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第103話

「死産でも産休って取れるんだって」  約二週間の入院生活でも、タオルやら着替えやら、荷物は大量になった。その中に骨壺を入れると、すぐ下の方に埋もれてしまう。他の荷物は全部亨に持ってもらい、骨壺だけは朱莉が持った。 「本当は三月の中旬までなんだけど、キリがいいからってことで、三月いっぱいまで休めることになった」 「それはよかったですね」 「よかったのかどうか……。四月になって体制も変わったら、しれっと異動になってるかも」  二月の中旬だったが、季節外れのあたたかさだった。まるでもう春のようで、そのせいでずいぶん長く入院していたように感じられた。  丁度お昼どきだったので、近くのファミレスに入った。  子ども連れが多く、亨が気にしているのが分かったので、つとめて何でもない風を装った。ドリンクバーを取りに行こうとするたび、「いいですよ、私が取ってきますから」と制される。グラスいっぱいに注いでくるので、飲み干すのに苦労した。本当はいろんな種類を飲みたかったけれど、アイスティー一杯でお腹がたぷたぷになった。  いつも通る道でも、時間帯が違うだけで、違う道のようだった。  マンションの方に近づくにつれ、車通りも、人通りも少なくなり、いつしか自分たち以外、動いているものは、沿道の木の葉と、電線からぱら、ぱら、と飛び立つ鳥だけになった。外の静けさが染み入ってきたみたいに、無言になった。信号待ちになると、沈黙がより際立った。  家の中も、入院する前の様子を正確に覚えているわけじゃないのに、何か違う、と思った。冷蔵庫をあけると、タッパの中に作り置きの惣菜が入っていた。亨がちゃんと料理をしていたのが意外だった。でも、これじゃない。何か違う、と思ったのはこれじゃなくて……  倦怠感に襲われたのと同じタイミングで、「疲れてるだろうからちょっと休んだら」と、亨に言われる。その言葉に甘え、洗濯物や荷物の整理はすべて任せてベッドに入ったところで、あっ、と思い返した。  そういえば、部屋の隅に置いていたはずの、赤ちゃん用の服やらおもちゃやら、育児本やらがなくなっている。一体どこに、と探し回り、クローゼットの奥、しっかりガムテープで閉じられたダンボールの中に仕舞われているのを見つけた。実際にそれを見て、というより、そうしたときの亨の心情を思うと、とても堪えることができなかった。  入院中、散々泣いて。もう涙は出しつくしてしまったと思っていた。涙だけでなく、感情も。空っぽだった。何を言われても、少し遅れてしか反応できない。でも、それでよかった。悲しいこと、苦しいことを感じなくて済むのなら、楽しいこと、嬉しいことを感じる感情も一緒に捨ててしまってかまわない。でも違った。そんなことはできなかった。空っぽだったところに、なみなみと注ぎ込まれたのは、純度100パーセントの悲しみだった。 「朱莉さん、どうかしました? あまり動き回ったら……」  やばい、と思ったけれど、間に合わなかった。声をかけられるまでには、行動に移さなければならない。ダンボールを持ち上げて振り返ると、ぼん、と、ダンボールの側面が亨の腹に当たった。 「もういらないから」  片側を持ってくれたけれど、亨はしばらく立ち塞がるように、そこから動いてはくれなかった。 「置いていてもしようがないじゃん」 「そうですね」  ふっ、と、重さがなくなった。でも手はしばらく、ダンボールに添えていた。 「でもゴミの日は明後日なので。それまではここに置いておきませんか」 「ゴミの日……」  クローゼットに仕舞い直そうとする亨の背中を見下ろしながら、ぽつりと呟いていた。 「でも俺のことは、いつだって捨ててくれていいから」  振り返った亨と目が合う。亨の目の中に映る自分は、この世で最も愚かな人間に見えた。 「朱莉さん」 「だって俺もう、子どもうめなくなっちゃったから。子どもうめないオメガとか……マジ何の役にも立たねえじゃん」 「子どもがうめてもロクでもないひとはいっぱいいますよ」 「そういうざっくりした綺麗事はいいんだよ。困るだろ。亨には将来だってあるのに。亨の親の立場だったら即、つがい剥がすように勧めるね」  子どもうめなくなった、と、子どものように駄々をこねている。  つがいを剥がす、なんて、亨がそんな性格ではないことを承知の上で、あえて言ってみせている。でも、本当に、亨がそんな最低な人間だったらよかったのに。亨の優しさにコーティングされているせいで、内側にある毒を出すことができない。 「朱莉さんは悪くないですよ」  いっそ悪いと言ってほしかった。

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