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第73話

俺は次回ミッチと会ったら言ってやりたいことが山のようにあった。しかし、俺とミッチはそれから一度も顔を合わせることはなかった。  あの後すぐにミッチの両親の酷いスキャンダル記事がでまわり、彼は急遽帰国を余儀なくされた。  ミッチはそのせいで家も爵位も失ってしまったらしい。  俺がそのことを唯人に話すと、「そうか」とだけ言い、不敵に笑った。  ミッチの代わりにきた70代のベータの女性教師は大らかで優しい人で、しばらくするとミッチのことは話題にものぼらなくなった。    デパートの前に巨大なもみの木が出現し、ニュースでは子供が欲しがるおもちゃ特集を放映するシーズンとなった。  今日は専門学校での冬休み前の最後の実習だ。  実習の課題はアップルパイだった。 「毎年、この日の実習ではチョコレートケーキやショートケーキをクリスマスケーキとして作っているようですが、今年は私の独断でアップルパイにしました」  リンゴを切っている生徒達の後ろを歩きながら、ミッチの代わりに来た教師、花野先生は言った。 「何故アップルパイなのか。それはうちの母親の得意なお菓子がアップルパイだったからです。それを食べて育ったことがきっかけで私は製菓の道に進むことになりました」  先生は、黒板の前で立ち止まった。 「母はもう亡くなっていますが、母の作るアップルパイは、それは絶品だったんですよ」  先生が淡く微笑む。 「さて、皆さんはお菓子を作る時、何を考えていますか?次に入れる砂糖の分量?それともオーブンの予熱は十分か、生地は混ぜすぎていないか。そんなところかしら」  そう言って先生は教室中を見回した。 「もちろんそれは間違っていません。大切なことだわ。砂糖の分量も、オーブンの温度も、生地も。でもね、今日はあなた達にお菓子作りにおいて、私が一番大事だと思うことを考えながら、アップルパイを焼いて欲しいの。それはなにか?それはあなた達が作ったお菓子を食べた人達の笑顔です」  先生はそう言うと、にっこりと笑った。

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