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第74話

「今日作るアップルパイをあなた達が誰と食べるかは知りません。家族、恋人、親友。ここにいる同級生のみんなと分け合って食べるのも楽しいかもしれないわね。一人で食べる予定だっていう子がいたら、ぜひ授業後に先生と一緒に食べましょう。では、その時に貴方が作ったアップルパイを食べた相手の笑顔を、思い浮かべてください。大切な誰かの笑顔の為に作る。理想論だって言われるかもしれないけれど、そういう優しい想いがあなた達のお菓子をより一層美味しくしてくれるスパイスだと先生は思います」  生徒たちは先生の話を聞くと深く頷き、調理に戻った。  大切な人の笑顔か。  俺の頭の中には、大口を開けてアップルパイに齧りつく唯人がすぐに浮かんだ。そうして頬をぱんぱんにしたまま、俺を見てにっこりと微笑む。  俺はそんな唯人を思い浮かべながら目の前の真っ赤なリンゴを手に取ると、丁寧に刻み始めた。  唯人からは「昨日徹夜で仕事をして、帰ってきたのが昼頃だから、今日は来てもらっても寝ているかもしれない」というメールを俺は貰っていた。 俺は「じゃあ、今日は行くのを止める。明日の昼間、唯人の家に遊びに行くから、それまでゆっくり休めよ」と返信し、唯人からも「分かった。ありがとう」と返事があった。  多分今、家を訪れても、唯人は眠っているだろう。  それは分かっていたが、どうしても唯人に今日俺が作ったアップルパイを届けたかった。  唯人が眠っていたら、起きるまで本でも読んで待っていよう。  そう思って、俺は学校からそのまま唯人の自宅に向かった。  電話をかけようかとも思ったが、唯人の眠りを着信音で妨げたくなくて、連絡はしなかった。  唯人が食べた瞬間の満足そうな表情を思い出し、電車に乗っているのに俺はつい頬を緩ませてしまう。  唯人は俺が何を作っても大げさなくらい褒めてくれて、完食してくれた。  俺は目の前で唯人が自分の作った料理を食べているところを見る時間が一番好きだった。  俺、唯人のこと好きだ。  唐突に浮かんだその想いは胸にストンと落ちた。  ふいに顔に熱が集まり、じわじわと自分の頬が赤くなっているのが分かった。  電車のシートに座りながら、俯き、自分の赤くなった頬を隠す様に何度もごしごしと両手で顔を擦った。  好きになったあいつが俺の番で良かった。  俺は無意識に首輪のついた自分のうなじを撫でた。  首輪からはみでた噛み痕に触れ、ふっと笑う。  顔を上げると、窓の外にはオレンジと紫を混ぜた色合いの夕日が地平線へと沈むところだった。  俺は眩しさに目を細めながら、はやく唯人に会いたい。アップルパイを食べたあいつの笑顔が見たい。それだけを思った。

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