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第16話

「すみません!」  顔を上げるとそこにいたのは……  前にここで、ビラを配っていた青年だった。またお前か。前と同じパーカーを着て、今日もせっせとビラ配りに勤しんでいるらしい。反射的に、差し出された手を取ってしまいそうになり、いややっぱり……と引っ込めようとしたときにはもう、彼に手をつかまれていた。礼を言うのも癪だったが、とりあえず「どうも」と会釈だけして、早くさっきの男を追いたかったのに、彼はなかなか手を放してくれない。 「ちょっ……」 「何か……揉めごとですか?」  揉めごと……確かに揉めごとには違いないが、そんな単純な言葉で括ってほしくなんてなかった。 「っせえな……関係ないだろ、放し……」 「よかったらお話を聞かせてくれませんか。どこか落ち着く場所で……これ以上騒ぎを大きくするのは得策ではないかと……」 「だったらあいつ捕まえてくれよ!」  しかし指差した方向にはもう彼の姿はなく、無秩序に行き来する人波があるだけだ。 「は……」  張りつめていた糸が切れた。糸が切れて支えきれなくなったものが、べちゃり、と醜い音を立てて潰れて、足元に影を落とす。 「……に、してくれんだよ!」 「えっと……その、事情がよく分からないのですが……」 「あいつは痴漢だ!」 「ち、かん……」 「俺はあいつに痴漢されたんだよ!」  その言葉でまた、幾人かがふりかえったのが分かった。冷静に考えるとかなり恥ずかしいことを口走ってしまった。でもそれで逆に、ひらきなおることができた。恥ずかしい……? いや、どこが。痴漢されたことのどこが恥ずかしいんだ。悪いのはあいつだ。

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