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第50話 電子&紙単行本発売記念その2 『アシュラフの奴隷』
西へと沈む赤い日差しの中、花火の音が盛大に鳴り響いている。
祝祭の最後を締めくくる合図だ。
「……建国祭を見るのも、これが最後か」
窓の外に目を向けながら、アシュラフは一人呟いた。答えを返す者はいない。
通りではいまだ喧騒が続いているが、使用人のほとんどを解雇した屋敷はしんと静まり返っている。――部屋の奥から聞こえる、ひそやかな啜り泣き以外は。
アシュラフは窓辺を離れ、奥にある寝台に足を向けた。
この家の当主が使っていた寝台は、一人で使うには広すぎるほど立派なものだ。四隅には彫刻を施された太い支柱が立ち、天井の梁からは二重の天蓋布が垂れ下がっている。
祖父の代に造られたその寝台には、布で隠された場所に頑丈な鉄の金具が取り付けられていた。
今その金具からは縄が下り、後ろ手に拘束された奴隷の手枷に繋がっている。
寝台の側までやってきたアシュラフは、手に持つ鞭をしならせた。革の軋む音を聞いた奴隷がビクリと体を震わせる。
「今日はどこから始めましょうか?」
明るい声で、アシュラフは奴隷に問いかけた。
ブルブルと体を震わせた奴隷は、呻き声を上げながら首を横に振っているようだ。馬用のハミを咥えさせているので、何を言っているのかはわからない。
期待に応えるために、アシュラフは汗ばんだ肌に鞭の先を伸ばした。
腰の後ろで固定された両手、それから痩せた背と肩を鞭でなぞる。浅く日に焼けた肌には縄目の跡が残り、ところどころに鮮やかな鞭の跡もあった。
首筋に流れ落ちるのは、艶のない金の髪だ。かつては上等の絹のように輝いていたのに、今は手入れもされずに絡みつき、くすんだ色をしている。
布を巻いたハミと目元を覆う黒い目隠しは、ともに革製の固定具で後頭部に留めてあった。何度もハミを噛み締めるため、唇の端からは血が滲んでいる。垂れ流しの唾液と混ざって、その血が枕に赤い染みを作っていた。
広い寝台の中央で、アシュラフは痩せた奴隷に膝を突かせて這う姿勢にさせていた。腰が下がらないように、腹の下には丸めた敷物を押し込んである。俯せになって顔と肩で上半身を支える姿は、額づいて許しを請う罪人のようだ。
アシュラフの鞭は、次に高々と掲げられた尻へと向かった。三日前に鞭打った跡は、もう色褪せかけている。腫れもすっかり引いたようだ。
左右の尻肉の間からは、魚の尾に似せた硝子細工の瓶が顔を覗かせる。精緻に作られた硝子の尾は、押し殺した呼吸に合わせてゆるゆると出入りを繰り返していた。尾が押し出されるたびに肉の隙間から琥珀色の液体が溢れ出し、とろりと内股を伝い落ちていく。
「あぁ、今日はここが良さそうですね」
肌に滑らせていた鞭を、アシュラフはまだ傷のない腿の内側に留めた。
ハミの間から呻き声が上がるのは、期待を抑えきれないせいだろう。この奴隷は罰を受けるのが本当に好きだ。
「脚を開いてください、叔父上」
アシュラフは丁寧に命じた。
奴隷は顔を横に振り、許しを請うような言葉を口にしている。泣き声混じりの懇願を叶えてやれないことに心は痛んだが、アシュラフは何も言わずに奴隷が堕ちてくるのを待った。
しゃくりあげるせいで呼吸が乱れ、尻に埋まった淫具の動きが大きくなる。ちゃぽん、と小さな水音が鳴った。
跳ね上がる魚の形をした硝子の瓶は、この奴隷専用に作られた責め具だ。二段になった背びれが体内を刺激し、両側に飛び出た胸びれが自力での排出を妨げる。中の空洞には薄めた酒と一緒に遅効性の媚薬をたっぷりと詰めてあった。
奴隷が腹に力を入れるたびに、硝子の魚はわずかに押し出されて元に戻る。魚の口には小さな穴が開いていて、元に戻る時に中身を少しずつ体内へと注ぐ仕掛けだ。
この道具を良く知る奴隷は、揺らさぬようにと随分気を張っていた。だが息をするだけでも動く道具を、完全に止めることなど誰にもできない。中で零れた酒に酔わされて、理性も自制心もそろそろ失われる頃だ。
高く掲げた腰がヒクヒクと揺れていた。泣き声は鼻に掛かった喘ぎに変わり、焦れたように身を捩る仕草が見られる。――頃合いだ。
アシュラフは腕を伸ばして、無防備に揺れる二つの玉に鞭の先端を当てた。
「……脚を開きなさい、タシール」
厳格な声で命令する。主人の命に逆らえばどうなるか、この奴隷が忘れてしまったのなら、教えてやればいい。
命令が耳に届いた奴隷は、伏せた枕に絶望の声を吸わせた。
知らぬ者が聞けば憐れみを覚える姿だろうが、アシュラフはこの奴隷の本性をよく理解している。幼い頃からずっと見てきた相手だ。啜り泣きの中に抑えきれない官能を隠していることは、声を聞けばわかる。
この奴隷は幼い頃からこうやって支配されてきた。痛みを伴う快楽には逆らえない。どれだけ嫌がってみせても、体は鞭の味を求めている。
やがて膝を震わせながら、奴隷は命じられたとおりに脚を左右に開いていった。内股がぶるぶると痙攣しているのは、恐怖のためばかりではないだろう。
開いた両脚の間から、萎えた男の象徴とその先端を飾る黄金の環が見えた。
金の環は艶やかに濡れていた。夕日を浴びて煌めきながら、蜜をとろとろと滴らせている。――これから味わう苦痛を想って、肉体はもう悦び始めているのだ。
