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第129話

 選挙運動三日目。  挨拶回りで選挙カーに乗れない享の代わりに、朱莉が乗ることになった。心細いことこの上なかったが、そんな甘えたことを言ってられる雰囲気ではない。同乗してくれる秘書が、「難しいことは言わなくていいから、政策は語らないで、余計なことは言わないで、滑舌よく、ハキハキと、一音ずつ分かるように、とにかく名前を繰り返せばいいから。病院とか学校の前を通るときは言わないで。野次られたらまずは謝って、下を向かないで、常に見られてると思って愛想よく……」と、矢継ぎ早に注意事項を繰り出してくる。 「大丈夫、プロがうまいことやってくれるから」  朱莉の不安を敏感に察知して、享が声をかけてくれる。疲れているだろうにそんな様子はまったく見せず、逆に自分の方が、背中に重しを背負ったみたいになっている。  朱莉の心中をよそに、選挙カーは颯爽と咲田市内を走り抜ける。街中で見かけるときは、ずいぶんとろとろしてるなぁ、早く通り過ぎればいいのにと思っていたが、自分が乗ってみると思ったより速く、振り落とされてしまいそうに感じる。  もうだいぶ暮らし慣れた街なのに、それでもまだ知らない場所がある。窓の外をぼんやり眺めていると、不意に享のポスターが目に入ってどきりとする、といったことがたびたびあった。 「そろそろお話しになりますか?」  と、ウグイス嬢にマイクを渡される。  ウグイス嬢のアナウンスを聞いていると、自分なんかがしゃしゃり出ないほうがいいんじゃないかと思ったが、たどたどしさが逆に、家族総出で頑張っているんだな、という必死感が出ていいらしい。手は汗びっしょりで、うっかりするとマイクを取り落としそうになる。 「鷺宮……」  鷺宮享をよろしくお願いします、と言いかけ、マイクが入っていなかったことに気づく。 「あれ、マイク入ってな……」  と言いかけたタイミングでスイッチにふれてしまったらしく、思いっきり油断した声を油断した声を発信してしまうことになる。あるある、とウグイス嬢さんはフォローしてくれたが、秘書の眉間には皺が寄っていた。

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