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第108話
脳みそが身体より半歩遅れてついてくる。
昨日も今日も、よく分からない。一日一日が、砂のように指の隙間からこぼれ落ちていく。何もかもが、ぼんやりしている。熱いものと冷たいものの違いもよく分からない。何を食べても味がしない。何も言わないわけにはいかないからとりあえず「美味しい」と言う、それだけのことに、ものすごくエネルギーを使う。
朱莉さんのせいじゃない、朱莉さんは何も悪くない、と、亨は繰り返した。死産したひとに対する態度としては、完璧だった。陰でそうとう、調べたりしてくれているのは知っていた。これ以上亨に望めない。分かってもらおうなんておこがましすぎる。そもそも、言えっこない。本当のことなんて、絶対、亨に言えっこない。亨だからこそ、言えない。
初めは外に出るのも大変だろうと、亨が買い物をしてくれていた。でも三月も下旬になると、あまりに引きこもってばかりの朱莉を外に出そうとしてか、逆に買い物を頼まれたり、誘われたりすることが増えた。
「ここ数日で急にあたたかくなりましたよね。そろそろ桜も咲き始める頃ですね。あ、そうだ、中央公園まで桜、見に行きませんか」
「でもまだそんなに咲いてないだろ」
「実は施設の皆さんとお花見をすることになったんですけど、あそこでするのは初めてで。だから下見をしておきたくて。ついでに買い物もしたくて」
「分かった」
そんな風に完璧に外堀を埋められたら、頷くしかなかった。
バスで三駅ほどのところにある、大きな公園。近くにショッピングモールがあるため、買い物袋を提げたひとが多く、行き交っている。緑道の向こうに、ショッピングモールの白い外壁が見える。空はくっきりと青かった。
ショッピングモールに車を置き、先に買い物をしてくるという亨と別れ、公園をぶらりと一周する。亨は買い物にも連れ出したいようだったけれど、ひとの多いところに行くのにはまだ慣れなかった。
下見、といっても、特に見るものはないように思われる。しばらくぼうっと突っ立ってしまっていたので、とりあえずベンチに腰を落ち着ける。日は燦々と照っていたのに、朱莉の座ったベンチのところだけ、都合よく切り取られたかのように影で覆われていた。歩いているときはあけていたコートのボタンを、閉め直す。
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