アシュラフは手に持った鞭を大きく振り上げた。
――叔父のタシールが反逆罪を犯した。
その知らせが届いたのは、建国の祝祭を二日後に控えた夜半のことだ。
使者が持ってきた伝言によると、タシールは皇帝の寵妃である宦官長を襲ったという。
まさかと思いながら宮殿に駆けつけたが、皇帝の部屋の扉はアシュラフの前で固く閉ざされたままだった。
中からは切れ切れに声が聞こえる。
冷たい石の床にじっと跪きながら、アシュラフは一年前に会った叔父の顔を思い返していた。
叔父であるタシールは、若い頃から皇帝の覚えめでたい寵臣だった。
亡き父とは年の離れた腹違いの兄弟で、生粋の貴族らしい気品ある美貌の持ち主だ。
濃い髪色のアシュラフと違って、叔父のタシールは祖父と同じ明るい金髪に澄んだ青い目をしている。帝国の古い貴族によく見られる色合いだ。
長い睫毛、細く通った鼻筋。少し薄めの唇。――均整が取れたその美しさは、どんな名工が腕を振るったかと溜め息をつきたくなるほどだ。
しかし人を惹きつける見た目に反して、叔父は人嫌いで気難しい人物だった。
家族や使用人ともほとんど会話しない。一日の大半を祖父の側で過ごして、滅多と部屋の外には出てこなかった。
同じ屋敷で暮らしているのに、アシュラフが叔父と出会う機会はそれほど多くはなかった。
たまに屋敷の中ですれ違えば、大喜びで犬の仔のように後ろをついて回ったものだ。八つ年齢が離れていたので、叔父にとっては面白くもない遊び相手だっただろう。かなり邪険にされたが、それでも何度かはアシュラフのために本を読んでくれた。朗読するその声に胸がときめいたことを今でも覚えている。
宮殿に仕え始めた叔父は、成人すると同時に官舎に移った。しかし屋敷には頻繁に顔を出していたようだ。アシュラフが士官学校から早く帰ってきた時などは、祖父の部屋から出てくる叔父の姿をよく見かけた。
宮殿には貴族の子弟が配属される部署がいくつかある。財政省、法務省、そして軍部などだ。配属先で内政官や士官を務めた叔父は、将来有能な切れ者だと賞賛された。
アシュラフはそんな叔父を誇らしく思っていたが、いつの頃からかその想いは欲望を伴うものへと変わっていた。
思春期を過ぎた頃から、アシュラフの脳裏に浮かぶのは、祖父の方をじっと見つめる叔父の顔だった。あの目を自分に向けさせたい、叔父を自分だけのものにできたらと、夜の寝台で何度も夢想した。
同じように叔父に心奪われた男女は数多くいたようだが、叔父は目もくれなかった。
公にできない恋人がいるのかと嫉妬に駆られた時期もあったが、叔父の周りに怪しい影はなかった。叔父の青い目はいつも祖父以外の他人を拒絶して、どこか冷たい光を帯びていた。
なぜそんなにも人を寄せ付けないのかと、アシュラフは常々不思議に思っていた。
――父の跡を継いで当主となり、タシールの秘密を知ってしまうまでは。
「――アシュラフ」
低い声に呼びかけられて、アシュラフは大きな体を床に伏せた。
皇帝の居室の扉が開いたのは、そろそろ夜が明けようという時刻だった。夜通し聞こえていた声が途切れているので、宦官長は休んでいるのだろう。異国出身の奴隷とはいえ、皇帝の寵愛の深さは宮殿ではよく知られたことだ。
「申し開きもございません、陛下」
血を吐くような思いで、アシュラフは謝罪の言葉を口にした。
「叔父の愚かな所業を幾重にもお詫びいたします」
口にしながら、名状しがたい苦さに襲われる。
タシールは建国祭に合わせて帝都へ呼び戻された。おそらく、空いたままになっている宰相の席が用意されていたはずだ。大変な名誉であったはずなのに、いったい何があったのか。
――内乱時代の早期。人を見るのに長けていた祖父は、戦の趨勢が決まる前に第五皇子ラシッドの麾下に入った。先祖代々の私財をなげうって勝利に大きく貢献したと聞いている。
皇帝はその忠義に報いて祖父を宰相位に就けただけでなく、祖父が死去した後にはアシュラフの父をその位に就けてくれた。そしてその父が亡くなったため、空いた席がタシールに用意されたのだろう。
アシュラフ自身は政治に関わることよりも、軍部で自分を磨くことの方を選んだ。出世頭と見做される近衛隊に今は所属している。大柄な体格が似ていることもあって、皇帝からは何かと目をかけてもらっていた。
一族は皇帝から勿体ないほどの厚遇を受けている。
それなのに、どうして叔父は宦官長に危害を加えるような真似をしたのか。理由がまったく思い当たらない。
「立て。歩きながら話そう」
居室を長時間空けたくないのか、寝間着にガウンを羽織った皇帝は足早に歩き始めた。
話すと言いながら、皇帝は無言で足を進める。
その行き先が地下牢だと気づいて、アシュラフの動悸は激しさを増した。
「――昨夜、余の寵妃を中庭に呼び出した者がいる」
地下牢への扉を開けたところで、皇帝が口火を切った。
下へ続く石段に声が反射し、それを掻き消すような悲鳴が牢の奥から聞こえてきた。
もしや叔父の声かと身構えたアシュラフに、皇帝が答える。
「あの声は元衛兵どもだ。かつてタシールによって処罰されたことを逆恨みして、復讐を果たすために我が寵妃をおびき出した。すでに捕らえて刑を執行している」
薄暗い地下通路を進んでいくと、やがて狭い牢が並ぶ一角に出た。
