーターに乗ることができた。たぶん、かなり上の階から乗っていたんだろうと思われる男性が、苛立ちを露わに『閉』ボタンをカチカチカチカチ、と連打した。  エレベーターにつかまってしまったせいで、いつもより一本遅い電車になった。前の電車が行ったばかりだったので、先頭で待つことになった。一分もしないうちに朱莉の後ろには、勤め帰りと思われるひとたちが連なっていく。 『まもなく電車が参ります』というアナウンスが流れたが、これはフェイクだ。まもなく、と言いながら、ちっともまもなく、じゃない。三回流れたところで、ようやく電車が来た。電車の窓に映る朱莉は、それなりに『社会人』のように見えた。  データ入力や電話の取り次ぎやコピーや、出張や長期休暇の都度社員が買ってくるお菓子を配る仕事……に、わざわざスーツでいる必要はないが、これは派遣元の指示だ。派遣先に失礼がないように、というのと、格好から入ることで、自覚を持たせようとしているのだろう。朱莉の勤務態度に派遣元が神経を尖らせているのは嫌でも分かった。まるで珍獣扱いだ。牙を抜いても麻酔を打っても、それでもまだ襲いかかってくるんじゃないかとびくついている。こっちは噛みつく気なんてさらさらないのに。噛みついても、美味くも何ともない……  外に出ることも、オフィス内をバタバタと駆け回ることもないせいで、ネクタイがよれることも、スーツに皺が寄ることもない。出勤時とあまり変わらない自分が、電車の窓ガラスに映る。乗るなり、反対側のドアまで行って、左肩を預けるようにもたれかかる。

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