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第145話
午後八時。投票が締め切られると、事務所にもひとが増えてきた。
ホワイトボードに、500、1000、と数字が書き込まれていく。
開票所に派遣されている立会人が、候補者ごとに500ずつ、束ねられていく投票用紙を実際に見て、今どれだけの票があるか事務所に連絡してくれる仕組みになっている。
九時半の段階で、亨がトップの2500、次候補が1500。
楽勝ムードに包まれたのも束の間、次の速報では7000、5500、と差が縮まっている。
今すぐにでも開票所に行ってその目で確かめたい。何かしないと気がおさまらない。でも、できることは何もない。無駄に立ったり座ったりを繰り返し、置いてあったコップを倒してしまう。濡れた床を雑巾で拭こうとしたとき、手が震えているのに気がついた。コップをつかもうとしてもつかめない。
「大丈夫だから!」
おばさんにがしっ、と手をつかまれた。
「あんたがしっかりしないでどうするの!」
そうだ、しっかりしないと。しっかり。でもしっかりするって、どうやって。
大丈夫、大丈夫、と、そのひとことを頭の中で念じ続ける。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。防波堤を築いて、守るように。何の根拠もないけれど。そうやって念じ続けていないと、押し流されてしまいそうだ。
ふと、こんなときに、流産して入院した日のことを思い出していた。
あのときの亨も、こんな気持ちだったんだろうか。思えばあのとき自分はずっと麻酔にかけられていたから、亨がどんな様子だったか全然知らない。思いを巡らせたこともなかった。亨も今の朱莉のように、「大丈夫」とひたすら念じていたんだろうか。お医者さんとか、周囲のひとから励まされたりしていたんだろうか。「あんたがしっかりしないでどうするの」と言われて、それで今まで、必死に支え続けてきてくれたんだろうか。必死なそぶりなんて微塵も見せないで。
十時。11500、11000、と、その差がさらに縮まってきた。
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