鉄格子で区切られた牢の中には、漆喰で塗り固めた箱が並んでいる。いくつかの小さな穴が開いていて、その隙間からは茶色い骨が覗いていた。
禁固百年の刑――身動きできないように狭い箱に押し込められ、虫や鼠に食われながら死を迎える刑罰だ。
居並ぶ箱の中身はほとんどが風化していたが、長く続く地下牢の途中で、今まさに生きた人間を封じ込めようとしている光景に出くわした。
縄を巻きつけた木箱の上から、刑吏が長い釘を打ち込んでいる。箱の中身を釘づけにして、空気穴以外に漆喰を塗れば、刑吏の仕事は完了だ。釘穴から滴る血の匂いで鼠が集まり、中に閉じ込められた罪人を襲う。打たれた釘の本数にもよるが、生きたまま食われる罪人の声は幾日も途切れることがないと言われている。
釘を打ち込まれる罪人たちの絶叫に、脚が震えそうになった。
彼らが宦官長をおびき出したのだとすれば、タシールはいったい何の罪を犯したというのか。
「陛下、叔父は……」
動悸を痛いほど感じながら、前を歩く皇帝の背に問いかける。
「……余の寵妃を東州へ攫って行くつもりだったらしい。寵妃が首を縦に振らぬので、蜜魚という道具を使って辱めた」
淡々と語られた皇帝の言葉に、アシュラフは全身の血が引いていくのを感じた。
反響する罪人たちの悲鳴を聞きながら、アシュラフは引きずるように足を進める。
地下牢を進むだけで、まるで拷問のようだ。
揺るぎもしない皇帝の足取りからは、反逆者に向ける怒りが見て取れる。その怒りは叔父のタシールにも向けられているのだ。
息苦しささえ覚えながら歩くアシュラフの前で、皇帝はようやく足を止めた。
「ここだ」
それは最も厳重に取り扱うべき罪人を閉じ込めておくための牢だった。
鉄の格子に隔てられた牢の中、両手を頭上に掲げる叔父がいた。牢に入れられた罪人の常で、一糸纏わぬ裸にされて天井から下がる鎖に手首を吊られている。
「叔父上……」
松明の灯りに浮かぶその姿に、アシュラフは言葉を失った。
――最後に叔父の姿を見たのは、一年前の祖父の葬儀の時だ。
弔意を示す黒い衣装に身を包んだ叔父は、東州に発つのを見送った時よりいくらか痩せたようだった。悲しみとも安堵ともつかぬ表情を浮かべた横顔はどこか儚く、息を飲むほど妖艶でもあった。
その半年後に行われた父の葬儀には、叔父は帰ってこなかった。父は家督を叔父に継がせるよう遺言を残していたのに、叔父は東州を離れることなく、相続を放棄する旨の手紙を寄越しただけだ。
今年の建国祭に呼び戻されたことも知ってはいたが、タシールは一度も屋敷には戻ってこなかった。
この一年の間に、いったい何があったというのか。
美しかった顔はゾッとするほど痩せて、頬骨が目立つ。長い髪は艶もなく、碌に手入れもされていない。手足は女のように細くなり、肋骨が浮いて腹部は抉れている。
かつては乗馬の名手だった叔父だが、これほど肉が落ちてはまともに馬を操れなかっただろう。東州から戻って来られたのが不思議なくらいだ。
皇帝の手で鉄格子の扉が開かれため、アシュラフはタシールの側に駆け寄った。
「叔父上……いったい何があったのですか」
足先は辛うじて地面に着いていたが、吊られた腕は伸び切る高さで、肩が外れてしまいそうだ。顔には血の気がなく、見るからに憔悴がひどい。
アシュラフは視線を合わせようと顔を覗き込んだが、タシールは床に目を向けるばかりでこちらを見ようともしなかった。
「なぜ、宦官長を連れ去ろうと……?」
叔父の体に目立った傷はない。取り調べはこれからのようだ。
少しでも罪を軽くしたいと、アシュラフは問い詰める。何か理由があったはずだ。
叔父と宦官長との間にかつて交流があったことを、アシュラフは知っていた。連れ去って害を及ぼそうなどと考える関係ではなかったはずだ。
「……どうして……何も言ってくれないのですか……」
問うても問うても、叔父は反応を示さなかった。虚ろな顔は、すでに生きる気概を失っているようだ。
視線を落としたアシュラフは、叔父の下腹に焼き印の跡があるのを目にした。
形が崩れた古い火傷は、生家の紋章を示している。そして、その下……。
力なくうなだれる男性器の先端には、黄金の環が鈍く光っていた。
鈴口から顔を出した太い金環は、くるりと円を描いて亀頭の裏側に消えている。牢の中は薄暗いのでよく見えないが、環の表面には祖父の名が刻み込まれているはずだ。
なぜならこれは、異国人の宦官と関係を持ったことを知った祖父が、怒りに任せて穿ったものだからだ。
当主の座を継いだ時に、アシュラフは祖父の日記からすべてを知った。
タシールの正体。そして祖父がタシールに何をしたのかを。
「アシュラフ――お前をここに連れてきたのは、罪人の身分を確かめるためだ」
皇帝の太い声が牢の入り口から届いた。
「そこにいるのは、お前の奴隷か」
アシュラフはゆっくりと振り返り、意味を問うように皇帝を見上げた。
皇帝は入り口から動かず、その表情は炎の影になって見えない。
低く淡々とした声が続ける。
「そこの罪人は、自由民である余の臣下であったか、それともお前の家が所有する奴隷かと訊ねている」
その問いかけに、先に反応したのはタシールの方だった。
「……よせ……アシュラフ……」
背後で鎖の軋む音が鳴り、掠れた声が背中に届く。
その声を聞きながら、アシュラフはまっすぐに皇帝を見上げた。
裸体に残された痕跡から、皇帝はおおよそを察したのだろう。
