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第3話
交合がいつ終わったのか、イルハリムにはわからなかった。
皇帝の手で揺り起こされた時には、もう窓から差し込む光は眩しかった。慌てて起き上がろうとしてめまいを覚え、額を押えて短く呻く。
失神するように眠ってしまったのだろう。イルハリムは昨夜罰を受けた時と同じ、長衣の襟元を緩めただけの姿で皇帝の寝台にいた。
「……下がってよい」
皇帝はすでに目を覚まして寝台を離れ、着替えまで済ませていた。
許しを出す声が案じるような響きを帯びているのは、気のせいではないだろう。イルハリムがあまりにも目覚めないので、心配になったようだ。
とんでもない失態だと思いながら、イルハリムは慌てて寝台を降りる。本来ならば、用が済むと同時に自室に戻らなくてはならなかったのに。
立ち上がって辞去の礼を取ろうとしたところで、急に目の前が真っ暗になった。
あ、と思った時には床の上だった。
皇帝が床に膝をついてイルハリムを抱き、驚いたような表情で顔を覗き込んでいた。
「ご無礼、を……申し訳……」
「具合が悪いのなら早く言え!」
イルハリムが言いかけた謝罪を聞こうともせず怒鳴りつけ、部屋の外に向かって皇帝が医官を呼ぼうとした。それを、イルハリムは制した。
「何でもありません」
後宮を統括するアイシェが離宮に行ったため、もともとの宦官長としての務めに加えて、後宮全体を采配する役目が回ってきた。不慣れな仕事の上、数日に一度は側女の不始末で寝室に呼ばれるようになったので、疲労が溜まっている。それだけのことだ。
下手に医官に診察されては、情交の痕跡を見られることになる。
数多くの側女を抱える皇帝が、よりによって成人した宦官に手を付けたと知られるのは、皇室の体面にも関わる醜聞だ。後宮宦官長として、そんなことが公になるような事態は避けねばならない。
「……身に余る栄誉をいただいたため、我が身には分不相応であったようです」
じっとりと冷や汗を浮かばせながら、イルハリムは遠回しに罷免を願い出た。いかに後宮を任された身とは言え、閨に侍ることは本来の務めを超えているのだと。
もともとは側女の躾けが行き届かないことへの叱責が始まりだった。宦官長としては力不足と見なされ、宮殿を追放されるのならそれも仕方がない。どちらにしても、このままでは体力の方が持ちそうにもない。
宦官長という職位に就いてそれなりの給金ももらってはいるが、左足に嵌る金の足環が示す通り、イルハリムの身分は奴隷だ。皇帝の私物である以上、皇帝が要らぬというまでどこにも行くことはできない。
いっそ宮殿を追放されたなら、貯まった給金で足環を外して自由の身分を買うこともできるのだが――皇帝は何も言わなかった。
沈黙は、今はまだ手放す気はないということだろう。
イルハリムは即座に諦め、息を整えて皇帝の腕から離れた。
「名誉あるお役目も後僅かにございます。それまではご下命に恥じぬよう、力の限り務めさせていただく所存にございます」
寵妃アイシェの臨月も間近なはずだった。
イルハリムは深々と頭を下げると、皇帝の顔を見ないまま後ろに下がった。
部屋を出ていく宦官を、皇帝がどのような表情で見つめていたか。
――頭を下げたまま部屋を辞したイルハリムには知る由もなかった。
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