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第128話

 事務所に戻るともう大勢のひとが集まっていて、マスコミの姿もあった。  誰が誰だか分からない状態だったが、とりあえず会うひと会うひとに頭を下げて回った。 「本日はお忙しい中、咲田市議会議員候補、鷺宮亨の出陣式にお集まりいただき、誠に有り難うございます。ただ今より、出陣式を始めさせていただきます」  司会のアナウンスが響く。  いよいよ、始まる。  空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。  後援会会長の挨拶や、来賓の紹介、祝電披露が行われると、いよいよ次は亨の挨拶だ。 「本日はこのようにたくさんの方にお集まりいただき、本当に有り難うございます。様々なご支援をいただき、今日この日を迎えることができました。生まれ育った咲田市のために何ができるか、何か恩返しがしたい、その気持ちで、わたくしは立候補いたしました」  そこで亨は一旦、軽く息を吸った。 「また、このたびは前職の母が大変ご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます」  記者が前のめりになり、秘書が、余計なことを言うな、と、眉を潜めたのが分かった。 「正すべきところは正し、受け継ぐべきところは受け継ぎながら、咲田市を、日本で一番、バース問題に対してひらかれた街にしたいと思っています。どうか皆さまのお力添えをよろしくお願いいたします」  享が頭を下げる。いつもと変わらない、きれいな角度だった。  だるまの右目に墨を入れ、最後に、咲田市議会議員候補、と、書かれたタスキをかける。タスキをかけるのは朱莉の役目だった。享が必要以上に屈むから、こっちはさらに屈まなければならなかった。拍手の中、朱莉にしか聞こえない声で、有り難うございます、と、享ははにかんで言った。 「それでは皆さまのご期待を背に、ただいまより、鷺宮享、元気に遊説に出発いたします!」  ウグイス嬢から発せられる亨の名前は、まるで別人のように聞こえる。選挙カーの中から、手を振り続けている姿が見える。出陣式、の名のとおり、本当に戦場に出るみたいだ、と、選挙カーを見送りながら思った。

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