老いてなお頑健だった祖父はタシールの東州赴任と同時に体を壊し、ついには原因不明の病に斃れてしまった。父もまた、祖父の運命を辿るように同じ病で命を終えた。
職務に熱心だったタシールは病的に痩せ、相手が皇帝の寵妃と知りながら犯す必要もない罪を犯し――。
獅子帝の金の目は、その裏に何があったのかを見抜いたのだろう。
一筋の希望をアシュラフの前に示してくれた。
「陛下……」
アシュラフは膝を突いて皇帝の前ににじり寄った。
心を決めるには、ほんの一瞬で十分だった。床に手を突いて頭を垂れ、はっきりと答える。
「これは俺の奴隷です」
背後で息を飲む音がした。
アシュラフは構わず続ける。
「叔父が相続を放棄したため、当家の財産はすべて俺が引き継ぎました。ですから、ここにいるのは俺が所持する奴隷です」
「アシュラフッ」
叱責の声とともに、鎖が硬い音を立てた。
まだこんな声が出せたのだと、アシュラフの胸が熱くなる。
祖父は過ちを犯し、叔父はさらに大きな過ちを犯した。だが何もかもが遅すぎたわけではない。伸ばした手はまだ叔父に届く。
石造りの地下牢に、皇帝の声が低く響いた。
「奴隷が犯した罪の責任は、その所有者に帰属する。……わかっていて、名乗り出るのだな?」
その声は、アシュラフよりもタシールに聞かせようとしているかのようだ。
アシュラフは冷たく湿った石の床に額を押し当てて答えた。
「承知しております。この奴隷が犯した罪は、主人である俺に責任があります。如何なる処罰も謹んで賜る所存です」
「アシュラフ……ッ!」
薄暗く淀んだ地下牢に、しばらくの沈黙が下りた。
荒くなったタシールの呼吸が牢の中に響く。アシュラフは床から額を離さぬまま、長い沈黙を耐えた。
やがて、忌々しそうな溜め息が頭上から落ちてきた。
「奴隷同士の諍いとあらば、皇帝たる余が罰を下すものではない。奴隷はお前が連れ帰って、二度と間違いを起こさぬよう対処せよ」
放たれたのは、厳格ではあるが怒りの籠らぬ声だった。
「罰として近衞隊から除名し、帝都を追放とする。許しを与えるまで領地の屋敷にて閉門いたせ」
腹の底に響く声を聞いて、アシュラフは思わず顔を上げそうになった。信じられないほど寛大な処分だ。
反逆罪に問われた罪人が極刑を免れることはほとんどないというのに、皇帝は奴隷同士の争いだったことにして、事実上の減刑としてくれた。タシールのこれまでの働きを認め、命を奪うには惜しいと思ってくれたのだろう。
アシュラフには近衞隊からの除名と帝都追放。領地での無期限の閉門。
厳しい処分に聞こえるが、その実、皇帝は二人を帝都から解き放ってくれたのではないか。病んだタシールが立ち直る時間を与えてくれたのだと、そう考えるのはあまりにも都合がいいだろうか。
「建国祭が終わり次第、速やかに領地へ発て」
「はい……! 身に余るご恩情……感謝いたします」
アシュラフは声を震わせて首肯した。
屋敷の使用人や財産を処分するための猶予も与えられた。今の弱り切ったタシールに長距離の旅程は厳しいはずなので、建国祭が終わるまでの間に少しでも体調を整えよとの、皇帝の慈悲でもある。これ以上ありがたい処分はない。アシュラフは深々と身を屈めた。
必要なことを伝え終えた皇帝は踵を返しかけたが――、ふと足を止めた。
しばしの逡巡の後、牢の中の二人を振り返らないまま重い声で付け加える。
「――東州の元軍政官に会ったら伝えておけ。かつて余の寵妃を助けた借りはこれで返した、と」
そう言い放つと、皇帝は牢の前から立ち去った。部屋で待つ宦官長の元へと戻るのだろう。アシュラフは頭を深く下げたまま、その後ろ姿を見送った。
――以前の皇帝ならば、二人ともに首を刎ねられていてもおかしくはなかっただろう。
血を分けた兄弟を屠らねば皇位に就くことなどなかった皇帝だ。生半可な慈悲など持てば身を亡ぼすことになる。獅子帝は戦場においては戦の化身、帝都においては厳格な統治者であり続けた。
それなのに、いつの間にこれほど情に厚くなったのだろう。
人を愛することを知り、愛される喜びを知ったからこそ、他者の想いにも寛大になれるのかもしれない。今のアシュラフにはまだ手に入らぬ気持ちだ。
アシュラフは無言のまま、黒い目をした宦官長にも感謝の念を捧げた。
足音が完全に聞こえなくなってから、アシュラフはようやく顔を上げた。冷たい床から身を起こし、叔父の元へと足を進める。
両手の枷を外して鎖から下ろすと、叔父は足元をふらつかせた。それを支えて、脱いだ上着で冷えた体を包み込む。
「アシュラフ……」
上着の端を握り締めたタシールの顔には、死に損なった者の戸惑いと不安が浮かんでいた。真意を測るように顔を見上げてくる。
アシュラフは無言のまま、痩躯を軽々と抱き上げた。
――タシールが死を望んでいることはわかった。その理由も察することができる。
だが大人しく死なせてやると思うなら、それは大間違いだ。
「許されたとは思わないでください。貴方はこれから罰を受けるのです」
血の気のない美貌に向かって、アシュラフは厳しい声で宣告した。
意識を飛ばした身体を縄から下ろし、寝台の上に横たえる。
革の手枷を外し、目隠しや口に噛ませたハミも取り去った。肉の狭間に深く沈んだ淫具を抜き出すと、中に入れた酒と媚薬はすっかり空になっていた。
