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第120話
『さぎみやとおる』のポスターにチラシに幟にタスキに名刺……
事務所の中の『さぎみやはるこ』は、あっという間に『さぎみやとおる』に置き換わっていった。街を歩けば、そこかしこで亨のポスターを見かけるようになった。できあがったポスターを初めて見たときの印象は……爽やかすぎて胡散臭い。
「だっさ! 何で政治家のポスターって皆こういう風になるんだよ!」
「免許証の写真と同じですねえ。どう撮ってもいい感じにならないというか。あ、被写体が悪いんですね」
「女子高生の方がアプリでよっぽどいい具合に仕上げるぞ」
「被写体……のところはスルーですか」
「え~そんなことないですよ~悪いのはカメラですぅ~……これで満足?」
政治家が胡散臭いのではなく、このダサいデザインが胡散臭くさせているんじゃないか。これじゃあ亨の魅力が伝わらない! とやきもきしたが、ポスターについて朱莉ほど気にかけているひとは他にいなかった。
八月。さぎみやはるこのイメージを払拭するため、新たな場所に選挙事務所をひらいた。テレビでしか見たことのなかった大きなダルマ。その横を通るたび、つい、すりすりと無意識に撫でてしまう。党のポスター、亨のポスター、公認証、『必勝』の為書き……そういったもので、壁一面がまたたく間に埋めつくされていった。
党から三人の秘書が派遣されると、亨はまるで彼らにガードされているようになり、迂闊に声もかけられなくなった。近くにいるのに、遠い。事務所で、亨の写真が印刷されたチラシを折っているとますます、ここにはいないひとのように思えてくる。亨の顔にふれないよう、そろりそろりと折っていると、「もっとスピードアップしないと間に合わないわよ」と、後援会のおばあさまが、数枚重ねて一気に折り目をつけていく。その指が丁度、亨の唇のところにある。
「はい、これ、百だから、そっちに重ねて」
不意に渡され一瞬、つかむ場所を躊躇ってしまったのがいけなかった。つかみきれず、床に落としてしまう。あー何やってんの、という視線は感じるが、示し合わせたようにその場にいた全員が口を閉ざしてしまう。焦れば焦るほど手が滑って、最後の一枚がなかなか拾えない。ようやく拾い終えて箱に入れようとしたとき、
「それ、埃がついているから使えないわよ」
と、駄目出しが入る。『それ』って言われてもどれだよ、と、チラシをひっくり返していると、スッと一枚抜き取られた。しようがないとは言え、それがゴミ箱に入れられるところを見るのはせつなかった。
パイプ椅子に再び腰を落ち着けたものの、自分の仕事はないな……と思ったところに、丁度亨が戻ってきた。汗みずくで、べったり濡れたワイシャツが背中に貼りついている。
「朱莉さん、すみません、シャツの替えありますか」
「あっ……うん」
立ち上がったが、戸棚をあけてあっ、と思う。しまった、家に置いてきてしまった。
「ごめん、すぐに家に取りに行って……」
「ああ……じゃあ、一旦家の方に車を回してもらいますから」
「でも……」
「大丈夫です。そっちもそっちで大変でしょう。あ、これ、皆さんで召し上がってください」
忙しいのにいつそんな時間があったんだろう。おばあさんたちに人気の和菓子店のたいやき。自分が一番大変だろうに気遣いを忘れないのがすごいというか、逆に気遣えない自分が恥ずかしくなる。
後援会には保守的なひとが多く、表立っては言わないが、子どもがうめないなんて……もっと相応しい相手がいただろうに、と、思っているひとが多いことは知っていたが、実際に相対してみると予想以上の風当たりの強さだった。
たいやきは全員に行き渡ってもなお余るくらいの量があったが、手を出すことはできなかった。
「何やってんのよ」
一番古株のおばあさんに背中を叩かれ、顔を上げると、たいやきをずいっ、と差し出された。
「いえ、俺は……」
「こういうときは遠慮しないの」
「すみません。何か、逆にご迷惑おかけして……」
「堂々としてなさい。あんたにはあんたしかできないことがあるんだから。私が鷺宮のつがいですけど何か? って顔してりゃいいのよ。それくらい図々しくなくちゃ、政治家の相方なんてやってられないわよ」
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