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第94話

 年末。大物芸能人が覚せい剤所持で逮捕されると、今度はあっという間にその話題一色になった。毟り取られるだけ毟り取られて枯れ枝になった……と朱莉は腹立たしかったが、亨は逆にさっぱりとした表情をしていた。  年が明けると亨は本格的に仕事を探し始めたが、顔が割れているだけに苦戦しているのが分かった。一度さぎみやはるこの知り合いの議員事務所に決まりかけたことがあったが、それは亨の方から断ってしまった。それでは何も変わらないから、と。  今回のことをきっかけに、享がさぎみやはるこの秘書をすることになった経緯も知った。大学を卒業して一度は公務員になったが、いろいろあって、一年足らずで辞めてしまったらしい。いろいろ、とさらりとした言葉を口にするにあたって、どれだけのものを心の中で漉してきたんだろうと思うと、胸が締めつけられた。詳しく聞けば享は答えてくれるだろう。ただし、自分を悪者にして。だから何も聞かなかった。  仕事のことについて朱莉からは話さないようにしていた。享もあえてその話題を持ち出そうとはしなかった。けれど享が一度だけ、ここを受けてみようと思う、と、オメガの職業訓練施設のパンフレットを見せてきたことがあって、そのときは大袈裟にならない程度に背中を押した。お腹の中の子も、ぐいーん、と、エールを送るように足を押し出してきているのが分かった。  子どものことを考えたら、不安はある。  やりがいなんて特にない……代わりならいくらだっている仕事でも、続けていてよかった、と、心底思えた。それどころか子どもの……自分以外の大切なひとのためだったら、つまらない仕事でも、つまらないと感じなくなった。通勤ラッシュに揉まれることも、同僚から嫌味を言われることも、何だかよく分からない理由で頭を下げることも、前ほどつらく感じなくなった。理不尽な扱いを受けても、自分の存在そのものを否定されるような、致命的な感じで傷つくことはなくなった。  どうなっても構うもんかとアルファの間を渡り歩いていたときは、不安なんてなかった。でも、倦怠と絶望があった。それに比べたら、健全な不安があることが誇らしかった。  新しく買ったカレンダーに、再び記した4/20。  嫌なことはすべて、去年に置いてきた。あたたかくなるにつれ、比例するようにいろんなことがよくなるに違いないと思っていた。

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