痩せた脚の間には薄い白濁が零れている。きわどい場所を鞭打たれる間に、何度か悦びを得たらしい。金環で堰き止められている鈴口から、今もじわりじわりと薄い粘液が漏れ出ているのがその証だ。
アシュラフは無防備に投げ出された叔父の裸体を見つめた。
骨が浮いた体には、あちこちに古い傷跡が残っている。幼い頃に祖父の手でつけられたものだ。死んでなお続く執着を目の当たりにするようで、うすら寒い思いがした。
――アシュラフが家督を継いだ時、この部屋で偶然見つけた祖父の日記は、女奴隷への恨み言から始まっていた。
奴隷だった女は祖父の子を身籠りながら、祖父を裏切って屋敷の使用人と駆け落ちした。連れ戻して間もなく死んでしまったため、行き場を失った祖父の怒りはその女が産んだ子に向けられた。
罪のない我が子を、祖父は自らの怒りを吐き出すための器にしたのだ。
日記には、見るに堪えない記述が続いた。
幼い体に容赦なく捻じ込まれる劣情。家畜同然に扱って自尊心を根こそぎ奪い去り、薬と道具を用いて快楽浸けにした。色欲を餌に育つ生き人形を創るように。
タシールが宮殿の官舎に住まいを移してからも、祖父の復讐は終わらなかった。たびたび屋敷にタシールを呼びつけては、その肉体が祖父を忘れてしまわぬように凌辱と調教を繰り返した。
年を取って男としての活力を失ってからは、異母兄であるアシュラフの父にも奴隷を貪らせた。二人がかりの淫猥な責めは、タシールが東州に赴任する直前まで続いた。
手が届かぬほど遠く離れて、祖父はようやく気が付いたらしい。
自身が抱いていた感情が、憎しみと復讐だけではなかったことに。
愛していたからこそ、祖父は女の裏切りが許せなかった。愛していたからこそタシールが離れていくのを受け入れられず、支配せずにはいられなかったことを。
尽きぬ悔恨と謝罪を記して、祖父は東州に何通もの手紙を送った。
送るたびに、返書の代わりに東州からは葡萄酒が届いたらしい。
その葡萄酒に何が入っているかを知りながら、祖父と父は死の間際まで飲み続けた。それ以外の贖罪が思い浮かばなかったからだ。
最後まで悔いながら死んでいった彼らは、思いもしなかったのだろう。
自分たちの死がタシールにとって救いとなるどころか、さらなる絶望に突き落とすことになるとは――。
「う……」
短い呻きとともに、タシールの瞼が開いた。
冬の空に似た瞳が辺りを見回し、覆い被さるアシュラフに焦点を結ぶ。
「満足できましたか、叔父上?」
腫れあがった内股に手を当てて、アシュラフは訊ねた。
傷跡が残らないように鞭の材質や力加減には気を付けたが、果たして十分な苦痛は与えられただろうか。
熱を持った肌をざらりと撫でると、秀麗な眉がビクリと寄せられた。
「もう、よせ……やめてくれ……アシュラフ……」
すべてを諦めたような力無い声が発される。媚薬と酒はまだ十分に効いているらしく、アシュラフの肩を押し退ける手は震えていた。
安心させるように笑みを浮かべて、アシュラフは濡れた内股の奥に手を滑らせた。
「何をやめてほしいんです?」
ずり上がって逃げようとする体を制止するのは簡単だった。金環に軽く指を引っかけるだけでいい。ウッと呻いてタシールの動きが止まる。
「……東州で過ごした日々は、貴方にとって苦しみでしかなかった」
金環に指を掛けたまま、アシュラフは萎えた性器の裏側を辿る。
この環の存在は、東州で暮らすタシールを少しは慰めてくれたのだろう。息を荒げながらも、タシールはもう逃げようとはしなかった。
「だからあの酒を送ってきたのですか?」
「……そうだ」
観念したように、タシールは言葉を吐き出した。
「ずっと私を支配していたくせに、過去を悔いて謝れば取り返しがつくとでも考えたのか……今更そんな言葉を聞いて、私が救われるとでも……」
過去に想いを馳せて、苦しそうにタシールは自白する。
「すべては過ちだったと……私をこんな風にするべきではなかったとあの人は言った」
凶行の引き金となったのは、祖父が送った手紙だったのだろう。
タシールは物心ついた頃から祖父の奴隷として生きてきた。どんな目に遭っても、これが自分に相応しい扱いだと信じて耐えてきたのに、祖父の手紙はそれを否定した。
それはタシールの全存在を否定することと同じだった。
下腹に焼き印を押され、性器には金環が穿たれている。どれほど高い地位に就いたとしても、服を脱げば家畜同然の性奴隷であることは明らかだ。鞭打たれて悦び、男に抱かれる快楽なしでは昼も夜も明けない。
祖父の用意した箱庭の中でしかタシールは生きられなかった。それ以外の生は初めから持ち得なかった。
すべてが過ちだったと謝罪されたところで、苦しみ以外の何が残っただろう。
「どんな償いでもすると……。だから毒入りの酒を送ってやっただけだ」
自暴自棄になったように、タシールは吐き捨てた。
祖父の葬儀に駆け付けた叔父の横顔を、アシュラフは思い出す。
あの瞬間まで、きっとタシールは祖父が本当に死んだとは信じていなかったのだ。毒だと知っていて飲むはずがない、屋敷に呼び寄せるための狂言だ――そう自分に言い聞かせながら、遠い赴任先から馬を飛ばしてきたのだろう。
葬儀が終わって東州へと戻っていく後ろ姿は、道に迷った子どものように頼りなかった。
父の葬儀の時には、呼んでも来なかった。
死と孤独に直面するのが怖かったのか。あるいはすでに食事を摂れなくなっていて、東州から戻るだけの体力がなかったのかもしれない。
