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第43話
ごめん、というより、助けてもらったことに対して有り難うと言うべきなんじゃないかと思ったまさにそのとき、
「すみませんでした」
と、彼が言った。
出会ったときから感じていた。自分たちはことごとく波長とかタイミングとか、そういうものが合わない。ぶつかると思ってよけたら相手も同じ方向によけて結局ぶつかってしまう、そういう感じの。でも今は何故か、それが少し心地よかった。そうやってずっと、不毛なぶつかり合いを続けてもいいかもと思ってしまった。
「何で謝んの」
カッとなって奴に手を上げようとしたことを言っているのかと思った。でも違った。
「私は何も、分かっちゃいなかった」
車が走り出したので、何となく訊くタイミングじゃないなと思った。沈黙。エンジン音。再び信号につかまる。朱莉だったら速度を上げて通過していただろうけれど、彼は違う。停まったのと同時に、彼が再び口をひらく。
「どうしてあんなひどいことが言えたんでしょうね」
「ひどいこと?」
また車が走り出したら、きっと彼は口を閉ざしてしまう。それまでに何とか聞き出さなければと焦った。横断歩道の青信号の点滅が、彼の横顔を明るくしたり暗くしたりする。
「初めて川澄さんに会ったとき、オメガが襲われて裁判に勝った事例はないとか。示談に持ち込めればいい方とか。そもそも発情中は対象外とか。よく……よくそんなことが言えたものだな、と」
「別に間違ったことは言ってねえよ」
「でも私は耐えられなかった」
ハンドルをぎゅっと、握りしめている。
「あなたが乱暴されているところを目の当たりにして、発情中だからしようがない、なんてとても思えなかった。受け入れられなかった」
乱暴。
そうか、自分のされていたことは乱暴、だったのか。
「受け入れてはいけないとも思いました。何をされても文句が言えないなんて、発情中であろうとなかろうと、そんなことが罷り通る社会は間違っている、と」
「でも誘ったのは俺の方だから。あいつだけが悪いんじゃない。タダで美味しい思いをしようとしたら、それなりのリスクはあるってことだろ。あいつが俺のこと、好き放題できる穴だと思っていたなら、俺もあいつのこと、都合のいいときに使える抑制剤代わりとしか思ってなかったし。どっちもどっちなんだよ。だから結局、いつまで経っても『そういうことが罷り通る』んだろ」
「そうですね。実は私も初め、乱暴されているのがあなただと分からなかったとき、しようがないな、と、思ったんです。どうせ発情中のオメガがアルファを誘惑したんだろう。アルファを咎めるようなことをしたら逆にこっちが責められるようなことになりやしないか。法律上はどうだっただろう……そんなことを考えて躊躇ってしまいました」
「そのまま躊躇ったまま、放っておけばよかったのに」
「でもあなただったから」
信号が青になった。
しかし彼は、今度は沈黙しなかった。
「あなただったから、放っておけなかった。あなただったから、発情中のオメガ、だとは思えなかった。しかたない、と思えなかった」
ごくん、と、唾を飲み込む音が、彼に聞こえてしまいそうだった。
「俺、じゃなくても……あんたは、助けてただろ。あんたはいい奴だから」
「自分の……身近なひとの身に降りかからないと社会問題を実感できないだなんて、政治に携わる者として失格だと思いました」
「今そう思ってる時点で合格だろ。大抵の政治家はそんな立派な志なんて持っちゃいない」
遠慮がちに首を横に振ったので、
「あんたみたいなひとが政治家、やってくれたらいいと思うよ」
と続けていた。
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