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第130話

「市議会議員候補の、鷺宮、鷺宮享でございます」  たったそれだけのフレーズなのに、舌が絡まりそうになる。暗記できそうな、二つ三つの簡単なフレーズしか書かれていないカンペなのに、下を向いて凝視していたせいで、軽く酔いそうになる。 「どうぞ皆さま、ご支援をよろしくお願いいたします」  冷やかしでも何でも、手を振ってくれているのを見ると、じんと嬉しくなる。 「あたたかいご声援有り難うございます。しっかり受け止めました」  とすかさずウグイス嬢が応え、こういう風に言うんだ、ということを実践で学んでいく。  不意にアナウンスが途切れ、何かと思ったら、別の候補の選挙カーとすれ違うところだった。うちの選挙カーの方がセンスもいいし、ウグイス嬢の声もきれいだしアナウンス技術もすごいし、何より亨の方がずっと議員に相応しい、とつい張り合ってしまう。平安時代の牛車みたいだ。  徐々に慣れ、少し楽しくなってきたところで、事務所に着いてしまった。  戻ると、「よく聞こえたわよ」とおばさんたちが笑顔で出迎えてくれた。「あなた、声の通りがいいのね」そんな風に言われたのは初めてで、何より後援会のひとたちに認めてもらえたようで、嬉しかった。

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