建国祭に呼び出されて戻ってきたのは、ここで命を終えるつもりだったからだろう。
自分が殺した父親と兄への贖罪のため、すべての名誉を手放して惨たらしく処刑されるつもりでいた。
なぜなら、タシールの胸にも憎しみ以外の感情が眠っていたからだ。
アシュラフは叔父の砲身を捕らえた。
「貴方に罰を与えます」
その言葉に、タシールが体を強張らせる。怯えの滲む顔を見つめながら、アシュラフは重みを増していく肉茎をゆるゆると愛撫した。
「間違いを犯したのですから、主人としてきちんと処罰しなくては」
「なに、を……」
アシュラフは金環に掛けた指を揺らした。
この環を穿たれて、タシールは男としての機能を失った。傷が治りきらないうちに責め抜かれて、勃起することへの恐怖を植え付けられたせいだ。しかも厚みのある黄金は尿道を塞ぎきっている。精を放ってもわずかに滴るだけで、射精の解放感を得ることはできない。
祖父が残した、負の遺産だ。
だがこの遺産が、タシールをアシュラフの元に繋ぎ止めてくれる。
「ッ……!」
金環を引くと、タシールが息を呑んだ。アシュラフは指にじわりと力を加える。
「や……やめ……」
苦痛への恐怖を表しながら、血の気が失せていたタシールの顔には淡く朱が昇り始めた。指の間で金環がピクリと動く。全身にはしっとりと汗が浮かび、胸の頂が張りつめた。
「……脚を開きなさい、タシール」
祖父がしたように、アシュラフは命じた。
「自分の手で膝を開いて、いやらしい穴を俺に見せてください。貴方が欲しがるだけ、そこを虐めてあげます」
「なに、を……ッ!」
言葉で貶めると、タシールは柳眉を逆立てた。
しかし怒りを浮かべた表情とは裏腹に、体は反応を始めている。
金環を伝って蜜が滲み、アシュラフの指に流れ落ちた。環はヒクヒクと揺れ動き、指の拘束から逃れようとしている。解放してやると、自由になったタシールの肉茎は跳ね上がって脚の間に頭をもたげた。
「折檻されるのがお好きでしょう? 貴方の肉体はそう仕込まれたから」
空になった手で二つの玉を掬い取り、掌の中で転がす。わからせるためにそれを軽く握ってやると、金環をつけた屹立が震えながらも硬さを増した。
苦痛と屈辱に彩られた快楽――祖父にされたように、強者からの支配を受け苛まれることでしかタシールは満足を得られない。
自分を虐げる主人にしか、タシールの心は動かないのだ。
ならば、この奴隷の支配者になればいい。
「初めて顔を合わせた時から貴方に憧れ、貴方を愛してきました。いつか貴方を俺だけのものにしたいと願い続けていましたが、少しも気づきませんでしたか?」
「ア……シュラフ……」
アシュラフはガウンを脱いだ。
せめて武勇では誰にも負けるまいと鍛えた体は、皇帝には及ばないが、大抵の帝国軍人よりは逞しい。病み衰えたタシールに恐怖と威圧感を与えるには十分なはずだ。
「脚を開いて」
尻を荒っぽく叩いてやると、タシールはゆるゆると脚を開き始めた。少々乱暴にしなければ従う気になれないようだ。
「自分の手で膝を支えて開くんです。生娘でもないのに恥ずかしがる必要はありません」
アシュラフはもう一度尻を叩いて命じた。
冷たく整った顔にサッと朱が走り、怒りと屈辱に染まった目がアシュラフを睨みつける。元が目を見張るような美貌だけに、そうやって感情をあらわにするとゾクリとするほど蠱惑的だ。
視線で射殺してやろうと言いたげな目に、アシュラフは正面から対峙する。視線を絡め合った後、やがて目を伏せたのはタシールの方だった。
屈辱を堪えるように唇を噛み、小刻みに震えながら、自分の膝裏に手を伸ばす。
仰向けに寝た状態で膝を深く曲げ、両手で左右に大きく割って、年上の奴隷は秘められた入り口を差し出した。
「よくできましたね。ご褒美をあげますから、もっと深く曲げましょう」
命令に従ったことを褒めながら、アシュラフは上から膝を押して胸に着くほど曲げさせた。タシールは顔をしかめたが、逆らおうとはしなかった。
あられもなく開かれた脚の間に、アシュラフは視線を落とす。
金環を揺らして震える性器、緊張に縮んだ袋。そしてその下に、淫靡な窄まりがひっそりと息づいていた。
使い込まれたその場所は呼吸とともにいやらしく盛り上がり、内側の珊瑚色を覗かせる。中に残った媚薬がコポリと音を立てて滲み出てきた。
アシュラフは指を二本揃えて、その窄まりの中に潜らせた。温かくて柔らかい。
中を探ると、待ちかねていたかのように肉壁が締め付けてくる。
「ここを虐めてほしい時は、何と言ってお強請りしていたんですか?」
指を動かすと、タシールは眉間に深い皺を刻んだ。奥歯を噛み締め、顔を背ける。
無表情を貫いて感じまいとしているようだが、生憎とアシュラフが蜜魚に入れた媚薬は十分な量があった上に、長く効く。そのうち耐えきれなくなるのは確実だ。
尻が揺れそうになるのを歯を食いしばって押し留め、微動だにすまいと全身を強張らせる姿は、それが無駄な足掻きだと知っているだけに情欲をいたくそそられた。この奴隷を屈服させ、泣いて許しを請うまで責め抜いてやりたい。
「『可愛がってください、だんなさま』と、言ってみてください」
「誰が……ッ」
神経を逆なでする言葉を選んでぶつけると、我慢の糸が切れたようにタシールが反応した。美しい眦を吊り上げて怒気を発する。
「殺してやる……! いつか必ず殺してやるから、覚悟しておけ!」
力の宿った声を聞いて、アシュラフは満足の笑みを零した。――そうだ。タシールはこうでなくてはならない。
気品ある貴族の貌の下に、タシールはドロドロとした醜悪な欲望を隠し持っている。清くも美しくもない。濁流のようなその本性がアシュラフには好ましい。
他人に何の関心もない顔をして、タシールの正体は、手綱を握る主人にだけ忠実な奴隷だ。主と認めた相手にだけ、タシールはどこまでも従順になり、自ら進んで隷従する。
祖父も父も、一度飼い始めたのなら最後まで手を放すべきではなかったのだ。送られた葡萄酒を突き返し、今すぐ仕置きを受けに戻ってこなければ容赦しないと叱責するべきだった。
そうすれば、今もタシールは主人に愛される幸せな奴隷でいられただろう。
「いつでもどうぞ。貴方に殺されるなら本望です。貴方は自分が殺した相手のことを忘れないでしょうから」
「あ! や、やめ……ろッ……!」
快活な笑いを弾けさせて、アシュラフは指で肉環を拡げる。そこに自身の肉棒を宛がい、上から圧し掛かって体を二つ折りにした。
抵抗するのをものともせずに、反り返った怒張で熱い肉の狭間を貫いていく。
「俺も黙って殺されるつもりはありません。こうやって……貴方が俺なしではいられなくなっていると、ちゃんとわからせてあげますから」
「アッ! や、やめろ、ッ……よせッ…………止せと言ってる……ッ!」
タシールが両腕を突っ張ったが、痩せた腕でどうにかなるような体格差ではない。猛る怒張を深々と埋め込んで、最後の止めにアシュラフは腰を叩きつける。
「……んくぅッ!」
パンッ、と小気味よい音が鳴って、タシールが息を詰めた。
「痛いですか?」
苦痛があることをわかっていて、アシュラフは敢えて言葉にした。
大きく開かせた内股は先程鞭で打ったばかりだ。熱を持って腫れているから、擦れるだけでひどく痛むはずだ。数日前に打った尻も打擲の跡が残っている。
中を犯されると同時に傷ついた肌を叩かれると、タシールは凍り付いたように抵抗を諦めた。媚肉がきゅうきゅうとアシュラフの牡を締め付ける。
「痛くて気持ちいいんでしょう? 貴方の中がねっとりと絡みついてくる。」
アシュラフは脚を抱え直し、わざと荒々しく腰を叩きつけた。
ぶつかる肌の間で、粘着質な水音が立つ。
「ほら、いやらしい音が聞こえますか。貴方の中がぐちゅぐちゅになって、俺を咥えこんで離さない音です」
「言、う、なッ……あッ、あッ、ぁひッ……やめ、ぃひぃいいいぃ――ッ……」
媚薬と酒に酔わされ、尻の中を責められて、タシールが体を大きく仰け反らせた。力強い律動に、馴れた肉体は高みへと追い上げられる。
「あ、あ……!」
だが精を吐き出す道筋は黄金の環が堰き止めていた。快楽を味わえば味わうほど、激しい焦燥感と閉塞感がタシールを苛む。
タシールが両手でアシュラフの胸を叩いた。喉を反らして悶え、ずり上がって苦しみから逃れようとする。
その体をアシュラフは容赦なく引きずり戻した。
焼き印の上で跳ねる性器は、いまや完全に勃起していた。若いアシュラフの情熱は、主を失って冷え切っていた肉体に再び火を灯したらしい。
「ああぁ、いやだ……苦しい、っ……」
憐れな屹立を手に握り、タシールが弱音を吐いた。
血を通わせて硬く大きくなっているからなおさら、金環を咥えた尿道は隙間を失っている。精を吐き出すどころか、これでは排尿さえ不可能だろう。玉の袋も精を溜めてパンパンに張りつめ、持ち上がってピクピクと揺れていた。
濡れた金環をアシュラフは指で弾く。
「や、ぁっ!…………もうやめろ…………やめ、て……」
罵りながら制止を求めていた声が、啜り泣きへと変わっていく。
痩せた脚がアシュラフの腰に絡み、尻が自分から揺れ始めた。熟れた媚肉は怒張に纏わりついて体内の牡に奉仕する。
この奴隷はわかっているのだ。折檻を終わらせるには、主人を満足させるしかないことを。
しかし、主人の欲望に仕える行為は、同時に奴隷の官能をも追い上げる。
わずかに矜持を残しながら、抗うすべもなく被虐の悦楽に溺れていく顔は、今まで見たどの姿よりも美しく思えた。
勢いを自制しながら、アシュラフは時間をかけてタシールの中を責め苛む。浅い性感を突き上げ、奥の深い場所を揺さぶって。会陰を押してやるのも、時折玉を撫でてやるのも忘れない。
ついに、泣き声があがった。
「もうやだ、だしたいっ……ッ、ねぇ、いかせて……お願いだから、いかせて……」
両手で自分の砲身を握り締めながら、タシールが咽び泣く。
哀願はアシュラフを主人と認めた証でもあった。愛しさが増して、褒美の代わりにつんと膨れた乳首を指に抓んでやる。
可愛らしい肉粒が形を変えるまで圧し潰すと、高く尾を引く悲鳴が上がった。甘美な音楽を聞きながら、アシュラフは断固とした声で言い渡す。
「駄目です」
嗚咽に絶望の声色が混ざった。
放出が叶わぬ屹立を手に捕らえ、アシュラフはそれを追い立てる。金環が嵌まっている以上、どれほど愛撫されても解放は訪れない。放出の望みもないまま嬲られ続けるのは、惨めで苦しくて、忘れようがないほど気持ちいいはずだ。
「罰だと言ったでしょう。逝きたくとも逝けない生殺しのまま狂わせてあげますから、貴方も愉しんでください」
金環に指をかけて浅く引く。そういえば、大切なことを伝えていなかったと思い出す。
「愛していますよ、タシール。少年の頃からずっと貴方が好きでした」
言いながら指に力を籠めると、声にならない啼き声とともに濡れた蜜壺が喰らいついてきた。
気を逸らして耐え続けたアシュラフだが、さすがにもう限界だ。
搾り取る媚肉に欲望の印を解き放ちながら、涙で汚れた頬に口づける。
「……俺だけの奴隷になると誓ってください。そうすれば死ぬまで大切に貴方を飼い続けます」
真心を込めて誓ったが、恍惚に犯された奴隷の耳にその言葉は届かなかったかもしれない。
祭りが終わった翌朝は快晴だった。
昨夜遅くまで騒いでいた帝都の民は、今朝はまだ眠りに就いているようだ。
旅装に身を固めたアシュラフは、両手に荷物を持って馬車の中へと運び込んだ。四日間の祭りの間に主だったものを処分して、すっかり身軽になった。祖父が造った寝台は、このまま朽ちる屋敷に置いていく。
後ろを振り返ると、同じく旅装を身に付けたタシールがのろのろと出てくるところだった。前かがみに背を丸め、足の運びもおぼつかない。
少し虐め過ぎたかと思いつつ、最初が肝心なので甘い顔はしないことにした。
「早くしてください。もう出立しますよ」
周囲にも聞こえるように大きな声で呼びかけると、端正な面にさっと怒りの色が走った。憎らしそうにアシュラフを睨みながら、下腹を手で押さえて足を速める。
アシュラフは笑みを浮かべて、苦しそうに歩く叔父を迎えに行った。長身を屈めて高さを合わせ、耳元に囁く。
「背筋を伸ばしてください。そんな歩き方では、お尻にいやらしい道具を咥えていますと宣言しているようなものです」
「……貴様……その口を閉じろ……!」
揶揄うようなアシュラフの言葉に、低い恫喝が返ってきた。どうやら素の叔父はかなり沸点が低いようだ。
アシュラフは声を上げて笑ったあと、痩せた奴隷の体を腕に抱きあげた。相変わらず軽いが、抵抗する腕には少しばかり力が戻ってきている。
「下ろせ……! 下ろせと言っている!」
「暴れないで。どうせ馬車の旅は長いのですから、今からそんなに愉しむと体力が持ちませんよ」
その言葉に怒りが限界を超えたらしい。握った拳を振り上げて、肩口を思いきり叩かれた。
折れやすい鎖骨を狙うとは目の付け所が良い。
しかし、苦しげに呻いたのは殴ったタシールの方だった。
「ほら、暴れるからですよ」
アシュラフは硬直して大人しくなった体を抱え直す。
旅装に着替える直前に、アシュラフは緩んだ肉穴に栓を入れさせた。何度しつこく問いかけても、この強情な奴隷はついに一度もアシュラフのものになると言わなかったからだ。
大人の奴隷は調教するのが難しいと言われているが、アシュラフは根気にだけは自信がある。
何しろ二十年近くもたった一人を手に入れるために努力し続けてきたのだ。多少思い通りにいかなくとも、それもまた手に入れるまでの楽しみの一つになるだろう。幸い、時間は十分にある。
アシュラフは子どもに仕置きをするように、奴隷の尻を一つ叩いた。
「お……ぅ……ッ」
ぶるぶると全身を震わせて、奴隷がアシュラフにしがみつく。尻の中の道具はいい仕事をしているらしい。
鹿の角を削って作られた栓は、玄人が通う怪しげな男娼窟で手に入れたものだ。緩やかな括れがあるので収まり良く、じっとしていれば圧迫感はそれほどでもないと聞いている。
その代わり、歩いたり腹に力を入れたりすると肉環のあたりで出入りして、瘤のように膨らんだ本体が性感を刺激する代物だ。もちろん、中に収めたものを出させないという栓本来の機能も備えている。
真珠、翡翠、珊瑚玉――奴隷の腹の中には、丸い形の宝石をいくつか収めさせた。馬車に揺られる旅の間、貴重な財産を一つも無くさずに領地まで運ぶのが、この奴隷に与えた仕事だ。数が揃っているか、毎晩出させて数えるのも楽しいだろう。
馬車の中には他にも色々な道具を運び込んである。田舎暮らしでは帝都のように趣向を凝らした道具や薬は手に入りづらい。奴隷を退屈させないよう、常に新しいことにも挑戦するつもりだ。
同行する供回りはわずか数人だが、長年アシュラフの家に仕えてきた古株ばかり。この家の当主が奴隷をどのように扱うかよく心得ているので、周囲の目を気にする必要はない。
「名残惜しいですが、そろそろ出立しましょう。領地での生活もきっと悪くはないですよ」
腕に奴隷を抱えたまま、アシュラフは大柄な体を屈めて馬車に乗り込んだ。
内装を見た奴隷がか細い呻きをあげたが、警護の騎士は顔色も変えずに扉を閉める。扉の閂は内側と外側の両方から掛けられた。
アシュラフは奴隷の体を下ろして、座席に設えた手枷を両手に着けさせる。抵抗されたが、女子どものような非力さでまったく問題にならない。
好きなようにされるのが嫌ならば、しっかり食事を摂って体力を取り戻せばいいだけのことだ。
「――さて、貴方はどれがお好みですか?」
並べた道具を示して、アシュラフは愛しい奴隷に問いかけた。
主人からの問いに、奴隷は唇を震わせるばかりで答えようとしないが、急ぐ必要はない。旅は今始まったばかりなのだから。
御者が馬に鞭を振るう音が鳴る。
二人を乗せた馬車の車輪は、ゆっくりと回り始めた。
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